は目をこすりながら廊下を抜けると中庭の井戸へ向かう
「よいしょ…」
つるべを下に下ろし水を汲む
やはり朝の井戸水は冷たい
「ひゃぁ〜……目、覚める〜…」
一人でそんな事を呟きながらごしごしと顔を洗う
持って来ていたタオルで顔を拭いて顔を上げる
「……………」
の時は其処で一瞬動きを止めた
「なっ………ななな…」
サッパリして顔を上げてみればそこには潮江文次郎
相変わらず恐い顔でをじっと見つめていた
と潮江文次郎の視線がしっかりとぶつかる
「……………っ!!」
暫くは見詰め合っていたが、やがて耐え切れずには踵を返して逃走を試みる
「ひゃっ!?」
しかしあえなく失敗
は潮江文次郎にがっちりと腕をつかまれてしまった
「……………」
「挨拶も無しに逃げようとは良い度胸じゃねぇか」
「ご……、ごめんなさい…」
こうなってはもうどうしようもなく、は頭を垂れて謝った
しかし潮江文次郎はそんなの顔を人差し指でひょいと持ち上げると口の端で笑いながら言った
「謝罪なんか聞きたい訳じゃねぇよ、昨日の事を説明して貰おうか」
「………………………………はい…」
有無を言わさぬその態度にはがっくりと肩を落とした
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「あの……そう言う訳で………授業の一環で貴方に近付こうとしてました…」
は未だに潮江文次郎の視線に怯えながらおずおずとそう告げる
「はぁ…くの一ってのはそんな事までやらされるのか」
「はい……むしろこう言う仕事の方が多いだろうからって…」
「なるほどな」
潮江文次郎は片手で顎を触りながらの話しを聞き終えると顔を上げてふっと笑った
「まぁ頑張ってみろ」
「え?」
言葉の意味がわからずに間抜けな声が出てしまう
潮江文次郎はそんなを見て不敵に笑う
「じゃぁ俺自主トレがあるから」
「え、あ……」
「じゃぁな」
潮江文次郎はそう言うとそのまま背中を向けて歩き出す
はそんな漢らしい背中を見つめながら思わず顔を赤らめた
「…やっぱり……格好良い…かも……」
暫くその場でぼんやりしていたがへむへむの鳴らす鐘の音で我に返る
「あ、部屋戻らなきゃ…」
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「それで、結局今回の試験内容ばらしちゃった訳?」
「う、うん…」
部屋に戻って友人に報告をする
「はぁ〜…」
友人は盛大にため息をついてを見た
「それ敵に仕事内容ばらすのと同じじゃない…」
「うぅ…、でもあの人に凄まれて黙っていられる自信ある…?」
「……それは無いかも…」
「でしょ…」
はうな垂れながら深いため息を一つ付いた
「でも頑張れって言われちゃったし…頑張らなきゃ…」
ぽつりとそう呟くと友人が驚いた様にに問う
「頑張れって言われたって…、どういう事??」
「え、いや、そのままの意味だけど…」
「……凄…」
「凄いって、何が…?」
状況が良く飲み込めていないを余所に友人は口を開けたまま驚いた顔をしている
「だってさ、それってにチャンスがあるって事でしょ?」
「ん?」
「あぁもう、本当にぼんやりしてるんだから」
友人は片手で顔を覆い大げさにため息を付くと、人差し指をびっと立てた
「あのね、頑張れって言われた、これはつまり"お前になら落とされても良いぜ"って事よ!!」
「えー?」
「えーじゃないわよ、そう考えるのが普通でしょ」
「そうかなぁ…、私はてっきり"お前になんか落とされないからせいぜい頑張れ"って意味かと…」
「あぁんもう、何でそう自虐的なのよ、良い?」
友人はにずいと顔を寄せ、の頬を両手ではさむ
「いくら学園一忍者してる男だって、こんなに可愛くて天然ボケボケのには敵わないわよ」
「天然ボケボケって…」
「自覚が無い辺りその通りじゃない」
「…うぅ……」
「兎に角!!」
友人はの頬から手を離すと、一つ咳払いをして笑った
「気にせずアタックしちゃいなさい、ね」
「………うん…、頑張ってみる…」
「よーし、そうなったら早速作戦会議だ!!」
「えぇ!?だってそんな…自分の事はそうするの?」
「私の方は心配いらないって、既にこっちのペースだもん」
「そっか…凄いねー」
「いや、文次郎くんに対してそこまで頑張れるのが凄いよ」
友人は苦笑する
「さて、これからどうしましょうかね」
友人は腕を組むと心底楽しそうに作戦を練り始めた
「ほら、アンタもちゃんと考えなさいよね」
「はーい」
こうしては友人と"潮江文次郎GET作戦"なるものを夜遅くまで考える事になったのだった
