セルティが向かったのはマンションの屋上だった

時刻は丁度夕暮れ時で、辺りは一面オレンジ色に染まっている



「ねぇセルティ」

「"何だ?"」

「…本当に私の事覚えてないの……?」



屋上について最初に話を切り出したのはの方だった

は風に靡く髪を押さえながらセルティの存在しない顔に向かって尋ねる



「"あぁ。自分の名前と、存在と、能力の使い方。それ以外の記憶が今の私には無いんだ"」

「…そっか……。何かちょっとショックだね」

「"すまない…"」

「ううん、私こそごめんね。記憶無くして大変なのはセルティなのに」

「"いや…。それで、貴方にお願いがあるんだけど"」



が慌ててを首を振ると、セルティは改めてPDAに文字を打ちに見せた



「お願い?」

「"あぁ、貴方が知っている私に関しての情報を教えて欲しいんだ"」

「セルティについての情報…?アイルランドに居た頃のセルティについてって事?」

「"あぁ"」

「それはもちろんいいけど…。でも一つ条件があるよ」

「"何だ?"」



首を傾げる動作をするセルティに、は悪戯っぽく微笑んだ



「私の事、昔みたいにって呼んで欲しいな」

「"でも…"」

「確かに記憶の無いセルティにとっては私は赤の他人かもしれないけど…、私にとってはセルティはやっぱり友達だから」



はそう言うとセルティの両手を握る



「昔みたいにって言っても無理だと思うから、もう一回最初からって事でさ」



少し照れくさそうにそう提案するの言葉を聞き、セルティは顔の無いまま確かに微笑んだ

そうしてPDAで答える代わりにの両手を握り返すと、はそのままセルティに抱きつく



「あぁ良かった!!記憶無くしちゃってまた"悪魔なんかと仲良くなれない"って言われたらどうしようかと思った」

「"また?"」

「そうだよ、私とセルティはね、最初とっても仲が悪かったんだから」

「"そうだったんだ…"」

「そりゃ妖精と悪魔だもん、異種族同士仲良くなる事ってあんまり無いし、そもそも関わりないからね」



いつの間にか日が落ち暗くなった屋上で、はセルティに昔話を聞かせる

セルティはの話す当時の自分の様子を不思議な気持ちで聞いていた



「と言う訳でね、私とセルティでその辺一帯の人間の家に悪戯して回った事もあったんだよ」

「"当時の私はそんな事をしてたのか…"」

「まぁセルティは私を止めようとして結果的にもっと酷い事にしちゃってただけだけどね」

「"どっち道ショックだ…"」

「あはは、昔っからセルティはちょっとドジなとこあるけど、今でもやっぱり何かしでかしてるの?」

「"そ、そんなにやらかしてはいないぞ、…多分……"」



元々友達同士だったからか、短時間ですっかり打ち解けた二人はの話で盛り上がっていた



「ぁ、そう言えば」

「"どうした?"」



ふいにが思い出したように顔を上げる



「静雄さん、大丈夫かな?」

「"あぁ、静雄なら多分大丈夫だよ、アイツは本当に強いから"」

「うん、数か月分思いっきり吸っちゃったのに死なないどころか会話まで出来てたもんね、びっくりしたよ」



は先程の静雄の様子を思い出す



「"死んでしまう可能性もあったのか?"」

「うーん、いくら何でもそうはならないようにコントロールしようとは思ってたけど、その必要も無かったって感じ」

「"そうか。静雄はやっぱり強いな"」

「うん、凄いよあの人。頼み込んだら今後もちょいちょい吸わせてくれるかなぁ」



が屋上の金網から何気なくマンションの入り口を見下ろし呟くと、ちょうどマンションから出てくる人の姿が見えた



「あれ、静雄さんだ…」

「"もう回復したのか?"」

「嘘ぉ?ホントありえないなー…。ごめんセルティ、私ちょっと行くね」

「"あぁ、続きはまたいつでもいいから話に来てくれ"」

「うんっ、じゃぁまた!!」



はそう言うと金網を飛び越え、そのまま屋上から飛び降りた



「静雄さん!!」



頭上からの声に静雄が顔を上げると、は静雄目掛けて勢い良く飛び込んで来るのが見えた

静雄は咄嗟に両腕を出しの身体を受け止めようとするが、は腕に体重を感じさせる事なく静雄の前に着地した



「…アンタ飛べるんだな」

「それはまぁ悪魔だから」

「そういやセルティもバイクで壁走ってるしな」

「そうなの?まぁ多分それと同じ感じだね」



通常であればありえない光景だが、セルティのおかげで慣れているのか静雄は極めて冷静にの翼を見つめた



「ってそうじゃなくて。静雄さんもう大丈夫なの?」

「何がだ?」

「いや、身体…。死ななくても2日間位は動けないと思ったんだけど…」



が焦り半分呆れ半分に尋ねると、静雄は右手を握ったり開いたりして見せた



「別にもう何ともないな」



アッサリと答える静雄を見て、が安堵のため息を漏らすと静雄は再び歩き出した



「良かった。でも本当に凄いね、悪魔もびっくりだよ」

