「潮江文次郎」

「あ?」

「潮江」

「何だよ」

「文次郎」

「はぁ?」



先程から意味も無く、とりあえず文次郎を呼び続けるのは

文次郎の額には次第に青筋が浮かぶ



「もんじ」

「お前いい加減にしとけ」

「もんもん」

「っだから何なんだよ一体!!」



文次郎はついにの襟を掴み問いただす

しかしはしれっとしたまま視線を宙に泳がしたまま未だにぶつぶつと呟いている



「もんちゃん…とか?」

「……………」

「じろっちょ…!!」

「……………」



文次郎は手を離した

どうやら諦めたらしい

に背を向けて課題をやり始めてしまった



「しおりん……は変、つーか気持ち悪い」



するとは呟きながら文次郎に近寄り背中合わせに座る

そして遠慮無しにその大きな背中にもたれ掛かった



「さっきから何なんだよ一体……」



目の前の教科書に目を向けたまま呆れつつ尋ねる

はやっと文次郎の言葉に返答した



「あだ名を考えてたの」

「あだ名ぁ?」

「うん」



益々意味がわからないといった口調の文次郎に、は問いかける



「お前は私をと呼ぶ」

「あぁ…」

「でも私はお前を名前では呼びたくない」

「意味がわかんねぇ」

「だってお前の事を名前で呼ぶ人間は他にもいるじゃない」



は実に真剣な顔でそう言いながら、自分の言葉に頷いた



「だからって何で"もんちゃん"だの"もんもん"って名前になるんだよ…」

「だって、お前の名前は捻り難いんだもの」

「んな事知るかよ、とにかく変な名前で呼ぶな」

「だからこうして悩んでるんでしょうが」



は文次郎にもたれ掛かったまま腕組みして再度悩み始める



「お前は私に何て呼んで欲しい?」

「何て呼んで、って…………」

「誰も呼んでいない名前で呼びたいんだよ」

「誰も、なぁ…」



の言葉で文次郎まで悩み始める



「別に何でも良い」

「じゃぁもんも…」

「わかった、真面目に考えてやるからそれはやめろ」



の言葉を遮り片手で顔を覆いながら文次郎はため息を付く

いつだってこう

のペースに一度嵌るともう抜け出すことは敵わないのだ



「……………」

「……………」



二人が似たようなポーズで悩んでいると、部屋のもう一人の主である仙蔵が戻ってきた



、また来ていたのか」

「あぁ、立花、お邪魔してるよ」

「別に構わんが…二人して何をしてるんだ?」



仙蔵は入り口で足を止めたまま真剣に悩む二人に呆れた様子で問い掛ける



「うん、実は今こいつのあだ名を考えていたんだ」



はそう言うと文次郎を指差す



「あだ名…?」

「うん、あだ名」



聞き返す仙蔵ににっこりとそう答えるとは仙蔵に意見を求めた



「何か良い名前は無いかな?」



がそう仙蔵に聞くと、仙蔵は文次郎に尋ねる



「と言うか…、お前のあだ名をつける意義が何処にあるんだ?」

「俺に聞くな」



仙蔵に聞かれた文次郎は困り果てて自棄になっている



「なぁ、別に文次郎のままでも良いと思うんだが…」

「でも、立花だって文次郎って呼んでるでしょ?」

「……どう言う事だ?」

「人と同じじゃつまらないって事」

「はぁ……」



仙蔵は文次郎との前に同じように腰掛ける



「それに、何かを考える事は脳にも良いし、人生には面白みが必要だと思わない?」

「だからってそれを俺で満たそうとするな」

「いや、気持ちは解るぞ、こいつは実にいじりがいがあるからな」

「だよね〜」

「お前等…」



好き勝手言い放題の仙蔵と

文次郎は何とか二人を止めようと思い、何かを言い掛ける

しかし言っても無駄だと言う事を悟り、諦めた様に途中で言葉を飲み込んだ



「でもさ、文次郎って変な名前だよね」

「んな事言ったら4年の滝夜叉丸の方が可笑しいだろうが」

「私はと言う名も中々珍しいと思うが…」

「伊作、とか長次、とかは結構普通だな」

「渦正っつーのも結構珍しいよな…」

「そんな事を言ったら黒古毛般蔵先生はどうなる」



取りとめも無くそんな事を話しているとがふと首を傾げた



「所で何で私らは人の名前の品評会をしてるんだ?」

「「お前のせいだ」」



そんなこんなで結局話しは逸れてしまい、文次郎のあだ名はいつの間にか忘れられていた



「あ、もうそろそろ戻らなきゃ」

「もうそんな時間か」

「ったく…訳わかんねぇ話しで時間潰しちまった…」



はゆっくり立ち上がって伸びをする

仙蔵は外の夕陽を見ながらあくびをした

文次郎はごろりとその場に横になる



「それじゃぁまた」

「あぁ、またな」

「じゃぁな」



は襖を開けて廊下に出ると、軽く跳躍して飛び去った

が居なくなった部屋では仙蔵が窓に背を向けながら文次郎を見下ろしている



「相変わらず振り回されっぱなしだな」

「あいつの考える事は全くわからん」

「だからこそ惹かれてるんだろう?」

「馬鹿言うな」

「顔が赤いぞ」

「夕陽のせいだ」



文次郎は仙蔵とは反対の方向に体を向けた



「しかし中々に愛されてるじゃないか」

「はぁ?」



仙蔵の突拍子も無い言葉に、思わず反対を向いたばかりの体を捻り仙蔵の方を見る



