「あ、綾部くん…」

「……………?」



真夜中

厠へ行こうと廊下に出ると上から声が降ってきた



「……そんな所で何してるの…」



当たり前の質問を当たり前の様にすると、ある人物が天井から降りてきた



「散歩……かな?」



音も無く廊下に降り立つとと呼ばれた人物は明るく笑いながら首を傾げた



「散歩かな、って……………、こんな時間に?」

「んーーー……やっぱりおかしい?」



綾部の言葉に少しだけ難しい顔をして考え込む

そして何か閃いた様に顔を上げると、綾部の手を取り微笑んだ



「ねぇ、これから少し一緒に外に行かない?」

「……今から?」

「うん」

「…外に?」

「うん」

「…この格好で?」



綾部は自分が寝巻き姿である事を主張しながら訪ねる



「着替えても良いけど…そのままでも良いんじゃない?」

「……行かないって選択肢は無いんだ…」



苦笑しながら呟くと満面の笑みを浮かべながら言い放った



「だって綾部くんは付いて来てくれるでしょ?」



可愛らしい笑顔でこうもきっぱり言い切られては流石に断ることも出来ない

綾部はため息を一つつくとくるりと後ろを向いた



「着替えてくる、ついでに厠にも行きたいから…少しそこら辺で待っててよ」



綾部はそう言い残して部屋へ戻って行った



「わかった、それじゃぁ私もう少しあっちに行ってるね」



は塀の向こうを指差すと軽い身のこなしでその場から消えた



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「綾部くん、こっちこっち」



綾部が着替えを済ませて廊下に出ると塀の向こうから手をひらひらと振っている



「…あぁ、今行く」



綾部はその場で軽く跳躍すると音も無く塀を飛び越えた



「よし、それじゃぁ行こう」

「……何処に?」

「ちゃんと決めてないけど…まぁ適当に」

「まぁいいけど…」



先に立ってどんどん歩いていく背中を素直に追いかけながら綾部は一つだけため息を付いた



「変な奴だな…」



こっそり呟いたつもりなのだがくるりと振り返り不思議そうに訪ねる



「何が?」

「いや、こっちの話しだからは気にしなくて良いよ」

「……そうなの?…あ、そうだ」



ふと思い出したように綾部を見ると微笑む



「私の事ね、苗字じゃなくて名前で呼んで欲しいんだけど、駄目?」



そう言って少しだけ首を傾げて綾部の顔を覗き込む

綾部は微笑を浮かべると口元に手を当てながら答えた



「良いよ、よろしくね、



綾部が名前を呼んだ途端顔がぱっと晴れる

そして嬉しそうに微笑んだ



「じゃぁ僕の事も名前で良いから」

「本当?」

「うん」

「えっと……喜八郎…だよね?」

「そうだよ」



綾部が頷いてそう言うとは笑う



「嬉しいな…、喜八郎くんとこうやって喋れる日が来るとは思わなかった」



その場でくるくると回りながらは嬉しそうに言う

綾部はの何処までも子供じみた言動を微笑ましく見守りながら小さく笑った



「僕も、あまりとは面識無かったからね」

「女子と男子は滅多に話す機会ないもんね」

「しかも寮の行き来も厳しいし」

「本当だよね、喜八郎くんと会ったのなんてきっと1年生の時くらいだよ」



二人はそんな事をのんびりと話しながら緩やかな山道を歩いていく



「所でこんな山奥に一体何の用なの?」

「んー?」



は後ろ向きに歩きながら綾部の顔を見て恥ずかしそうに笑う



「実は大した用事は無いの」

「どう言う事?」

「ちょっと眠れなくなっちゃったからウロウロしてたんだ」

「はぁ…」

「でね、どうしようかなーって困ってたら喜八郎くんが丁度通りかかったから…」

「そっか、でも眠れないからって男子寮に忍び込むのはどうかと思うよ」



綾部が苦笑しながらそう言うとは困った様に笑い頭を掻いた



「んーー、…ちょっと訳ありでね」

「訳?」

「…まぁ大した事じゃないんだけど…」

「何?」

「いや……本当は誰かに会いたかっただけなんだけど…女の子だとちょっと今駄目なの…」

「………ごめん全然良くわからないんだけど」



疑問符を浮かべたまま首を傾げる綾部には小さく笑う

そして少し考え込んだものの、結局確信に迫る事は何も答えなかった



「まぁもう済んだ事だから気にしなくて良いんだ」

「いや、そう言われても…」

「喜八郎くんに会えたから、もうそれで良いの」

「良くわかんないけど……まぁ…良いか………」



未だ釈然としないながらも綾部はそう自分を納得させるとの手を取った



「じゃぁ行こうか」

「へ?何処に??」

「何処にって…、そこら辺散歩するんだろ?」



綾部はそう言うとの手を引き歩き出す



「…………」

「どうかした?」

「あの…」

「うん」

「…有難う……。ごめんね…?」

「………別に良いよ」



綾部はそのままの手をやんわり握ったまま