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翌朝
友人が何時もの様に目を覚まし、を起こそうと隣を見ると、布団は既にきちんと畳まれていた
「あら?」
友人は誰もいない部屋を見渡し、再度畳まれた布団を見ると小さく呟いた
「あぁそっか、昨日の作戦通り動き始めたのね」
友人がそんな事を呟いてるその時、は昨日の朝と同じ場所へ向かっていた
「…凄く単純な思い付きでここまで来ちゃったけど、来なかったらどうしよう……」
は井戸へと向かいながら独り言を漏らす
「昨日会えたのだって偶然かもしれないし…」
は井戸への曲がり角でふと足を止める
「むしろ会えない方が望ましいんだけどなぁ…」
そうため息交じりに呟くと、一つ大きな深呼吸をした
「兎に角頑張らなきゃ…!!」
は意を決したのか、両手の握り拳に力を入れてそう呟いた
「朝っぱらから何力んでんだ?」
「▼○□△#★&Σ´Д`;!?」
曲がり角から井戸へと一歩踏み出すその瞬間、背後から突然現れた声には声にならない声をあげる
「…なんつー声出してるんだよ……」
声の主は呆れた顔でを見下ろしてため息をついた
「し、潮江……先輩…」
は驚きの余り泣きそうになりながらおずおずと文次郎を見上げた
「お前なんで涙目なんだよ…」
「あっ、ごめ…なさい……ちょっとびっくりし過ぎて……」
「それはちょっととは言わんだろ」
「そう……ですね…」
「…で、会えない方が望ましいってのは俺の事か」
「なっ、それっ…!! え、一体何処から聞いて…」
恐い顔でを見下ろし続ける文次郎は、不敵に笑った
「最初から全部だ」
「最初からって…」
「俺の日課は早朝トレーニングなんだ」
「はぁ…」
「トレーニングから戻ろうとしたらお前が部屋から出てくるのが見えてな」
「それで…後を付けて来たって事……ですか」
「まぁな」
文次郎は悪びれた様子も無くそう答えると、頭を掻きながら付け足した
「別に気配を消してた訳じゃねぇし、すぐ気付くと思ったのにお前全然気付かねぇのな」
「あぅ…」
いくら考え事をしていたからと言って、人の、ましてや背後の気配に気付けないなんて忍者失格だ
は今度は情けなさで泣きそうになりながら頭を垂れた
「やっぱり私…忍者に向いてないですね…」
「どうしてそう思う?」
落ち込み頭を垂れるを見て、文次郎は静かに問い掛ける
「だって…無理ですよ…、私みたいな間抜けがくの一になろうだなんて…」
が文次郎の言葉に答えると、文次郎は両手での顔をそっと挟む
そしての顔を自分へと向けさせるとゆっくり話し始めた
「人間は生まれたその時、何をするにも可能性は皆等しい、その可能性を変動させるのは努力と信念だけだ」
「…努力と…信念……」
「一度決めた事を貫く心意気、それに向かう根性、途中困難に当たってもくじけない意志…、それら無くして忍びの道が究められる訳ないだろ」
文次郎はそこまで話すとの頬から手を離す
「…先輩……」
文次郎に触れられていた頬から暖かさがゆっくり消えて行く
は文次郎を真っ直ぐ見つめ、今言われた言葉を頭の中で反芻する
「心意気…、根性…、意志……、」
「お前はくの一になる素質は充分だ、後足りないのは自分を信じる心だけだと思うぞ」
「自分を信じる…?」
「そうだ、自分が自分を信じてやれないで誰がお前を信じる」
「……そう…ですよね…」
さも当たり前の様に文次郎の口から出る言葉の数々は、にとっては初めて意識する事ばかりだった
「私って…本当に駄目だなぁ……」
は自分のつま先を見つめるように俯きながら、ぽつりとそう呟く
「年は一つしか変わらないのに…先輩は私なんかよりずっと達観してますね…」
そして顔をあげ苦笑しながら文次郎にそう言うと、一つ大きく息を吐いた
「駄目かも、って諦める事は自分を信じる事よりずっと簡単で楽ですよね…」
「…そうだな」
「先輩はやっぱり凄いです」
そう言いながらが文次郎に微笑むと、文次郎は少し困った様な顔をした
「…そうでもない……」
「どうしてですか?」
「……忍者の三禁…あるだろ」
「酒、欲、色…?」
「あぁ」
の言葉に頷くと、文次郎はため息交じりに呟いた
「その中でも最も気をつけるべき色に惑わされたからな…」
「…え? 先輩が色に…って事は……」
「…………」
「先輩って好きな人が居るんですか!?」
が驚いた様に叫ぶと、文次郎が派手に転んだ
「あれ?どうかしましたか?」
目の前でぶっ倒れた文次郎を不思議そうに見下ろしてが尋ねると、文次郎はフラフラと立ち上がり片手で顔を覆った
「そうだな…、お前はそういう奴だよな…」
