その日は朝から雨が降っていて、いつもは賑やかな池袋も人通りは少なくひっそりとしていた

ざぁざぁと振り続ける雨が街を灰色に染める中、人気の無い路地裏に黒い塊が一つ落ちている

仕事帰りのセルティが"それ"を見つけて近づいた所、良く見ると"それ"は人の形をしていた



「"大丈夫か!?"」



慌てて駆け寄るが、首の無い彼女の声が届くハズもない

とりあえず真っ黒い布に身を包んだそれをゆっくりと抱き起こすと、"それ"は美しい女性だった

女はセルティの腕の中で苦しそうに呻いた後、微かに目を開きまたすぐに意識を手放した



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「とりあえず話の起点は毎回僕の家なんだよね」

「"何の話だ?"」

「ううん、こっちの話」

「"変な奴だな"」



目を開けると、そこは知らない部屋だった

眼鏡を掛けた白衣の男と、全身黒のライダースーツに身を包んだ女がを見下ろしている

その目線を捉えて初めて自分がベッドに寝ている事に気付いた

ふと右腕を見ると、点滴が施されている

どうやらこの二人に助けられたらしい

は安堵の気持ちを抱きつつ、改めて横の男女に視線を移した



「ぁ、気付いたみたいだね」

「"気分はどうだ?痛い所は無いか?"」



にこりと笑う男と、携帯を差し出す女

携帯の画面には文字が打ち込まれている

どうやらこのライダースーツに身を包んだ女は話す事が出来ないようだ

しかし部屋の中でもヘルメットを外さないとは一体どう言う事なのか

そんな疑問を頭に浮かべながらライダースーツの女を眺めていると、ふいに懐かしさが込み上げた

じっと目の前の女を見つめ、そのヘルメットの中身に問い掛ける



「…もしかして……セルティ…?」



がそう尋ねると、解りやすく二人の男女が驚いた様子を見せた

その様子を見て女は確信を持つ



「やっぱりそうだ…。良かった、こんな所に居たんだね」



しかし目の前の知人であるハズのセルティは首を傾げている



「"貴方は…一体……?"」

「…?……私の事、忘れちゃったの?」

「"すまない…、実は色々と事情があって私には昔の記憶がほとんど無いんだ…"」



携帯に打ち込まれた文字を読み、今度はが首を傾げる



「記憶が無いって…そんな、人間じゃあるまいし……」

「ぁー…、えーっとさ、その話は僕からしても良いかな?」



いまいちセルティの言葉の意味が理解出来ずにいると、男が急に割って入りに向かって尋ねた

ちらりとセルティを見てからが頷くと、男はセルティとの思い出話を始めた―



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「そう言う訳で、今のセルティには首があった頃の記憶が無いんだ」

