「杏里〜〜〜!!!!」
ある日の朝の通学途中
自分を呼ぶ声と共に背中に衝撃を感じ、杏里は足を止めた
「おはようございます、さん」
衝撃の正体は
毎朝の事なので特に驚いた様子も無く、杏里は背後のに挨拶を返す
「おはよ!!」
は杏里の背後から抱き付いたまま、嬉しそうに笑う
そして背中から離れた後でが杏里の横に並ぶと、そのまま二人は学校へと歩き出す
二人が出会ったのはほんの1ヶ月前の事
2年生に上がり、クラスの編成が変わった際に隣同士の席になったのがきっかけだ
「いやぁすっかり春だよね。風は強いけど日差しは暖かいし、良い天気で気持ち良いね〜」
「そうですね、日中は上着を着てると暑い位です」
「そう言えば杏里って上着のままだよね。ベストとか着ないの?」
「ベストですか…?」
首を傾げる杏里に向かい、は歩きながら自分の上着のボタンを外し中に着ていたベストを指差した
「ホラこう言うの。うちの学校って自由過ぎて指定のベスト無いでしょ?だからこの前ユニクロで買ったんだ」
「そうなんですか、涼しそうで良いですね」
「でしょでしょ?これなら体型も隠せるし、ブラも透けないから杏里にもお勧めだよ」
歩いたまま胸を張って見せるを見て、杏里は微笑む
「良いですね、私も買おうかな…」
「じゃぁ今日の放課後一緒に行こうよ、私カーディガンも欲しいんだ」
「はい、お願いします」
「うんうん。ついでに下着も新しいの買いたいなー。早くも放課後が待ち切れないね!!」
は見るからに活発で友達も多く、張間美香に近いタイプだった
そんなに声を掛けられた時、杏里は新しい寄生先が見つかったと密かに安堵したものだ
しかしが杏里を引き立て役として扱う事は一切無く、本当にただ純粋に友達として傍に居た
は杏里以外の友人と過ごす事も多かったが、次第に杏里をその輪の中に呼んで極自然に輪に加えてしまった
それは杏里が今まで経験した事の無かった"正しい友達"の形で、最初は戸惑っていた杏里もやがて周囲と馴染むようになっていた
帝人や正臣とはクラスが離れた今でも3人で集まる事は多かったが、はその中に入ったり入らなかったりと曖昧な距離感を保っている
「今日の1限って何だっけ?数学?」
校門を通り、靴を履き替えながらは杏里に尋ねる
杏里も上履きに履き替えながらそれに答える
「えぇと、今日は先生がお休みなので自習だったと思います」
「そっかそっか、花粉症が酷過ぎてどうのとか言ってたよね」
「大変ですよね…」
「でもお陰で自習なんてラッキーだよね」
は無邪気にそんな事を言いながらガラリと教室の扉を開けて、二人は教室に入る
「おっはよー」
「おはよ、杏里ちゃんもおはよ〜」
「おはようございます」
教室に入ると、先に来ていたクラスメイト達と口々に挨拶を交わす
こんな至って普通な朝の光景も、数ヶ月前の杏里には経験の無かった事だ
今となっては日常となったその光景は、紛れも無くに与えられた物だと杏里は感じていた
「ねぇねぇ、園原さんって苺とか大丈夫?」
やがて席に着いた杏里に、後ろの席の女の子が声を掛ける
「はい。大丈夫ですけど…」
「じゃぁこれあげる、美味しいよ〜」
そう言って女の子から手渡されたのはピンク色の包装紙に包まれた飴だった
「ぁ、有難う御座います…」
両手でそれを受け取りお礼を言うと、その子は笑いながら"そんなに畏まらないで良いのに"と言って笑った
その間、は別の友人と話していたが、このクラスでは杏里が誰と居ても居なくてもクラスメイトの態度が変わる事は無かった
今までは美香と一緒に居る時だけが杏里にとっての平穏で、美香が居なくなった後はその役割を帝人や正臣が果たしてくれていた
幼い頃の経験から辛い事は全て額縁の中の絵空事として何も感じないようになっていた杏里にとって
こんなにも穏やかに毎日を過ごせている現在はまるで嘘のように信じられない事だった
「ぁ、杏里ばっかずるい、私にも頂戴頂戴」
ふいに、今まで向こうを向いていたがこちらを向いて杏里とその後ろの子に話し掛ける
杏里に飴をくれたその子は、苦笑しながらにも同じ飴を手渡した
「解った解った。はいよ」
