"名前"

すなわち所有権を示す為の記号

「物」に"名前"を付けたなら

たちまちそれは「私の物」になる




"名前"

すなわち自分を自分だと認識する為の記号

好きな人に"名前"を呼ばれたい

好きな人は"名前"で呼びたい

これは誰もが持ち合わせる至極当然の感情だと思う

想う人に"名前"で呼ばれると何とも言えない歓びを感じる

想う人を"名前"で呼ぶと一層の親しみを感じられる



"名前"

これは時に人を戒めるものに成り得る

嫌いな人に"名前"を呼ばれれば鳥肌が立つ

嫌いな人の"名前"などは口に出したくも無い



"名前"

その影響力はあまりにも偉大だ

私はそんな"名前"の持つ不思議な力に魅せられている





だから、私は"名前"に固執する





さん…僕と……付き合って下さい!!」

「嫌です」



某月某日

空は晴天

陽気はうららか

小鳥はさえずり

樹は涼やかな風にそよぐ

そんな昼下がり

相当の苦労のもと一大決心して告白したのであろう少年が一人

そんな事は関係無し、とばかりに告白を突っぱねる少女が一人…



「あなた…誰の了承を得て私の名前を呼び捨てにしているの?」

「誰って……その…」

「大体私はあなたの存在も名前も知らない」

「そ、それはこれから知っていって…」

「異性において私の名前を呼んで良いのは生涯只一人と決まっているの…もちろん私が名前を呼ぶのもその人一人…」

「そ、それって…別に好きな人がいるって事…?」



少年が何とか疑問を問いかけると、暫くの沈黙の後に少女は誰ともなしに呟いた



「……そう、私はあの人だけを愛してる。でも決して好きじゃないの」



ほとほと話が噛み合わない

話の流れだとか、会話のキャッチボールを行う機能がこの少女には欠落しているのではないか

ふと少年の頭にそんな考えが過ぎる



「それは…どういう事?」

「好きだけど好きじゃない、この想いは届かないし届けるつもりもない…」

「良く…わからないんだけど」

「つまり」



少女は一呼吸置いて少年を見つめた

その美しく鋭い眼差しに少年は思わず身動きが取れなくなる



「私はあなたと付き合わない、以上」



それだけ言い残して少女は歩いて行ってしまった

取り残された少年は先程の眼差しから逃れ、違う意味で更に動けなくなっていた



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少女は本を読んでいる

ここは図書室

利用者などいない

なぜなら今は授業中だから

もちろん司書係だっていやしない

そんな物音一つしない部屋

少女は一人本を読み続けている



「…さん、何やってるの?」



ふと後ろから声がした



「本を読んでいるの、あなたこそ何をしているのかしら」

「僕は図書係だからね、ここにいても可笑しくないだろう?」



少女は声の方を振り向いた



「そうね…あなたが例え授業中であろうと図書係がここにいても可笑しくないかもしれない」

「どういう事?」

「あなたが本物であればの話をしているの」

「…バレてた?」

「…バレバレね」



少女はそう言うと椅子から立ち上がり目の前にいる人物の頬に片手で触れた



「三郎…バレないとでも思っているの?」

「今日は結構自信あったんだけどなぁ…」



頭を掻きながら笑う三郎



「…で、一体何してるの?今は授業中でしょ?」

「その言葉、真っ直ぐ君に返すよ」

「私はサボってるのよ」

「僕もそう」



お互いに微笑む



「どうしてここに?」

「人がいる気配がしたから」

「そう…」



少女は本を元の場所に戻した後再び椅子に腰を下ろす

三郎もそれに習い隣に腰を下ろした



「今何時くらいかしら…」

「多分授業終了まで後30分はあると思うけど」

「そう、随分と暇ね」

「そうだね、本はもう良いの?」

「…三郎が来たから良いの」



先刻の少年に対するものとは打って変わったこの態度

少女は三郎に対する時だけ物腰が柔らかくなる

しかし三郎自身はその事に気付いてはいないらしい



「そりゃどうも…そういえばさっきまた告白されてた?」

「…見てたの?」

「会話は聞いてないけどね、遠くからちらっと見えたから」

「そう」

「で…」

「断ったわよ?」



三郎が口に出す一足どころか二足も先に答える



「…相変わらず頑なだね」

「そういう性格なの」



少女は顔色一つ変えずに淡々と答える



「もったいないなぁ」

「何が?」

「どうして彼氏の一人や二人作らないの?君ならどんな男でも一発OKだろ?」



悪戯っぽく笑いながら三郎が少女に言う



「…そうでもないの」

「え?」

「私の想っている人は想像以上に遠い人だから…」

「遠いって…何処か他の国にいるって事?」

「違うけど…でもきっとそれよりも遠い…」



少女は悲しげな表情になる



「私の想いは届かないし届けるつもりもない…」



少女は少年に言った言葉をまたぽつりと呟いた



「そっか…何か複雑そうだね」

「心が割り切れればそうでも無いのだけれど」

「それが出来ないから複雑なんだろ?」

「そう…ね……」



その後二人は喋らなかった

心地よい沈黙だけが二人の間を緩やかに流れていた…



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結局あの後二人は一言も言葉を交わさずに分かれた

しかしそれは日常的にありうる事なのでさして気にもならない

三郎は授業を終え騒がしくなった廊下を一人歩いていた

すると何処からかこんな会話が耳に入った



「なぁなぁ、聞いたか?」

「え、何が?」

「5年は組の生徒、またに振られたらしいぜ」

「うわ、また?」

「そう、しかもそいつがまたキツイ事言われたらしくてさぁ」

「何だよそれって」



先程まで一緒にいた少女の名前に思わず反応し、歩く速度を緩める

不自然にならないように耳に神経を集中させてなんとか会話を聞こうとした



「何でも、名前を呼ぶことは許さないって言われたらしいぜ」

「名前を呼ぶな…?意味わかんねぇ〜」

「何か、自分の名前を呼んで良いのは只一人なんだって」

「へぇ…」

「しかも自分もその一人しか名前で呼ばないらしいし」

「…それで何、その振られたやつどうしたの?」

「知らないけど…多分部屋で泣いてるんじゃねぇ?」

「はは、そうかもな」



二人の会話を聞いている途中、三郎は違和感を感じた



(名前を呼ぶな…?自分も決して名前で呼ばない……?)



