「失礼します」
誰も居ない事は承知の上で、ソールはそれでも律儀に一声を掛けてから医務室へと入った
いつも傍らでを見守っているホムンクルスは鎮魂の花びらの採取に行っている為今日は居らず、医務室はシンと静まり返っている
ソールは後ろ手で静かに扉を閉めて、少女の眠るベッドへと歩み寄ると脇に置かれた椅子に腰を掛けるとその顔をじっと見下ろした
「………」
カチコチと時計の秒針だけが聞こえる部屋の中で、は相変わらず静かに横たわっている
「………」
寝息すらも聞こえない状態でただ静かに目を伏せる目の前の少女は、まるで人形の様だった
しかし、一昨日夢の中で出会った彼女は紛れも無く普通の人間で、彼女は確かにそこに存在していた
夢の中の出来事のせいか声などはおぼろげだが、始終思い詰めたような表情をしていた事だけは嫌にハッキリ覚えている
そんな彼女を泣かせたままこちらの世界に戻って来てしまった事を思い出し、ソールは一人息を吐いた
次に会う事があるならば、まずは謝らなければいけない
そんな事を考えながら、ソールは目を伏せたままのに向かってぽつりと話し掛ける
「もし貴女が目覚めたとしたら…、貴女はどんな声で、どんな風に笑うんでしょうね」
無意識に口を衝いて出た言葉はあまりにも自分らしからぬもので
ソールはハッと我に返ると何を考えているんだと頭を左右に振った
「失礼しますっ」
「ソールさん、居ますか?」
そんな中、北の町から戻って来たエスカとロジーが揃って医務室へとやって来た
「エスカさん、ロジーさん…。随分早かったですね」
「えぇ、行きは徒歩ですけど、帰りは天霊の道標を使ったので…」
「天霊の道標?」
「はい。これを使うと採取地からでもすぐに支部に戻れるんですよ」
そう言ってロジーが取り出した天使の羽の様な物が付いた小さ目のスティックを確認しながら、ソールは便利な物があるのですね、と呟いた
「まぁ何でも良いですが、調査の結果は如何でしたか」
「えぇ、平原の方は生態系が崩れているみたいでヘビースキンが大分狂暴化していました」
「もう、ロジーさんてば違いますよ」
「え?」
「ソールさんが今聞きたい報告はそっちじゃないですっ」
成果を尋ねるソールに真面目な顔で支部依頼の調査結果を話し始めたロジーを制し、エスカが代わりに報告を始めたのはに関する調査の結果だった
「と言う訳で、石碑に向かってお兄ちゃんがさんの名前を口にしたら途端にその辺り一帯とお花が光り始めて…」
「名前を…、ですか。…その花は今此処にありますか」
「はい。ニオが以前にイグドラシルで見掛けた事がある花だと言っていたので、調合の材料になると判断して採取して来ました」
エスカの説明を聞き何かに気付いたのか、花の所在を尋ねるソールにロジーは採取した花を取り出し差し出した
それは小さな花びらが寄り集まった様な形をしており、一見すると細い茎に大きな花がぽんと乗っている様に見える
ソールは差し出された花を見てなるほど、と納得したように呟き頷いた
「この花は通常コルセイトやこの大陸には群生しない筈のものですね」
「そうなんですか?」
「確かに中央でもこんな花は見たこと無いな…」
「この花の名前はハイドランジアと言います。東の大陸の方では"アジサイ"とも呼ばれているそうですが」
「ハイドランジア…。さんの名前と同じ、ですね」
「えぇ。恐らくアウィンの言葉に反応してこの花が光ったというのは、彼女の名前ではなく花自身の名前に反応したのでは無いでしょうか」
「そんな偶然、ありえるのか…?」
ソールの言葉に俄かには信じ難いと言った様子のロジーにソールも同意するように頷く
「色々と出来過ぎていて何とも言い難いですね」
「そもそもこの大陸に咲かない筈の花が大量に発生していた理由も全く解らないですからね…」
「そうですね、ハイドランジアは豊富な水分を必要とするので黄昏が進む昨今では存在そのものが珍しいですし…」
ロジーとソールは揃って難しい顔をしながら腕を組む
しかしそんな二人を余所に、エスカは一人嬉しそうに笑って言い放った
「良く解らないですけど、でも光花の結晶の材料が手に入ったんだから良かったですよね!!」
あまりにも楽観的過ぎるエスカの言葉に、ついつい物事を難しく捉えてしまうロジーとソールは互いに顔を見合わせ、脱力した笑みを浮かべる
「エスカさんの言う通り、ここはひとまず材料が手に入って良かったと思って納得することにしましょう」