はそんな綾部の意外な行動に赤面したまま

真夜中の道を二人で歩いた



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「あ、喜八郎くんちょっと待って」



2人は暫く手を繋いだままてくてくと歩いて居たが、がふと立ち止まる



「何?」

「あそこ、川があるよ」

「あぁ本当だ……ちょっと休んでく?」

「うん!」



綾部がに訪ねるとは嬉しそうに笑った

するりと綾部の手から抜け出し小走りで川に向かって走り出す

綾部はそんなの背中に違和感を感じながらもその後へと続いた



「ひゃー、気持ち良い〜」



川に近付くや否やは川の中へ足を浸す



「転ばないようにね」

「大丈夫、喜八郎くんも一緒に入れば?気持ち良いよ」

「そうだな…今夜は暑いし……ちょっとくらい良いかもね」



綾部はの言葉に促され両足の裾を捲ると川へそっと入る



「結構冷たいね」

「うん、ちょっと冷たいかも、でも川で遊ぶのなんて凄い久々」

「そうなの?」

「そうだけど…何で?」

なら何だか毎日こんな事してそうだなと思ってさ」



綾部はそう言いながら水を蹴り上げた



「……そう…だね」

「どうしたの?」

「毎日…こんな風に明るいままでいられたら良いのにね……」

?」

「ぁ、…何でも無い……。ごめん、ちょっとぼんやりしちゃった」



綾部の言葉に我に返ったように一瞬驚いた様に顔を上げる

そして綾部の方を向いて焦った様に笑いながら答えた



「…何か無理して笑ってるみたいに見えるんだけど」

「そんな事ないよ」



綾部は一つため息を付くと頭を掻きながら呟いた



…嘘付くの下手だね」



そう言うとばしゃばしゃと音を立てながらに近付く



「別に嘘なんか付いてないよ?」



未だ困ったように笑うの片手を少々乱暴に掴む



「話したくないのは構わないけど、その顔やめてくれない?」

「その顔って……何…」

「その泣きそうな顔」



綾部はそれだけ言うと掴んでいた腕を離す

そしてに背を向けた



「さっきから変だとは思ってたんだけどさ」

「何が……?」

「何か笑ってるのに悲しそうなんだよね、の顔」

「…だって……駄目なんだもん……」



とても小さな声でそう呟いたのが聞こえた途端綾部の背後で激しく水飛沫が上がる

何事かと綾部が振り返ればが水の中に座り込んでいた



?」



綾部は少ししゃがみ込んでの顔を覗き込む

は俯いたまま独り言の様に呟いた



「何で…?」

…」

「私…そんな顔………泣きそうだなんて…そんな…」



顔を両手で覆ったまま独り言の様に呟く

綾部はそんなのただ事では無い様子を見て思わず動きを止める



「恐いの…私……血が、…いっぱいで……」

?しっかりしてよ、ねぇ」



綾部はそう言いながらの肩を掴むが、は綾部の方を見もせずひたすら何事かを反芻していた



「私は…」



俯いて力無く項垂れたまま、は呟く



「私はくの一になんかなれない…」



の頬から流れた涙がぽつりぽつりと川に落ちる



「やめたい」

「………」

「…やめたいの……」



の口から出た言葉に、綾部は戸惑う



「やめたいってくの一をって事?…一体何があったの…?」



綾部が落ち着かせようとゆっくりとした口調で訪ねると、は溢れる涙もそのままに綾部の顔を見上げた



「………」



綾部はそんなの顔を見て思わず息を飲む

目の前にいるのは、先程の子供っぽくあどけない笑顔のでは無かった

水に濡れ虚ろ気な目をしてそこに佇むは妖艶で、とても先程のと同一人物には見えない



「ねぇ…喜八郎くんは私をどう思った…?」



は川の中に身を置いたまま綾部に尋ねる



「どう思ったって…何が……」

「さっき私と最初に会った時…私をどんな風に見た…?」

「……子供っぽい………とてもじゃないけど同年代には見えないと思ったけど」



綾部が戸惑いながらもそう告げるとは自嘲気味に笑う



「そう…私もそう思ってた……いつも他人にそう言われて……自分でもどうしてもう少し大人っぽくなれないんだろうって…」

「……………」

「でも…違った……」

「何が…?」

「私は……私が恐い…」

「どうして……」



脈絡の無い話は大よそ検討も付かない

綾部はなるべくに刺激を与えない様に問いかけた



「先週、授業で実習があったの…」

「実習…?」

「そう……ある城までの届け物の課題…本当は先生やクラスの子が罠を仕掛けるはずだったのに…」



はその日を思い出すように話し始めた



「何処からか授業の内容が漏れて…私は敵に襲われて……」

「敵って……一体何処の…」

「わからない……でも殺されそうになって…必死で逃げたけど………あっと言う間に追いつかれて……」



川の流れに身を浸しながら先日の事を思い出し、の身体は小さく震える



「もう駄目だって思った瞬間何も考えられなくなって……」