「さんきゅ、じゃぁこれお返しね」
「お、これって新発売のやつ?」
「そうそう、スペシャルリッチミルク味!!はい、杏里も」
そう言って杏里に差し出すに、杏里は慌てて首を横に振る
「すいません、私お返し出来るものが…」
「へ?やだな、そんなの気にしないで良いって」
「そうそう、気にしなくて良いよ園原さん。の物は私の物位の気持ちで良いから」
「いやいや何だそのジャイ○ン思考。そんな奴にはこの苺杏仁デラックス味ポッキーはあげられないなぁ」
「うゎ、何その超気になる味」
「でしょでしょ?何か今こう言う明らかにハズレっぽいのに凝っててさぁ」
が得意げに鞄から次々と取り出したのは大量のお菓子で、呆れ顔の友人と一緒に杏里も笑う
今まで遠くから眺めているだけだった、心の何処かでずっと憧れていた光景が今目の前にあった
やがて、病欠の数学教師に代わり見張り役の教師が教室へと入って来ては慌ててお菓子を鞄へとしまう
そして代理教師から配られた自習と言う名のプリント課題にクラス中がブーイングを投げる中、杏里は隣のにこっそりと声を掛けた
「さん」
「ん、何々?」
「有難う御座います」
「ぇ?何が?」
唐突の杏里のお礼の言葉に首を傾げるに、杏里は答えないまま小さく笑った
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退屈な授業が4限分終了し、ようやく訪れた昼休み
杏里は久しぶりに帝人と正臣と屋上に集まって昼食を取っていた
「何だか3人でお昼食べるのって久しぶりだね」
「そうですね」
「そういやはどした?」
「はい、今日は部活の人達と次の大会について話し合うって言ってました」
「そっか、さんも大変だね」
「俺も帰宅部を辞めて何かしら青春をビューティフルかつマーベラスに彩る部活動に参加するべきなのだろうか…!?」
「んー…、帰宅部って辞めるもの?」
おにぎりを頬張りながら尋ねてくる正臣に、帝人は脱力気味に尋ね返す
「そういや杏里は部活とかは入らないのか?」
正臣はそんな帝人の突っ込みをスルーして、今度は杏里に尋ねる
「私は特に考えてないですね…、さんには以前誘われたんですけど…」
「って言うかさんって何部だっけ?」
「ぇっと、野球部のマネージャーです」
「女子マネ!!何て素敵な響きなんだ…!!杏里とに揃ってマネージメントして貰えるなら俺はメジャーリーガーにだってなっちゃうぞ!!」
「はいはい。でも確かに園原さんとさんがマネージャーなら部員も増えるだろうねぇ」
「いえ、そんな事は…」
妄想の世界に旅立った正臣と納得したように頷く帝人の横で杏里は苦笑する
そしてふと視線をグラウンドの方へ向けると、偶然にもこちら側に向かって歩いて来るの姿が見えた
の長いポニーテールが走る度に揺れ、何だか動物の尻尾のようだと杏里は思う
すると次の瞬間、が顔を上げてこちらへと視線を向けた
グラウンドからすれば屋上は距離もあるし逆光の為こちらが見えるハズは無かったが、何故かと目が合った様な気がした
「園原さんどうしたの?」
「ぁ、いえ、あそこにさんが見えたので…」
「どれどれ?ぉ、ホントだ。おーい!!ーーーー!!!!」
「いや、聞こえる訳ないって」
大声でに向かって声を掛ける正臣に帝人が突っ込んでいる間、は既に再度歩き出していてそのまま校舎へと消えた
「ほら、いくらなんでも屋上からの声は届かないよ」
「くそぅ…、俺の愛はこの程度だと言うのかっ…!!」
悔しがる正臣を帝人と杏里が苦笑しつつ見守っていると、次の瞬間杏里の携帯が振動しからの着信を告げた
『もしもし杏里?』
「はい」
『今もしかして屋上に居る?正臣と帝人も一緒?』
「ぁ、はい。竜ヶ峰くんと紀田くんも一緒です」
『そっか、私今打ち合わせ終わってさ。まだそこに居るなら合流して良いかな?』
「はい、待ってますね」
『了解、すぐ行くからちょっと待っててねー』
そう言い残しプツリと切れた携帯をポケットにしまう
「今のさん?」
「はい。打ち合わせが終わったのでこちらに来るそうです」
「あれ、僕達が屋上に居るの知ってたの?」
「いえ、言った覚えは無いんですけど…」