「えぇ。解らない事に頭を悩ませるよりまずこの花を精製して結晶を作るのが先ですね」
「そうと決まったら早速精油の作成に取り掛かりましょうロジーさん!!」
「そうだな。でもまずはこの花についての資料を探さないと…」
エスカの言葉に同意しながらも手にした花を眺めながら呟くロジーにソールが尋ねる
「資料、と言いますと?」
「資料と言うか図鑑でも良いんですけど、材料として扱うにはまずはこの花の構造を知らないといけないんですよ」
「お花によっては花弁に見える部分も実は葉っぱだったりするから、ちゃんと調べないと駄目なんです」
「なるほど…」
ロジーとエスカの説明に納得したように頷いたソールは、ロジーの手にしている花に視線を移した
「確かに、この花は一見小さな花の集合体の様に見えますが実際この部分は装飾花ですね」
「え?」
「どうしましたか」
「あぁいや、ソールさんが随分と花に詳しい事に少し驚いてしまって…」
「お菓子程ではありませんが、動植物についてはそれなりに興味がありますから」
驚いた様子のロジーにそう説明する横で、エスカがソールに尋ねる
「それじゃぁ本物の花弁の部分は何処なんですか?」
「それならこの真ん中のにあるのが両性花と言って…」
ソールはエスカの問いに答えながらロジーの手にしている花の中心を指差す
そしてソールの指先が花の中心部に触れたその瞬間
「…っ」
ソールの身体はまるで魂が抜けた様にがくりと椅子から崩れ落ち、そのまま床へと倒れ伏せた
「ぇえ!?ソールさんっ!?」
「大丈夫ですか!?」
突如床に倒れこんだソールに驚いたエスカとロジーは慌てて介抱の為にしゃがみ込む
「…ね、寝ちゃってます……?」
「そう…みたいだな…」
「どうして急に…」
「解らない…。あの花に触れたのが原因だと考えるのが普通なんだろうが…」
「でもロジーさんは触ってても何ともなかったですよね…?」
「あぁ…」
「あれ?そう言えばロジーさんそのお花は何処に…」
「え?あれ??おかしいな…」
先程まで確かに手にしていた筈の花は何故かロジーの手には無く、床に落ちたのかと二人で探すもののやはり見つからなかった
「ソールさんは寝ちゃうしお花は消えちゃうし…、解らない事だらけですね…」
「全くだ…。とりあえずソールさんをこのままにはしておけないな…」
エスカの言葉に頷きながら、ロジーは横たわっているソールの身体を抱き起し、の寝ているベッドの一つ隣へと運んだ
「これで良し…、と。花の件は必要ならまた後日取りに行くとして、ソールさんのこの状況を支部長に報告しておこう」
「そうですね。マリオンさんに開発半の方の調査結果も報告しないとですし」
「椅子から落ちた時に頭を打ったりしてないと良いんだけどな…」
「それならルシルちゃんにお薬用意しておいて貰いましょうか」
「そうだな」
ロジーとエスカは互いにそんな会話をしながら、ソールの身体に布団を被せるとそのまま医務室を後にした
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一方その頃
夢へと落ちたソールが目を覚ますと、目の前には見覚えのある空間が広がっていた
倒れていた身体を起こし、溜息交じりに辺り独り言を呟く
「またイグドラシル…ですか」
何処までも続く真っ暗な闇の中に光る植物が点々と生えているだけの不思議な空間
ニオがかつて捕らわれていたと言っていた正体の名を呟き、ソールは辺りを見渡し、
そしてふと自分の右手にロジーが手にしていた筈のハイドランジアが握られている事に気付いた
薄紫色のそれは地面から摘み取られて暫く経つにも関わらず瑞々しく綺麗な状態を保っている
先程医務室で見た時は気付かなかったが、こうして暗がりで見ると薄らと発光しているようだった
「…さて、どうしましょうか……」
ソールは花を手にしたまま独り言を呟く
こちらに来たという事は元の世界での自分は寝てしまっているのだろう
本体が起きるまでこの場に留まるのも一つの手なのかもしれない
しかしこちらに居るであろうの事を思うと、やはり会っておいた方が良いのだろうとソールは小さく息を吐いた
彼女が今この世界の何処に居るのかは解らない
しかし歩き出せば会えるだろうという妙な確信があった
そんな事を考えながら暫くの間をその場で過ごしたあと、ソールは何処へともなく足を進め、
やがて予想通り少し離れた場所に見覚えのある背中を見つけた
