ある日の朝

は寝起き早々怒っていた



「静雄さん!!どうしてまたソファで寝てるんですか!?」

「ん…」



の怒声で目を覚ました静雄が、ゆっくりと身体を起こしながらの方を向く

そんな静雄に向かって、は更に問い詰めるように声を掛ける



「そしてどうして私はベッドに居るんですか!!」

「いや、その…」



前回、アルバイトを探しに出て臨也に会ったあの日

帰宅した後では静雄に一つお願いをした

それはがソファで寝て、静雄がベッドで寝ると言う事

しかし、静雄がそれを嫌がったのではせめて交代制にしてくれと申し出た

最初は渋っていた静雄も、が必死に負い目を感じたくないのだと言うとようやくそれに応じてくれた

それなのに…



「一昨日も、その前も、朝起きたら私がベッドで静雄さんがソファってどういう事ですか!!」



最初の日こそは朝までソファで寝て過ごしたが、次の日からソファで寝たハズのが起きるとベッドに居る事が増えた

増えたと言うより、此処最近は毎回が目を覚ますとベッドに居て、静雄はソファに寝ている

どうやらが寝ている間に静雄がベッドまでを運んでいるようで、

始めは不思議に思っていたも流石に2回目以降は静雄の仕業だと気付いたらしい



「昨日は私がソファで寝る日で、私は最初そっちで寝たハズですよね?」

「あぁ…」

「それならどうして私は今こっちに居るんですか」



ソファの上の静雄を見ながら、はベッドを指差す



「いや、何か寒そうだったし…」

「寒くないです!!お布団だって掛けてますし、私の身長ならソファからはみ出す事も無いんですよ?寒そうなのはどう見ても静雄さんじゃないですか!!」



身長的にどうしたって飛び出てしまう静雄の足を見ながらは呟く



「私は静雄さんにゆっくり休んで欲しいのに…」

「俺の事は別に気にしなくても…」

「………」

「…解ったからそんな顔するな」



そんな静雄の言葉に思わず泣きそうになるを見て、静雄はため息を一つ吐いた



「俺が悪かった。次からはちゃんとそっちで寝る」

「本当ですか?」

「あぁ」

「約束ですよ」

「あぁ」



静雄は短く返事をして立ち上がり、カーテンを開ける



「んじゃぁ飯にするか」

「はい」



静雄がにそう声を掛けると、は泣きそうだった表情を笑顔に変えて返事をした



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「それじゃ行って来る」

「はい、今日も頑張って下さいね」

「おぅ」



朝食を終え、身支度を終えた静雄が出勤する時間

はいつもの様に玄関で静雄の背中を見送る



「じゃぁな」

「行ってらっしゃい」



パタンとドアが閉まり、静雄の足音が遠ざかる

足音が完全に聞こえなくなると、はリビングまで移動してソファに腰を下ろした



「フカフカで気持ち良い事は良いんだけど…」



朝日が柔らかく入り込むリビングの中でも、特にソファはのお気に入りの場所だった

しかし睡眠を取るとなると、やはりソファでは物足りない

静雄の場合はソファに横になると足も出るし窮屈そうだし、とても安眠出来ているとは思えない

だからこそ2日に1回でもきちんとベッドで睡眠を取って欲しいと思っていたのに、の気持ちは静雄に届かない



「……掃除しよ」



色々考えていても仕方ないと思ったは、ソファから立ち上がり一つ伸びをする

そして日課となっている部屋の掃除や洗濯に専念する事にした



ピピピピ



が洗濯物を干している最中、飾り気の無い機械音が部屋に響いた

それは普段あまり鳴る事の無い電話の着信音で、は慌ててリビングの机に置いてあった携帯を手に取る



「もしもし」

『ぁ、ちゃん?僕だよ』

「新羅さん、おはようございます」

『うん、おはよう。今話しても大丈夫かな?』

「はい、大丈夫です」



電話の主は新羅で、は新羅に返事をしながらソファに座る



『実はね、そろそろまた健診をと思ってるんだけど今日とか時間あるかな?』

「今日ですか?」

『うん、ちょっと急で申し訳ないんだけど、僕が空いてる日が今日位しか無いんだよ』

「そうなんですか。ぇっと…、午後なら大丈夫です」

『あぁ良かった。それじゃぁ午後に駅まで来て貰えるかな?』

「駅に?」

『あぁ、今日はセルティが仕事で居ないからね。僕が迎えに行くよ』