「そうか?まぁ新羅も微妙に驚いた顔してたな」

「ぁ、そう言えば新羅さんにお礼言えてないや…」

「まぁまた今度で良いんじゃねーの?」

「そうだね、またセルティとも話さなきゃいけないし」



静雄の横を歩きながらは嬉しそうに笑う



「仲良いんだな」

「うんっ、セルティがアイルランドに居た時はしょっちゅう一緒に居たんだから」

「そうか。何かいいなそう言うの」

「でしょ。悪魔とかって普通はあんまりつるまないんだけどね。種族が違えば尚更」



は懐かしむように呟くと、隣を歩く静雄を見上げた



「ねぇ静雄さん」

「ん?」

「これからもたまにで良いから食事させて貰ってもいい?」

「んー…」

「今日みたいに思いっきりは吸わないから、お願い」



そう言って顔の前で両手を合わせるを見下ろし、静雄は頷いた



「ホント!?」

「あぁ。だってそうしないと困るんだろ?」

「うん、また餓死寸前まで我慢するか、誰か犠牲にするかのどっちかになるかな」

「だったら仕方ないだろ」



煙草を取り出して火を付けながら、静雄は苦笑する



「でもまぁ吸うなら夜だな。昼間は力抜けると困る」

「ぁ、夜なら私も好都合だよ。夢魔は夜行性だからね」

「何か…夢魔っつーとイメージしてたのと違うな」



しげしげとの姿を見つめる静雄の視線を受け、は両手に手を当ておどけてみせる



「あぁ、もっとエロエロな感じを想像してた?」

「俺は良く知らねーけどそう言うモンなんじゃねぇの?」

「うーん…。本当の姿になれば多分想像の通りになると思うよ」

「本当の姿ねぇ…」

「見たい?見たい??」

「いや別に」

「ぇー、つれないなぁ。私が本気出したらすんごいんだよ?」



は自分の両胸に手を当てながら静雄にウインクを投げる

そんなの仕草は思いの他妖艶で、静雄は一瞬息を詰まらせ誤魔化すように咳払いをした



「静雄さんにはこれから食事を提供して貰う身なんだし、サービスしてあげるのになぁ」

「何だそりゃ…」

「なんて冗談冗談。今時の悪魔は結構身持ち硬いんだからね」



そう言うと畳んでいた翼を再度広げ、はその場にふわりと浮かんだ



「そういやお前何処に住んでるんだ?」

「住処?無いよ。毎日フラフラしてる。睡眠は取れるけど人間と違って絶対必要って訳じゃないから、家とか要らないし」



逆さになって宙に浮きながら、は静雄に得意気に話す



「食欲もさっきの方法以外じゃ満たせないから食べる必要ないし、
まぁ気が向いた時はその辺の男の人にお金出して貰ってクレープとか食べたりするけど」

「その辺の男の人ってお前…」

「でも日本は、特にこの辺りは何処もかしこも灰色で落ち着かないね。緑が全然無いの」



ため息混じりにそう呟いて、は浮かんだまま静雄の背後からやんわりと抱きついた



「本当は昼間は静かな場所でのんびりしたいんだけど、家を借りるにはお金が必要でしょ?」

「そうだな」

「お金が必要って事は働く必要があるけど、私悪魔だから無理だもん」



静雄は背中に張り付くを特に跳ね除けるでもなく答える



「セルティは働いてるだろ」

「そうなの?」

「聞いてないのか?アイツはバイク使って運び屋やってんだよ」



そう静雄に教えられ、は静雄の背中にくっついたまま少し不満気に呟いた



「妖精が働くなんて変な話だよね」

「まぁ家は新羅提供だけどな」

「そっかぁ…。じゃぁ私もパトロン見つけて働こっかなぁ」

「…パトロンて時点で働く気無いよな」



煙草の煙を吐き出しながら静雄は呆れた声で言い放つ

は特に気にしていないようで無邪気に笑うだけだった



「悪魔だもん。でも命は取らないようにしてるんだから偉いでしょう?」

「どうだかな」

「そう言えば静雄さんの家は何処なの?」



静雄は数十メートル先に見えている自分の家を指差す



「一人暮らし?」

「あぁ」

「そっか。じゃぁ次からお腹空いたら此処に来れば良いんだね」



は浮いたまま静雄の頭に自分の顎を乗せ、静雄の住んでいるマンションを見据えた



「よし、それじゃぁ当面の食糧問題は解決したし、そろそろ行こうかな」

「何処行くんだ?」

「そうだねぇ、まぁ宛ても無くフラフラかな?」

「そうか。なんつーか…まぁ、気をつけろよ」

「うん、ありがと」



いくら悪魔とは言え見た目は普通の女性のが夜の池袋をフラフラするのはどうなんだろうか

静雄は一瞬自分の家にとも考えたが、それもそれで色々とまずいような気がして結局忠告するだけに留まった

はそんな静雄の気持ちを察したのか、くすくすと笑って御礼を言うと静雄から身体を離した



「それじゃぁ今日は本当に有難う。これからも宜しくね」



そう言いながら悪戯な笑みを浮かべ、静雄の頬に自分の唇を押し当てた後は飛び去った

一人残された静雄がの行動を把握し仄かに頬を染める頃には、の姿はもう見えなくなっていた




-END-