思わず三郎の足が止まる

先程の会話を思い出す



「(三郎…バレないとでも思っているの?)」



「(…三郎が来たから良いの)」



(さっき…普通に名前呼ばれてたよな?)



「何してるの?」

「うゎっ……雷蔵か…」

「なんだかぼーっとしてたけど、授業にも出てなかったし、平気?」

「あ、あぁ…平気平気」



自分が変装する際に姿を借りている不破雷蔵に突然声を掛けられた為、三郎の思考はそこで止まってしまった



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「なぁ雷蔵…」

「ん?」



一緒に部屋に戻り何をするでもなくのんびり過ごしていた二人だったが、やがて三郎が雷蔵に話しかける



…いるじゃん」

「うん、さんでしょ、図書室によく本読みに来る子だよね」

「あぁ、そいつの事名前で呼んだ事ある?」

「ないよ?」

「なんでだ?」

「なんでって…呼べるくらい仲良くはないし、呼ぶと怒られるらしいから…」



雷蔵は少し考えながら言う



「どうしてそんな事?」

「いや…さっき廊下でさ……」



事のあらすじを大体話した

先程の男子達の会話

自分は普通に名前で接している事



「ねぇ、それってさん三郎の事好きなんじゃないの?」

「はぁ…?」

「だってそうとしか考えられないよ、そういえば僕三郎意外の男でさんを名前で呼んでる人知らないし」

「いや…でも遠い所にいるって言ってたんだけど」



何だか落ち着きの無い素振りで首を傾げる三郎

雷蔵は苦笑交じりにため息を付きながら三郎に言った



「三郎が気付いてくれないからじゃないの?」

「………そうか?」

「ねぇ、三郎はどうなの?」



雷蔵は意地悪く聞き返す



「何かいつもと立場逆…?」

「気にしない気にしない…で、どうなの?」



じりじりと追い詰められた三郎は少し考えてから小さく呟いた



「…良くわかんないけど……好きかも」



それを聞くと雷蔵はにこりと笑った



「じゃぁ確認してきなよ」

「え…?」

「今ならまだ図書室にいるよ、さん大抵夕方までいるから」

「…そっか」



三郎は静かに立ち上がる



「なんか柄にもなく緊張するんだけど」

「あはは、大丈夫?」

「さぁな、それじゃぁ行って来る」

「いってらっしゃーい」



雷蔵に見送られ、三郎は部屋から出ると図書室へ向かった



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少女は一人本を呼んでいる

しかし実際の所本を読んではいない

一見して本を読んでいるようだが、実はそうじゃない



「…………」



だったら何をしているのやら

それは本を読んでいる素振りを見せつつ考え事をしてるに他ならない



「壊れて無くなる……現実は残酷だわ…」



小さな声だった

それはとても小さな声だった

しかし誰もいない図書室にその声はリンと響き渡る



「何が…壊れるの?」

「……今までの現実が…崩れてしまうの…」



背後からの突然の声

少女は身動き一つ取らずに、

又声を振り返ろうともせずに答える

その声は微かに震えているように聞こえた







その名前を口にする



「何?」



少女はあくまで淡々と応答する



「名前で呼ぶと怒られるって」



少しだけ悪戯な笑みを浮かべる



「そう…ね」



少女は後姿のまま考えるように頷く



「俺怒られた記憶無いんだけど…」



顔は笑っているが心はそう行かない



「………」



どうやらソレは少女も同じようだ



「ねぇ…」



暫しの沈黙の後そっと声を掛ける



「……なに…」



もう消えて無くなってしまいそうな小さな声



「自惚れても良いの?」



少女は何も答えなかった



…」



そっと近づき後ろから抱きしめる

それぞれであるお互いの体温はやがて融合し二人の体温が同じになる



「俺…が好きだ……」

「…………どうして…」



その目には大粒の涙が浮かんでいる



…?」

「どうして…?諦めていたのに……私は…私…は……」



堪えていた物が溢れ出す

それは絶えず流れ続ける

三郎は少し戸惑いながらもそれを自らの舌で拭う



「諦める必要なんか…ないじゃないか」



その柔らかな頬に唇を寄せた後耳元で低く呟く



「私は貴方の名前しかしらない…」

「え……?」



少女は小さく

しかし何処か強い口調で話し始めた



「私は…貴方の名前を知っている、でも…名前以外の事は何も知らない……顔も…性格も……三郎の事…何も知らない…」

…」

「知りたいのに…恐くて近づけなかった…、私が近づいたら三郎が消えちゃう気がして…」



三郎は一層強く少女を抱きしめた



「月並みな台詞しか出てこないけど…これから知っていくんじゃ駄目なの?」



真っ直ぐに少女の目を見つめる



「これから…」

「駄目…かな」

「教えてくれるの…?」



すがる様な目で三郎を見つめ返す

それはいつもの少女からはまるで想像出来なくて



「俺も…の事まだ全然知らない……だから…」

「………」

……」

「三郎……」



名前を呼ばれる事を拒絶し続けた少女が一人

そんな少女を呼ぶ事が唯一許された少年が一人…

夕陽に照らし出された影が壁に長く伸びる




その影はやがて重なった





- END -



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