「………」
相変わらず寂しげに俯いている少女の背中を眺め、ソールは何故か息苦しくなる自分の喉に手を当てる
彼女は今日も亡き恋人を想い泣いているのだろうか
今まで自ら他人に、ましてや女性に積極的に関わる事の無かったソールにとって、今回の出会いとその後の展開は決して歓迎出来るものでは無かった
それでもこうして関わろうと思ってしまうのは、何処かのお節介な同僚達に影響を受けたからなのかもしれない
ソールは自嘲交じりの溜息を吐き出すと、顔を上げて少女の元へと歩みを進めた
「さん」
「…、ソールさん…」
背後から降って来た声に、は前回程驚いた様子も無く振り返る
そしてソールの姿を見上げたはソールと視線を合わせると小さく首を傾げた
「どうしてまた此処に…?」
「どうして、ですか。それは正直私が一番知りたいですね」
「…?」
「私が前回此処に来たのも、今回此処に居るのも、別に私の意思ではありませんから」
「………」
「前回はエスカさんに半ば無理矢理送り込まれて、今回は医務室で話している最中この花に触れたと思ったら次の瞬間にはこちらに居ました」
釈然としない様子で話しながら、ソールは手にしていた花をにも見せる
「その花は…?」
「これですか?これは貴女の住んでいた北の町の石碑付近に咲いていたものだそうですが…」
「石碑に…。あの、この花の名前が解りますか?」
「これですか?これはハイドランジアと言う花ですが…」
「……っ」
そう言って差し出された花を見つめ僅かに目を見開き動揺した様子を見せたは、ソールの説明を聞くと表情を崩し両手で顔を覆い顔を伏せた
「さん…?」
そんな突然の事態にはソールも流石に驚きと動揺を隠せず、思わずの隣に膝を付くと顔を覗き込む
しかしは小さな嗚咽と共に肩を震わせながらごめんなさい、ごめんなさい、と弱々しく繰り返すだけだった
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「落ち着きましたか」
「はい…、」
一頻り泣いてようやくが顔を上げた頃、隣でじっと待っていたソールの声には気まずそうに答えて頷く
「すみません、取り乱してしまって…」
「いえ、驚きはしましたが別に大丈夫です」
ソールは潤んだ瞳をこすりながら謝るに首を振りながら、突然泣き出した理由を尋ねても良いのだろうかと思考を巡らせた
が泣き出したのはあまりに突然の事だったので、正直理由についてはとても気になる
しかし下手な事を言って再び泣かせてしまう事になるのは避けたい
「約束、だったんです」
どうしたものかとソールが脳内で考え込んでいると、そんなソールの胸中を察したのかは自ら理由について語り始めた
「約束…?」
「前回は姓まで名乗りませんでしたが、私の名前は・ハイドランジア…。ソールさんが持っていた花と同じ名前なんです」
「えぇ、そのようですね」
「ぇ?」
「失礼ですがこちらで少々勝手に調べさせて貰いましたので、名前とある程度の事は知っています」
「そう、なんですね」
「貴女にとっては余計な世話だとは思いますが、それでもやはり貴女をこのままにはしておけないと言う事で方針が固まりまして」
前回"放っておいてください"と言われた事を思い返しながらソールが告げると、は否定とも肯定とも取れない様子で一つこくりと頷いた
しかし本当に迷惑だと思っているのであればこの時点で再び拒絶するだろう
それをしないという事は、彼女自身本当に放っておいて欲しい訳では無いのかもしれない
ソールはの様子を伺いながらそう考え、改めて声を掛けた
「すみません、話の腰を折りました。それで、差支えなければ続きを聞いても?」
「ぁ、はい…。それで、えぇと…、彼と会った当時は同じ名前の花があることを私は知らなくて…。
ある日話している途中に"花と同じなんて素敵だね"と言われて、そこで初めてハイドランジアという花がある事を知りました」
ソールに促され、は過去の出来事を思い出しながらソールに聞かせた
『でも、名前が花と同じなんて素敵だよね』
『花、ですか?』
『そうだよ。ハイドランジアって花、知らないかい?』
『知らないです…。この辺では聞いた事もないですし、希少種か何かですか?』
『いや、確かにこの辺では見掛けないけど、東の方の雨季があったり水が豊富な環境では決して珍しくない花だよ』
『そうなんですか。どんな花なんだろう…』