「……………そう…だったんだ…」

「うん。で、現在は僕、岸谷新羅と一緒に此処に住んでるって訳」



新羅と名乗った男の言葉を聞きながら、はゆっくりとセルティを見る

途中ヘルメットを取ってくれた彼女の首から上には確かに何も付いて無かったし、近くに頭を所有している雰囲気も無かった

長年この世に存在していると色々な事があるものだ

遠い異国の地で再開した旧友がまさか記憶喪失になっているだなんて

そんな事をが考えていると、新羅が再度問い掛けた



「所で、君は一体何者だい?セルティのお友達のようだけど…」



新羅の質問に、は何となくショックを受けた事を隠せないまま答える



「…私は、夢魔とかサキュバスとも呼ばれてるいわゆる魔族って奴で、セルティとはその昔アイルランドに住んでた頃の友達と言うか知り合いと言うか…」

「夢魔?夢魔ってあれだよね、男の人の精気を吸って生きてるって言う…」

「ん、まぁ大体合ってる…」

「うわー、凄いよ!!セルティの他にも妖精って居たんだね!!」

「いや…私は妖精じゃなくて悪魔なんだけど……」



目を輝かせる新羅の横で、セルティが携帯に何かを打ち込みに見せる



「"でもはどうしてアイルランドから日本に来たんだ?私のように何かを失くしたのか?"」



は画面を見た後首を横に振った



「いや、失くした訳じゃないんだけど、人を探しに来たの」

「人?セルティじゃなくて?」

「うん、セルティにはまさかこんな所で会えると思ってなかったから、単なる偶然」



偶然出会ったにしてもまさか自分の事を忘れられているとは思ってなかったけど…

そんな事を思いながら、は言葉を続ける



「さっきも言った通り、私は夢魔だから、男の精気を吸い取って生きなきゃいけないんだけど…
でもアイルランドの男は皆どいつもこいつも軟弱な精気しか出さないから、私が本気を出したら干からびちゃうの」



ため息交じりにそう呟くと、セルティと新羅は何となく気まずそうに目を逸らした



「ぁ、言っておくけどね、別に夜な夜なあんな事やそんな事して糧を得てる訳じゃないんだよ?」

「そうなのかい?」

「当たり前でしょ、普通に首筋からちゅーっと吸うだけだよ」

「あぁ、そうなんだ」

「そりゃぁいくらなんでも毎日ヤッてたら回復するどころからむしろ疲れるでしょ」

「ヤるってそんな直接的な…」



サラリと言い捨てるに新羅は苦笑いを浮かべる



「ぁー…、事情はなんとなく解ったけど、それで何でわざわざ日本に来たんだい?」



新羅が尋ねるとはゆっくりと身体を起こしフラつく頭を片手で押さえながら答えた



「えぇと…、凄い生命力の強い人間が日本に居るって聞いたからさ」

「生命力の強い人間??」

「そう、平和島静雄って人」

「静雄???」

「"平和島静雄ってあの静雄か?"」



が発した人物の名前を聞き、二人は顔を見合わせる



「知ってるの!?」

「いや、知ってるも何も知り合いなんだけど…」

「"昨日もウチに来たしな"」



新羅とセルティがそう答えると、はセルティの手を取り弱々しく握り締めた



「セルティお願い…、その平和島静雄を私に会わして…」

「"ど、どうしよう新羅?"」

「うーん…、俺は別に構わないけど…、静雄に会って何する気なんだい?」

「何って食事だよ…、此処数ヶ月まともな食事取ってなくて今こんな状態なんだから」



新羅の質問にはそう答えると、セルティから手を離し再度ベッドに倒れ込んだ



「私はいくら自分が生きる為だからってむやみに人を殺したくないの…。でも私が生きる為に食事をするとそうは行かないから、
だからいくら吸っても大丈夫な位生命力が強い人間を探してたの。そしたら日本に殺しても死なないレベルの人間が居るって聞いて…」