「え?」
何やら一人でぶつぶつと喋りながら文次郎はため息をついている
何の事が分からずが首を傾げると、文次郎はの両肩に手を置いた
「…お前だよ……」
「私? 何がですか?」
は未だ理解していない様で、本当に困惑した表情で文次郎に尋ねる
文次郎は困った顔で自分を見上げるを見て再度大きなため息をつく
「俺はお前に惚れたんだよ…、理解してくれ頼むから…」
そして半ば諦め気味に文次郎が告げると、の動きはピタリと止んでしまった
「…………」
「…………」
お互い微動だにしない
「…………」
「……おい」
痺れを切らして文次郎がに声を掛ける
「…………」
「…おい……?」
目の前でピクリとも動かないの肩を文次郎が揺さぶる
「…嘘……」
「何なんだよ…」
はやっと口を開くと、文次郎を見つめながら信じられないと言った顔で尋ねた
「冗談…ですよね?」
「何がだよ…」
「え、先輩が…その……えぇと…私の事を…好きだとか……何とか…」
「嘘でも冗談でも無い」
しどろもどろになりながら呟くの質問にハッキリと文次郎は答える
「で、でも…」
「ん?」
「私なんて見ての通り間抜けだし、先輩とまともに会話したのだって昨日が初めてで…」
は顔を真っ赤にしながらやや早口で捲くし立てる
「今も情け無い所たくさん見せちゃったし…、先輩に近付いた理由だって授業の一環で…」
「理由なんか俺だってわからん…」
「へ?」
「もう良いだろ? 惚れちまったもんは仕方ない…、良いからさっさと答えろよ」
先程からハッキリしないの言動にいい加減痺れを切らしたのか、
文次郎はぶっきら棒にそう言うと恥ずかしさの為かから視線を逸らした
「答えるって…えっと……その…」
「…………」
ほんのり赤くなっている文次郎の横顔を見つめながら、は少し考え込む
そして決意した様にパっと顔を上げた
「私…先輩の事嫌いじゃないです……」
文次郎は小さめの声で告げられた言葉を聞いての方へ振り返る
「でも……まだ先輩の事良く知らないから…」
「…そうだな、俺もまだお前の事は全然理解出来てない」
相変わらず顔を赤らめたままのに文次郎は近付くと、の髪を一房持ち上げた
「だからいきなり付き合えとは言わん、ただ…」
文次郎はそう言いながら髪に軽く口付けると、真っ直ぐを見て言った
「授業期間を過ぎた後も…、俺に会いに来てくれ」
文次郎が発するには少しばかり不似合いな台詞を聞いて、は一瞬動きを止める
しかしすぐに言葉の意味を理解すると、満面の笑みを浮かべながら頷いた
「はい、宜しくお願いします」
「あぁ、宜しくな」
文次郎は片腕で軽くを引き寄せすぐに身を引く
「それじゃぁ1限始まるし俺はそろそろ行くぞ」
「あ、はい…、」
「…また明日な」
文次郎はそう言うと踵を返して歩いて行ってしまった
は文次郎の背中を見送りながら、さり気なく"明日も会おう"と言うニュアンスの含まれた言葉を思い出し思わず笑う
「明日も頑張って早起きしなきゃ…」
そしてぽつりとそう呟くと、は部屋へと戻って行った
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「ー!!朝だよー!!」
翌朝、毎日の様に友人が布団を引っぺがすがは既に布団の中にいない
「…が早起きになるなんて……愛の力って凄いわね…」
もぬけの空となっている布団を見下ろしながら友人はポツリと呟いたその頃、
は昨日と同様に裏庭の井戸で文次郎と話していた
「おはよう御座います先輩」
「あぁ」
「今日も筋トレですか、毎日本当凄いですね…」
毎朝の如く半裸でトレーニングに勤しむ文次郎をが賞賛すると、文次郎は苦笑しながら呟いた
「まぁ…、お前が何だかんだで毎日会いに来るから休むに休めないしな」
「ご、ごめんなさい…」
「…まぁ俺があの日会いに来いって言ったんだけどな」
「そんな…、私は私が先輩に会いたいから来てるだけですよ」
文次郎の言葉にが思わず告げると、文次郎は動きを止めてため息を付きながら片手でを呼んだ
が疑問符を浮かべながら文次郎に近付くと、文次郎はの両手を握って問い掛けた
「それじゃぁ…、そろそろ本格的に俺の物になってくれるか?」
「…はい……」
文次郎の申し入れには恥ずかしそうに微笑む
そんなを文次郎は思わず抱き締め、どちらともなく口付けた
「好きだ」
「私も…、大好きです」
そしてこの日からと文次郎が早朝に会うのは日課になり、友人がを起こす事も無くなったと言う…
-END-
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'05/05/20