「って事はさっきの俺の愛が届いたって事だな!?」
「いや、さっきの園原さんの会話を聞く限りさんは僕達より園原さんに先に気が付いたんだと思うけど…」
杏里の台詞を聞いて、がばっと立ち上がり両腕でガッツポーズを決める正臣に帝人が冷静に呟く
「どーしてお前はすぐそう言う夢の無い事を平気で言うんだよ〜」
「正臣が夢見がち過ぎるんだよ」
「そんな事言って冷静な振りしてたって、帝人も実は夢見る少年だって事バラしちゃうぞ?」
「ぇ、何それ!?」
「ふははは、幼馴染の情報網を甘く見ない方が良いぞー」
「ちょっと正臣!!」
いつもの様に帝人と正臣がどたばたと騒ぎ始めたところで、屋上のドアが勢い良く開いた
「おまたせー!!」
「さん、早かったですね」
「うんっ、超走った!!」
出迎えた杏里に向かい親指をぐっと立てるの肩は、階段を駆け上がった為か上下に揺れている
「はー疲れたぁ」
がベンチに座り一息つくと、それまで騒いでいた正臣と帝人が杏里の後ろからひょこりと現れた
「よーっす、会議お疲れさん」
「息上がってるけど大丈夫?」
「いやぁ、会議って言う程のもんじゃなかったけどね。階段ダッシュで疲れちゃうなんて私も歳かなー」
「何言ってるんだよ、俺達程フレッシュなヤングは居ないだろ?」
「言葉のチョイスが全部古いし…。でもさん僕達が此処に居るの良く解ったね」
正臣に突っ込みを入れながら帝人が尋ねると、はにこっと笑って杏里の方を向いた
「うん、たまたま屋上見たら杏里が居たのが見えたからさ」
「ぇ?校庭から屋上見えたの?」
「ハッキリって感じじゃなかったけど、何となく杏里かなーって感じの人影がね」
「そうだったんですか、それじゃぁあの時目が合った気がしたのは気のせいじゃなかったんですね」
「あぁ、やっぱり杏里も私の事見てた!?何か視線感じたんだよね!!」
先程の事を思い出して納得する杏里にが嬉しそうに話し掛ける横で、正臣がに尋ねる
「じゃぁ俺の声は聞こえたか?」
「は?紀田の声がどうかした?」
「正臣さんの事大声で呼んでたんだよ」
「ごめん、それは全然気付かなかったわ」
「俺の渾身の愛をスルーとは…」
「まぁあの距離じゃ声は届かないよね」
「だって俺の声は届かないのに視線だけの杏里に気付くっておかしいだろー!?」
「それはまぁ私の杏里に対する愛の力…みたいな?」
ごねる正臣にそう説明して、は杏里を見て笑う
杏里もそんなの台詞を受けて恥ずかしそうにはにかんだ
「何だよそれ!!俺は!?俺へのラヴは!?」
「うーん、紀田みたいな愛バラまいてる奴に注ぐ愛は無いかなー」
「いやいやいやいや、それは誤解だぞ?俺は愛をばら撒いてる訳じゃなくて愛を狩るハンターってやつでな?」
「5階も6階も無い無い。そんな無節操なラブハンターは猟友会にでもマークされてしまえば良いよ」
あっという間に何だか良く解らない激論を繰り広げ始めた正臣とを、杏里は何処か嬉しそうに笑いながら眺める
そんな杏里の様子を見て、帝人がぽつりと呟いた
「何か…、園原さん変わったよね」
「そうですか…?」
「うん、明るくなったって言うか、楽しそうって言うか…」
帝人は的確な言葉を探そうと視線を空に向けながら腕を組んだ
「ぇと、何て言うか…。視界が開けたり生まれ変わったりしてスッキリしてるって、そんな感じ…かな」
「そう、ですね…。確かにそんな感じかもしれないです」
杏里はそう呟きながら、帝人に言われた言葉を心の中で反芻する
"視界が開けた"
そう帝人が表現した言葉は、かなり的確のように思えた
「私は今まで辛い事や苦しい事から心を閉ざして逃げるばかりでしたから…」
「…今は違うの?」
「はい、今は…、私の中にあった額縁がすっかり無くなってしまったんです」
帝人の問いに答えながら、杏里は小さく頷く
「これまで美香さんが額縁の前に立って守ってくれてて、次は竜ヶ峰くんと紀田くんが額縁の向こうからこちら側に来てくれて…」
「………」
「そして最後にさんがいつの間にか額縁を何処かにやってしまったみたいで」
未だにわいわいと盛り上がる正臣とを見つめながら、杏里は帝人に笑い掛けた