「それが静雄だった訳か。まぁ確かに静雄は不死身一歩手前だもんなぁ…」

「"あぁ、私ですらアイツの強さには身震いする"」

「そんな人間だったらきっと私が精気を吸った程度じゃ死なないでしょ?」

「確かに…」

「"確かに…"」



二人が納得したのを見て、はベッドに横たわったまま再度二人に頼み込む



「そう言う訳だから本当にお願い、そろそろ限界なんだ…」

「うーん…、解ったよ。ちょっと待ってね」



新羅はそう言うと携帯を取り出し静雄に電話を掛けた



「ぁ、静雄、今大丈夫?」



「ごめんね、ちょっとお願いがあってさ」



「今からウチに来れない?人命救助の為って言うか何て言うか…。まぁ厳密には人じゃないんだけどさぁ」



「いや冗談じゃなくて、静雄じゃなきゃ駄目なんだよ、うん。詳しい事は来てくれたらちゃんと話すからさ」



「セルティに迎えに行って貰うからさ、頼むよ」



「あぁ良かった、有難う。それじゃぁそこでちょっと待っててね」

「"来てくれるのか?"」

「うん、今露西亜寿司の前に居るらしいからセルティ迎えに行ってくれる?」



電話を終えた新羅がそう伝えると、セルティはこくりと頷きヘルメットを装着して部屋から出て行った

二人きりになった部屋で、新羅は診察に使用した器具を片付けながらに話し掛ける



「じゃぁセルティが静雄を連れてくるまで、少しだけ待っててね」

「うん、有難う」

「ぁ、"食事"が終わって元気になったらさ、ちょっとだけ君の身体を調べてもいいかな?」

「私の身体を?何でまた…」

「いやホラ、僕こう見えてもお医者さんだしさ、人間以外の体内構造について興味があるんだよ」

「………まぁ、少しだけなら…」

「本当!?いやぁ嬉しいなぁ、さっき点滴をつける段階で君に血液が存在する事が解ったからずっと気になってたんだ」

「は?」

「えぇとね、血液って言うのは酸素を運ぶために心臓がポンプの役割を果たしていて、血管の中に酸素が行き渡る事で生命を維持してるんだよね
つまり血液があると言う事は君にも心臓が存在して、その心臓が止まれば生命も絶たれる、または酸素が不足すれば窒息するって事だ」



新羅は片付ける手を止めて嬉々として語り始める

はそんな新羅を胡散臭いものを見る目で見つめながら対応に困っていた



「しかし栄養とするのは精気とやらで、諸々の普通の人間が必要とする栄養素が君には必要ない。
そうなるとやっぱり君の身体は人間と似ているけれど異なるものであって、何処がどう異なるのかが私は知りたいんだよ」

「はぁ…」

「前にセルティの身体を見せて貰った事があるんだけど、セルティの場合は血液は存在しなかったんだ。
変わりに彼女の首から出ている黒い霧のような物質が出てきたんだけど、これはつまるところセルティには
心臓が存在せず不死の存在である事が結論付けられるよね。君の場合は心臓があり、酸素を必要としている訳だから
いずれ体内は酸素によって酸化して錆びる時が来ると思うんだけど…、君は年は取るのかい?と言うか繁殖はどうなってるの?」

