26.とりあえず



最近の僕はちょっとおかしい

この前、町に出かけたあの日…

"あの子"に出会ったあの日から―



「きゃっ!?」

「うわっ!?」



あの日、僕は町で余所見をしていたら女の子にぶつかってしまった

その女の子の手から落ちた紙袋には蜜柑が山程入っていて

僕はあちこちに散らばってしまった蜜柑を慌てて拾いながら女の子に尋ねた



「あの、ごめんね、怪我は無い?」

「あ、はい、大丈夫です…」

「良かったぁ」

「すいません、全部拾って頂いて…」

「ううん、僕の不注意だから」

「でも…」



そう、ぶつかってしまったのは完全に僕の過失

色んなお店に気を取られていて全然前を見ていなかったんだから

それなのに、その子は申し訳なさそうに僕を見上げる



「おーい雷蔵!!何やってんだ〜?」

「あ、兵助…」



向こうから一緒に来ていた兵助に呼ばれ、僕は慌てて"すぐ行く"と返事をした



「あの、友達が呼んでるからもう行かなくちゃ」

「あ、はい」

「それじゃぁさよなら」

「……っあの!!」

「え?」



兵助の所へ行こうと足を踏み出した瞬間その子が僕を呼び止めた



「蜜柑、拾ってくれて有難う!!」



振り返った僕の眼に入ったのは本当に輝いてるんじゃないかと思う位の笑顔

僕は思わず転びそうになったんだけど、どうにか持ち直してそのまま兵助の元へ走った



「何やってたんだ?」

「あ、うん…、実はちょっとよそ見しててぶつかっちゃって…」

「あぁなるほどね、…雷蔵、顔赤いよ?」

「へっ!?」



兵助に言われて両手を頬に当てると確かに僕の両頬は熱を発していた…



と、まぁそんな事があってから、僕は何だかおかしくなった

あの子のあの笑顔が頭から片時も離れない

何だろう

何なんだろう?