「………」

「気付いたら……私……っ…」



そこまで言葉に出した後、は自身の身体を抱いて黙り込んだ

綾部はそっとに近寄ると震えるの背中をさすりながら優しく呟く



「落ち着いて……辛ければ話さなくても良いから」

「血が……」

「血…?」

「目の前に……血がいっぱい…で…真っ赤だったの……私は…綺麗だな……思……って…」



は綾部に縋り付きながら何かを拒絶するように頭を左右に振る



「……先生が呼んでるのが聞こえた…けど……私……可笑しくなってて…」

「………?」

「楽しかった……私を見上げて怯えた顔をしているその人の表情が…」

「…………」

「…苦痛に歪んだその顔を見てたら、何かもう止まらなくて……」

……、いい加減目覚ましなよ」



綾部は泣き続けるの表情を見つめていたが、やがてぼそりと呟くと両手での頬を挟むように叩いた

加減はしたもののやはり強かったのだろうか

ぴしゃりと言う音が水滴と共に弾ける



「…な……喜八郎…く…」



急な衝撃に驚いた顔をするに綾部は不機嫌そうに言い放つ



「それは単純にが弱かっただけでしょ?」

「……弱…い…?」

「それ、僕も同じ症状に陥った事あった」



綾部はそう言うと、叩いてしまったの頬に優しく触れた



「恐怖の余り自分を失くして、すっかり狂気に取り付かれてさ」

「…………」

「大丈夫だから、少し深呼吸してごらん」



綾部に言われるがままはおずおずと息を吸い込みゆっくり吐き出す

2,3回繰り返した所で綾部はをしっかりと抱き締めた



「目瞑って」

「…………」

「良く聞いて」



切れ切れに離す綾部の声を聞きながらは震える腕で綾部の背中に手を回した



「恐がらなくて良いから。人は追い詰められれば誰でもおかしくなるんだよ」

「…………」

「殺す事も殺される事も恐くて当たり前だろ?」

「………、」



綾部の問いかけにはゆっくり頷く



「でも僕達はいずれそんな当たり前の事さえ許されなくなる時が来る……、でもそれを選んだのは僕達自身だ」



そこまで言うと綾部は未だ怯えた顔のを見て優しく微笑んだ



「でも…今はまだ恐くて良いと思う。半人前だし」



の髪の毛を優しく梳くと、綾部はそれに口付けた



「一流の忍者になれば自分が人を殺す事を何とも思わなくなるのかもしれないけど…」



ゆっくり唇を離すと綾部はを見つめる



「僕はにはそうならないで欲しいな」

「喜八郎くん…」

「何?」



今にも消えそうな声で呟いたに綾部はそっと返事を返す



「私…くの一になるよ……」

「…………うん…」

「頑張って…強くなる……強くなって…殺さずに済むように手加減とかも覚える…」

「そうだね、それがいいよ」

「うん。でも、きっと一人じゃ無理だから……」



は顔を上げると綾部を見上げた



「少しだけ…手伝ってくれる……?」



そう尋ねるの顔には迷いは見えなかった

悲しみも苦しみも全てを克服したかの様にじっと綾部の目を見つめている



「……………」



暫く驚いた様にを見つめていた綾部だったが、やがて小さく笑う



「もちろん」



綾部はそう答えると、自分の額をの額にこつんと当てる

そうして暫く見詰め合っていた二人は、やがてどちらともなく口付けた



「……何か…変なの………」

「…何が……?」

「だって……私喜八郎くんと話したの…今日が初めてなのに…」



はそう言うとやっと笑顔を見せた



「確かに………でも、まぁこう言うのは縁だから」

「そっか…そうだよね」



綾部の言葉に嬉しそうに笑うとは綾部の肩に顔を埋めた



「そう言えば、最初誰かに会いたかったって言ってたけど…あれどう言う意味?」



ふと思い出したように綾部が訪ねる

は少しだけ考えると恥ずかしそうに告げた



「恐くて眠れなくなっちゃって…誰でも良いからこうして傍に居て欲しかったの」

「…何で女の子だと駄目なの?」

「だって…皆あの日の私を見てたから……拒絶されるんじゃないかと思ったら恐くて…」

「………そっか…、」



苦笑しながら告げるに綾部が一瞬黙り込む



「あ、あの、でももう大丈夫だよ?」



そんな綾部に気付きは慌てた様に訂正する



「本当に…?」

「本当だって、喜八郎くんのお陰。まだちょっと辛いけど……でもきっと大丈夫……喜八郎くんがそう言ってくれたでしょ」

「そうだね、うん……。きっと大丈夫だと思うよ」



の言葉に綾部は安心したのか、今まで以上に力強くの体を抱き締めた



「今夜……出会えたのが喜八郎くんで良かった……」

「僕も…に会えて良かったよ」



二人は顔を見合わせて微笑み合う



「まぁ出会いの切っ掛けは厠なんだけどね」

「…それは言っちゃ駄目」



- END -



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'04/06/29