「だから、竜ヶ峰くんの言う視界が開けたと言うのは、本当にその通りなんだと思います」
「そっか…、その、良かったよね」
「はい、本当に有難う御座います」
「そんな、僕は何も…」
穏やかに微笑む杏里と、杏里にお礼を言われて顔を赤らめる帝人
「ぉ、何やら良い雰囲気」
「全く帝人の奥手ボイーイっぷりはホントに世話が焼けるよなぁ」
いつの間にか静かになった正臣とがそんな二人を暖かく見守る
「むぅ、微笑ましい事は微笑ましいんだけど何か竜ヶ峰がちょっと憎い…」
「何だ何だ?お前杏里にマジ惚れ的な?そっち系だった訳??」
「違うよ!! …でも……まぁ普通の友達よりはずっと好きだけどさ」
頬を膨らましながらそう答えるの視線が、真っ直ぐ杏里に注がれる
正臣はそんなの横顔を眺めながら、苦笑気味に息を吐くとぽんとの肩に手を置いた
「そんじゃぁいっちょ邪魔しに行きますか」
「ぇ?」
急な言葉に驚いてが顔を上げると、正臣が悪戯っぽくにかっと笑っている
は少しの間その笑顔を見上げた後、同じ様な顔をして笑い正臣と二人で帝人と杏里の元に駆け寄った
「おいこら帝人!!俺達の杏里とこっそり愛を育もうったってそうはいかないぞ!!抜け駆け禁止だ!!」
「は!?な、何言ってるのさ正臣」
「そうだそうだ!!私の可愛い杏里を独り占めしようなんて許さないんだからね!!」
「ちょっ、さんまで!?」
帝人の身体を背後から拘束する正臣
帝人に牽制の言葉を投げ掛けながら杏里に抱き付く
そんな二人の様子に困惑する帝人
杏里はそんな三人の様子を窺いながら微笑むと、そのまま自分に抱き付いているの身体を恐る恐る抱き返した
「おぉ!?」
「ぇえ!?」
「ゎっ!?」
思い掛けない杏里の行動に、を含め三人が驚きそれぞれ顔を見合わせる
「あ、杏里…?」
「ぇ…ぁ、ご、ごめんなさい!!」
最初に抱き付いたのは自分の癖に何故か顔を赤くしたが声を掛けると、杏里は我に返ったように慌てて身体を離して頭を下げた
「い、いや、謝らなくって良いんだけどね。ちょっと…大分びっくりしたけど…」
「……すいません…」
「ううん、謝らなくて良いって。むしろこれからはもっと遠慮なく抱き付いてくれても構わないよ!!」
恥ずかしそうに俯いて謝る杏里にが首を大きく左右に振ると、横から正臣が割って入る
「ばっかズルイぞー。杏里、俺にも遠慮なく抱き付いてくれて良いんだぞ?とゆー訳でさぁ今すぐカモン!!」
「ちょっと正臣、園原さん困ってるでしょ」
「帝人は此処で"僕にも抱き付いて良い、むしろ抱き付いて下さい!!"ってお願い出来ないから駄目なんだぞ」
「そんな事言われても…」
「さぁ言ってみろ!!"エロ可愛い杏里ちゃんに是非抱き付いて頂きたいです!!"ってな!!」
「無理だから!!って言うか無理だから!!!!」
「ほうほう、君の愛は所詮その程度と言う事かね帝人くん?そんな事ではうちの杏里はやれんなぁ…」
「何それ何キャラのつもり!?兎に角無理なものは無ー理ー!!!!」
気付けば再び正臣のペースに乗せられていじられている帝人と、帝人のをからかいながら笑っている正臣
その様子を横目で眺めながら、は杏里の横顔に向かって声を掛けた
「…ねぇ杏里」
「は、はい…」
に呼ばれて杏里がの方を向くと、は少し視線を泳がせた後で意を決したように口を開いた
「ぇっと…私ね、杏里の事、大好きだよ」
「……ぇ…」
「って言っても男としての好きとかじゃなくてね」
「………」
「何か上手く言えないんだけど、凄く大事って言うか…ずっと仲良しで居たいなって思うんだ」
「さん…」
顔を赤くしながらどうにか好意を伝えようとしているはとても可愛らしく、杏里も釣られて頬を染める
「あの…、私も、です」
「本当?」
「はい。さんが声を掛けてくれてから私の世界は広がりました…。私、さんとお友達になれて本当に幸せだなって思うんです」
「杏里…」
杏里の言葉を聞いたは、思わず零れた涙を強引に右手でふき取ると杏里の両手を取って笑った
「私も、杏里と友達になれてとっても嬉しいよ。これからも宜しくね、杏里!!」
「はい、宜しくお願いします…!!」
『フリージアの花言葉』