の考えとしては、結局お前を独り占めしたいんだろう?」

「何でそうなるんだよ」

「最初に言ってただろう。人と同じじゃつまらない、と」

「言ってたか?」

「全くお前は…」



仙蔵は首を傾げる文次郎に呆れた様にため息を付いた



「まぁ良い、良く聞け」



仙蔵は文次郎の目の前に腰を下ろすと話し始める



「人と同じじゃ嫌と言う事は、特別扱いしたい、又はして貰いたいと言う気持ちの表れだ」

「…………」

「つまり、はお前をそれだけ好いているんだろ」



面倒臭そうにそう告げると仙蔵は立ち上がった



「鈍いのは構わんが、ぼやぼやしていると私が奪うぞ」

「なっ…お前………!?」

程の女はそういない、あの猫の様な気まぐれな性格は私も惹かれる物がある」

「正気か」

「当然」



仙蔵はにやりと不敵に微笑む



「………悪ぃが渡す気は無いぞ」

「そうか。それならもっと大切にしてやる事だな」

「何だそれ」

「お前が思っているより女とは儚い物だ」



仙蔵はそう言うと文次郎に背を向け部屋の入り口まで進む



「まぁお前にはわからんだろうがな」



それだけ言い残すと仙蔵は部屋を後にした



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「…さて、これで満足か?」

「有難う立花。多少面倒臭そうだったのが気になるけど、それはこの際置いておくわ」



廊下を出て少し先を行った場所にある庭

仙蔵とが話している



「何で私があんな台詞を…」

「いや、あの台詞は立花が言ってこそでしょ」

「…まぁ良い、しかしお前の考えてる事は本当にわからないな」



仙蔵は呆れた様に深くため息をつき、文次郎に少し同情した

どうやら先程のが出て行った後の台詞、全てはが仙蔵に言ってくれと頼んだ物らしい



「ふふ、これでアイツもちょっとは私の事構ってくれるかなぁ?」

「知らん」

「立花ってば冷たいな、乙女心は割りと繊細なんだからね」



そう言って悪戯っぽく笑う



「大体なんで私がお前を頂く等と宣言しなければいけないんだ」

「まぁまぁ、そこら辺は深く気にしちゃ駄目よ」

「文次郎も気の毒にな…」



仙蔵がそう呟いて大きくため息を付いた頃

文次郎は一人部屋の中で腕組みをしていた



「っくしゅ!!………あ"〜…、誰か噂してやがんな…」



静かな部屋で一つ大きなくしゃみをする

文次郎はぶつぶつと文句を言いながらこちらも盛大にため息を付いた



「大切にったってなぁ………」



どうやら先程の仙蔵の言葉が堪えているらしい

まぁ全てはの策略による言葉なのだが

文次郎には割と良く効いた様だ



「お邪魔するよー」

…」



突然先程出て行ったはずのが勢い良く扉を開けて入って来た



「お前部屋戻ったんじゃないのか?」

「忘れてた事があってね」

「忘れてた事…?」



文次郎がを見上げたまま尋ねると、はその場にしゃがみ込み、素早く文次郎の傍に寄る



「…………っ」



怪訝な顔をして文次郎がの動向を見つめていると、ふいにの顔が近付き唇に柔らかい感触が走った

一瞬文次郎は凍りついた様に動かなくなる

はそっと唇を離して固まっている文次郎を満足そうに見た



「なっ…お前何考えて……!!」

「何考えてるかって?そりゃぁアンタの事かな、文次郎」



ややつり目がちの大きな目が嬉しそうに閉じられた

悪戯っぽく笑うその表情は仙蔵の言う通り猫その物で

思わずその笑みに気を取られていたが、ふと気付いて口を開く



「…やっぱ普通が一番落ち着くな」

「普通?」

「もんちゃんだのじろっちょだの呼ばれても困る…」



文次郎がやや情けない顔で告げるとは噴出した



「そうだね、確かに私も嫌だよ」

「あぁ、頼むから普通に名前で呼んでくれ」

「了解」



くすくすと笑みを漏らしながら答えるに、文次郎は何やら考え込んでいる



「文次郎?」

「あー……」

「何唸ってんの?」

「いや…」



文次郎は短く答えるとを抱き締めた



「何?」

「別に…」

「まぁ良いけど」



文次郎の腕に抱かれながら、は嬉しそうに笑った

大方先程の仙蔵の言葉通り彼なり"優しく"しているつもりなんだろう

は内心で上手く引っかかってくれた物だと不敵に微笑んだ



「本当に単純なんだから…」



小さくそう呟くと満足そうに文次郎の背中に手を回した



「何か言ったか?」

「いーや、何も?」

「……まぁ良いけどよ」



文次郎は釈然としないまま呟くと腕に力を込めた

は文次郎の肩に頬を寄せる



「立花には感謝しないとね」

「は?そういやぁアイツ何処行ったんだ?」

「善法寺の部屋」

「何でだよ」

「私が頼んだから」

「……?」



結局仙蔵も文次郎も猫以上に気紛れで可愛らしいには敵わないと言う事なのか

は全て思惑通り運んだ事への満足感から幸せ一杯の笑みを浮かべた



- END -



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'04/07/24