「……何かアンタ気持ち悪い…」

「何で!?」

「いや何でも何も…」



テンションの上がった新羅のマシンガントークを聞き、は若干青ざめる



「…アンタの話は良く解らないけど、まぁ私がセルティより人間に近いのは確かだよ」

「やっぱりそうなんだね、神話や童話なんかでも悪魔と人間が子を成す事があるけど、それは実際可能なのかい?」

「可能…だったと思うよ。私は先祖代々悪魔だけど、人と交わった奴が居るのは聞いた事ある。確かその子孫も日本に居るんじゃなかったかな…」

「本当かい?その子孫も池袋に居たりしたら面白いんだけどなぁ」

「どーだかね…、それよりお腹空いた…。セルティまだかな……」



は全身の力を抜いたままベッドの上で天井を仰ぐ



「多分そろそろだと思うけど、静雄が大人しく食事を提供してくれるかはちょっと微妙だからなぁ…」



新羅が時計を見ながら頭を掻いて呟くと、タイミング良く玄関のドアが開く音が聞こえた



「おかえりセルティ!!」

「"あぁ、連れて来たぞ。大体の事情は説明しておいたから"」



セルティはと新羅にPDAを見せながら静雄を部屋へと招き入れる



「やぁ静雄、いらっしゃい」

「よぉ」



静雄は部屋に入るとベッドの上のを見下ろしセルティに尋ねた



「コイツがその"悪魔"か?」

「"あぁ、数ヶ月の間絶食してるそうだ"」

「こんな姿で情けないけど…、いかにも私がその悪魔です」



が静雄に向かい軽く手を上げて挨拶をすると、静雄はベッドの横にある椅子に腰掛けの顔を覗き込んだ



「偉いなアンタ」

「ぇ?」

「人を傷つけないように絶食してんだろ?」

「うん…」



静雄の言葉にが頷くと、静雄は自身の両手を握り締めその拳を見ながら呟く



「俺も人よりちょっと頑丈なせいで色んな奴に怪我させて来たからアンタの気持ちは少し解る」

「………」

「っつー訳でだ。俺が力になれるなら力は貸すぜ」

「…そっか、有難う」

「んで、食事って具体的にどーすりゃ良いんだ?」



静雄がそう尋ねると、は力の入らない上体を何とか起こし、椅子に座ったままの静雄を手招きして呼び寄せた



「ん?」



呼ばれるままにに近付いた静雄の首に両腕を回し、は首筋に唇を寄せる



「力抜けたりちょっと痛かったりするかもしれないけど、そのまま少し我慢しててね?」



言うが早いか静雄の返事を待たず、は静雄の首筋に噛み付いた

普段はカッターの刃だろうが銃弾だろうが物ともしない静雄の筋肉に、の鋭い歯がすんなりと食い込む



「っく…」

「………」

「うゎ、何かいやらしいねぇ」

「"馬鹿言うな"」



流石に少々辛いのか静雄は一瞬バランスを崩し、にもたれかかるような姿勢になるがは気にせずそんな静雄を更に引き寄せる

セルティはニヤニヤとその様子を見ている新羅をたしなめ、部屋の外へ引きずって出て行った



「………」

「………」

「……ぷはっ」



暫くしての唇が静雄から離れる

の身体は先程に比べると見るからに回復しているのが解った



「ぁー…、生き返ったぁ…」



しみじみとそう呟き、は静雄の身体をぎゅっと抱き締めた後そっとベッドに寝かせる

そしてベッドに仰向けになっている静雄の右手を両手で包み込んだ



「有難う!!本当に生命力高いんだね、思いっきり吸ったのに死なないなんて本当に凄いよ!!」

「そうか、そりゃ良かった」



そう言って嬉しそうに笑うを見て、静雄も貧血の時のようにクラクラする頭を押さえながらも満足そうに微笑んだ

普段は忌々しい自分の異常とも言える能力が、誰かの為になる事が静雄は嬉しかった



「でもごめんね、久しぶりの食事だったから中々加減きかなくて…」



静雄を見下ろして謝るに、天井を仰いだまま「気にすんな」と返す



「あー…、でも流石に力入らねぇな」



静雄はそう言ってに触れられている右手を握ろうとしてみたが、上手く力が入らず第二関節を曲げる程度の動作しか出来なかった



「まぁ普通の人なら死んじゃうレベルだから…」

「そうか。毎回そんなんじゃ食事の度に大変だよな」

「うん…。恥ずかしながら食事に関しては悪魔の本能なのか手加減が中々出来ないし…」



が肩を落とし俯くと、部屋のドアが開き新羅とセルティが中に入って来た



「終わったかい?」

「うん、おかげさまでお腹いっぱい」

「それは良かった。それじゃぁちょっと静雄の身体に異常が無いか検診するね」



新羅はそう言うといそいそと採血の準備などを始める



「"大丈夫か?"」

「あぁ」

「"どんな感じだ?"」

「んー…、なんつーかちょっと頭がボーっとして体がダルい感じだな」



心配そうに静雄を覗き込むセルティに静雄が答えると、セルティはにPDAを向けた



「"ちょっと二人で話がしたいんだけどいいかな?"」



は映し出された文字を読むと、一瞬だけ新羅に診察されている静雄を見てすぐに無言で頷いた



「"新羅、さんと話してくる"」

「あぁ、解ったよ。僕は静雄を診てるからどうぞごゆっくり」

「"あぁ、それじゃぁ静雄、また後でな"」

「おぅ」



こうしてはセルティの後に続き部屋を後にした





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