考えても良く解らなくて、でも誰かに相談するのは気が引けて…

結局結論が出ないままずるずると1日が過ぎて行く

三郎や兵助にも言われてる通り、優柔不断な自分の性格が嫌で嫌で仕方ない

嫌で嫌で、仕方ないんだけど…



「良いや…、とりあえず、保留って事にしておこう…」



名前も知らない女の子の笑顔を思い浮かべたまま、僕は成す術なく苦笑した



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27.素肌



「……仙蔵は本当に色が白いねぇ…」



感嘆のため息を漏らしながらそう呟く



「…それは嫌味か?」

「違うよ、本当にそう思ったの」



は仙蔵のしなやかな肩に手を置きながら答える



「男がそう言われても褒め言葉にはならない」

「……でも羨ましいなぁ…」



そう言いながら仙蔵の肩に湿布薬を貼り付ける



「………っ」

「あ、冷たかった?」

「………いや、平気だ」



仙蔵は先程の授業で肩を打ってしまったらしい



「珍しいね、仙蔵が怪我するなんて」

「…少し、寝不足でな」

「へぇ…」



湿布薬を貼った所をさする



「………?」



の手が仙蔵の背中をゆっくりと伝う



「何しているんだ?」

「…仙蔵の肌って決め細やかだよね、なめらかで気持ち良い……」

「………褒めているつもりか?」



半ば呆れた口調の仙蔵、しかし表情は何処か優しい



「良いな…白くて……綺麗で…何で私とはこんなに違うんだろう?」

「何をそう悲観する必要があるのかわからんな…」

「え?」

だって十分美しい部類に入るだろう」



仙蔵はに微笑みかける



「……それって自分も美しいって言ってるんだよね」

「まぁな」

「流石仙蔵サマ、その通りで御座いますね」



苦笑しながら仙蔵の肩に抱きつく



「仙蔵……」

「……何だ?」



微かにの腕の力が弱まった



「………………………湿布臭い」

「…………あのな…」



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28.向こうから見たこっち



ゆら ゆら   ゆら     ゆら…

船に揺られながら海面を見下ろす

水底では小魚が群れ、広がったり集まったりしながら悠々と泳いでいる姿が見える



「おい蜉蝣!!そろそろ休憩にするぞ!!」

「へい!!」



ぼんやりしていると突然のお頭の声がした

とりあえず返事をして、何となく遥か向こうにある陸地を見据える



「…………」



向こうの陸地には自分の愛する人が居て、自分の帰りを待っていてくれている

しかしこうして船から向こうを眺めていると、ときおり不安になる

目の届かない海の向こう

お前は何をしてるんだろうか

お前は俺の居る海を眺めているだろうか



「情けねぇ…」



長く離れすぎたからだろうか

思わず頭を掠めた、嫌に乙女じみた思考を鼻で笑いもう一度海面を見下ろす



「良い天気だなぁ…全く」



ゆら ゆら   ゆら     ゆら…

水面に映る空を見ながらそんな事を呟いて、愛しい顔を胸にしまった



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29.まぶしい



「網問くん、おはよ〜!!」

「あ、おはようちゃん!!」



朝も早くからとっても気持ちの良い挨拶が交わされる

は町の小料理屋の一人娘らしく、数日前から第三共栄丸率いる水軍に魚を分けて貰う様になっていた

初めてが船を尋ねて来た時に対応して以来、に魚を渡すのは網問の役目になっている



「今日は何が欲しいの?」

「えっとねぇ、金目鯛と適当な小魚少しかな」

「鯛?何か祝い事でもあるの?」



網問はから桶を受け取りながら尋ねる



「何かね何処かの娘さんの結婚式に出すお料理を頼まれたの」



網問の問いには嬉しそうに応えると両手を組んで目を伏せた



「明日が挙式なんだけどね、お嫁さんすっごく綺麗な人なんだ」

「へぇ、結婚式かぁ」

「うん、花嫁衣裳も綺麗だったなぁ…」

「花嫁衣裳ねぇ…」



うっとりと回想するの横で、桶に魚を入れながら網問はふとの白無垢姿を思い浮かべた



「花嫁衣裳って良いよね」

「あ、網問くんもそう思う?やっぱり良いよね、純白の白無垢!!」

「うん、ちゃんに凄く似合いそう」



屈託の無い笑みでそう言いながら笑い掛ける



「本当?嬉しいな」



本当に嬉しそうな表情のに網問の顔は意図せず赤くなる



「網問くん?」

「え?あぁごめん、はいこれ」



固まってしまった網問を不思議そうに見つめるに呼ばれ、網問は慌てて魚のたくさん入った桶をに渡した



「何か多いけど、こんなに貰って良いの?」

「結婚式なんてお目出度い事だしね、ちょっとおまけ」

「有難う、今度網問くんもうちの店に食べに来てね、いつものお礼にご馳走するから」



は桶を両腕で抱えながら網問にそう言い微笑んだ



「うん、その内絶対お頭達と一緒に行くよ」

「解った、楽しみにしてる!! っと、それじゃぁ私今日はもう帰るね、お父さんも待ってるから」

「あ、うん、気をつけて」

「はーい、じゃぁまた今度ね〜」



片手で桶を持ち片手で手を振り、危なっかしくよろめきながらの姿は小さくなって行った

浜辺に残された網問はの姿が見えなくなるまで見送り、ようやく見えなくなった所で小さくため息をついた



「また今度、かぁ…」



"次はいつ会えるのかな"なんて事を考えながら、網問は仕事に戻って行く

そしてその現場を偶然にも船の上から見物していた義丸と第三共栄丸は仕事に戻る網問の姿を目で追いながら微笑んだ



「いやぁ〜、青いですねぇ…、まぶし過ぎて俺にゃぁ直視出来ねぇや」

「そうだろうなぁ、お前も網問を見習ってちったぁ純粋に生きてみろ」

「お頭ぁ、そりゃないですよ…」




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30.爪



「おい義丸」

「何すか?」



ある日の暑い昼下がり

上半身裸状態で甲板の掃除をしていると鬼蜘蛛丸に呼び止められ、義丸は振り返る



「背中、跡付いてんぞ」



自分の背中を指差され、義丸は体を捻った

しかし、当たり前の事ながら自分の背中は自分では見えない



「何処っすか?」

「此処だよ。しっかり4本、左右1箇所ずつな」



鬼蜘蛛丸が示したのは丁度肩甲骨の下辺り

左右にバッチリと跡が付いているらしい



「あー、昨日の…」



それは誰にともなく呟いた言葉だったが、鬼蜘蛛丸はそんな義丸の言葉を聞いて笑った



「若ぇな」

「いやぁ、生涯現役っすよ」

「色町の女か?」

「やっぱそう思います?でも違うんですよ」

「ほぅ」



義丸の意外な言葉に、鬼蜘蛛丸は首を傾げる



「俺みたいなのでも一応本命っつーのが居るんです」

「そりゃ初耳だな、いつ知り合ったんだ?」

「いつっつーか、実は水軍に入るずっと前から知り合ってはいたんですけどね」



そこで一呼吸置くと、義丸は珍しく照れた素振りを見せながら鬼蜘蛛丸に語った



って言うんですけどね、ガキの頃から家が隣同士で、まぁ腐れ縁みたいな感じでずるずるーっと…」

「で、結局くっついたって訳か」

「まぁ、紆余曲折すっ飛ばせばそんな感じっす」

「そうか」



鬼蜘蛛丸は何となく悪戯な笑みを浮かべて義丸を見た

義丸はそんな鬼蜘蛛丸の笑みに思わず汗を浮かべる



「何をそんな笑ってるんですか」

「いや、お前の女になるってのは大変だろうなと思ってよ」

「…きっぱり否定出来ないのが悔しいっすね」



義丸が肩を落として呟くと、鬼蜘蛛丸は豪快に笑って義丸の背中を叩いた



「まぁ大事にしてやる事だな」

「鬼蜘蛛丸さん…、俺、今背中叩かれると痛いんですけど……」



義丸はため息と苦笑を交えながら呟いた



「それに、言われなくても精一杯大事にしてみせますよ」



そして大真面目な顔をして鬼蜘蛛丸にそう告げた後、にっかりと笑って空を仰ぐ

愛しい人の爪痕が、叩かれたせいか少しだけ痛かった