『僕は一度見た事があるんだけど、色も種類も豊富で、とても可愛い花だったよ』
『良いなぁ、私もいつか見てみたいです』
『本当?それならこの環境調査が終わった後、僕が君に両手いっぱいのハイドランジアを贈るよ』
「そんなありきたりなやり取りでしたけど、でも私はそれがとても嬉しくて、楽しみで…」
「………」
彼女は、本当にその恋人の事が好きだったのだろう
ソールは何処となく居心地の悪さを感じながら、再びはらはらと涙を零すの横顔を見つめた
泣いている女性の慰め方など解らない
そもそも、亡き恋人に想いを馳せる女性を自分が慰めるのも変な話では無いか
無意識に伸ばし掛けた手を握りソールが視線を自らの拳に向けると、再び視界が大きく揺らいだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「………」
目を開けたソールは、医務室の天井を見つめ、ゆっくりと上体を起こす
「ソールさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、ロジーさん…。どうやら私はまた寝てしまっていたようですね…」
心配そうに自分を見ているエスカとロジーの顔を見比べ、ソールは軽く頭を押さえる
「お花を触った瞬間にいきなり倒れちゃうからびっくりしました…!!」
「驚かせてすみません、と言いたいところですが、私にも何が何やらさっぱりです…」
「もしかして、またイグドラシルに行っていたんですか?」
「えぇ、そのようですね」
「それじゃぁさんにも会えましたか?」
「えぇ…」
エスカの問いに答えたソールは、をまた泣かせたままで戻って来てしまった罪悪感に僅かに表情を曇らせた
「さん、どうでしたか?」
「どうもこうも相変わらずでしたが…」
そう言ってどう説明したものかと暫し考えたソールは、ふと思い出したようにロジーに声を掛ける
「そうだ、石碑の近くにハイドランジアが咲いていた理由は何となく解りましたよ」
「本当ですか?」
「はい。何でもあの花は…」
ソールはイグドラシルでから聞いた彼女と恋人との思い出を二人にも語って聞かせた
「なるほど、約束の花か…」
「石碑の周りにお花が咲いたのは、恋人さんの想いが届いたからなのかもしれないですね…」
話を聞いたエスカの言葉に頷いたソールは、夢の中で恋人を想い泣いていたの姿を思い出しながらぽつりと呟く
「私達は今彼女の魂をこちらに呼び戻そうと動いていますが、もはや恋人の居ないこちらの世界に目覚めるのは果たして彼女にとって良い事なのでしょうか…」
「そうですね…、こちらの世界は恋人はもちろん、彼女の当時の関係者も一人も居ない訳ですから…」
ソールの言葉にロジーも同調し、再び二人は難しい表情のまま黙り込んでしまった
「もう、ロジーさんもソールさんも難しく考えすぎですよっ」
しかしエスカはそんな二人に向かい、少し怒った様な表情で言って聞かせる
「確かに此処には恋人さんもご家族もお友達も居ませんけど、それはイグドラシルだって同じじゃないですか」
「まぁ、それはそうだが…」
「それならずっと一人で泣き続けてるより、こっちで笑ったり怒ったりして過ごす方が良いに決まってますっ」
「それは人によると言うか、少々暴論では…?」
相変わらずのエスカの楽天的思考にロジーとソールは困惑した様子で答えるが、エスカは変わらずに言葉を続ける
「そんな事ないです。私もお母さんが死んじゃった時は本当に辛くて悲しくて、このままずっと悲しい気持ちのままなんだって思ってたけど…、
でも今は支部の皆と出会って、こうして楽しく過ごせていて、とってもとっても幸せだって思うんです」
「エスカ…」
「お母さんだって私が笑っていた方が安心出来ると思うし…、今になってさんが私達の前に姿を現したのは、きっと意味があるんですよ!!」
両手を握りしめて熱っぽく語るエスカの勢いに、ソールは何かを考え込むように目を伏せた後でそうですね、と呟いた
「先日のクローネさんが言っていた通り、本当に彼女の為になるのかどうかは呼び戻す算段が付いてからでも遅くはないですからね」
「ソールさん…」
「迎えに行ける段階になったら、改めてきちんと彼女に聞いてみる事にしましょうか」
そう言ってベッドから降りたソールは、隣のベッドに横たわるの姿を見下ろした
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