そう伝える新羅に、は電話越しにも関わらず首を左右に振る



「いえ、そんな悪いですし大丈夫ですよ。一人で行けます」

『いやいや、僕も買い出しのついでだし、ちゃんを一人にすると静雄に怒られちゃうからね』

「そう、ですか…。それじゃぁ……、お願いします、」

『うん、任せて。じゃぁ12時半位には行くから、着いたらメールしてくれるかい?』

「解りました」

『それじゃぁまた後でね』

「はい、また後で」



通話を終え、携帯を机の上に戻しはふぅと息を吐く

静雄の家から新羅の家までは、セルティのバイクで5分〜10分程度の距離だ

歩いて行くと30分は掛かってしまうが、それでも歩けない距離ではない

そんな場所ですら誰かと一緒でなければいけないのかと、は肩を落とす

それが静雄や新羅の優しさである事は充分に解っていたが、それでも何となく落ち込んでしまう

は暫くソファで考え事をしていたが、ひとまず静雄に新羅と会う予定が入った事をメールで伝える

そして洗濯物の途中である事を思い出し、再度ベランダへと向かった



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



12時40分頃

駅前でお馴染みの白衣を身に着けた新羅と合流し、会釈しつつ挨拶をする



「おはようございます」

「やぁおはよう、最近の体調はどうだい?」

「体調はとっても良いですよ、最近は体重も増えましたし」

「うんうん、確かに見た目も大分健康的になったよね」



新羅はの姿を眺めながら頷くと、の隣に並んだ



「よし、それじゃぁ早速行こうか」

「はい」



二人揃って新羅のマンションへと歩く



「何か変な感じですね」

「ん?」

「新羅さんと二人で外を歩く事って、今まで無かったですから」

「確かに。でもたまにはこうやってのんびり歩くのも良いもんだね」

「そうですね」



は新羅の言葉に頷きながら空を見上げ、ふと呟く



「でも…、私もセルティさんみたいにバイクに乗れたら良いのにって思います」

ちゃんがバイクにかぁ…。それはちょっと想像出来ないなぁ」

「私だって誰にも迷惑掛けずに一人で出掛けたりしたいんですよ」

「あれ、何か結構ストレス溜まってるのかい?」

「いえ、ストレスと言う訳じゃないんですけど…」



新羅に言われ、の視線が空から地面へと移動する



「まぁでも静雄はちょっと過保護なとこあるよね」

「……はい…」

「例えばどんな所が気になる?」



そう尋ねられ、は少し考えた後でぽつりぽつりと話し始めた



「この間、静雄さんに一つお願いをしたんです」

「お願い?」

「はい。これまで、私が静雄さんのベッドで寝て静雄さんがソファで寝てたんですけど」

「うんうん」

「私はそれが申し訳なくて嫌だったので、私がソファで寝て静雄さんにベッドで寝て欲しいって頼んだんです」



新羅にそう説明しながら、は顔を上げて新羅を見上げる



「あー…はいはい。それで?」

「でも静雄さんは了承してくれなくて、それじゃぁせめて交代でって言ってようやく了承してくれたんです」

「なるほどね」

「でも今日も、その前の時も、ソファで寝たハズなのに起きると私がベッドに居て静雄さんはソファに寝てるんです…」

「うーん…」



の説明を聞きながら、新羅は静雄の心中を察し曖昧に笑った

マンションにつき、エレベーターに乗り込みながら新羅はに言う



「僕は静雄の気持ちが良く解るなぁ」

「?」

「女の子をソファで寝かせて自分はベッドで寝るなんて、普通の男なら中々出来ないよ」

「でも…」



最上階につき、エレベーターを降りながらは小さく呟く

そんな納得の行かない様子のに、新羅は鍵を開けながら笑い掛けた



「でもちゃんはそれじゃ嫌なんだよね?」

「はい…。私ばっかりがベッドを占領するのは嫌です…」

「そっか。それじゃぁ良い方法を教えてあげるよ」

「良い方法…?」

「うん。でも、まずは検診が先だけどね」



靴を脱ぎ、リビングへと足を運ぶと、新羅は仕事用の鞄を開く

は新羅の言う"良い方法"とやらが気になったが、大人しくソファに座り腕を差し出した



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「うん。脈拍と血圧は正常値だね。後は赤血球の数やBNP値、LDH値については後日結果が出たらまた連絡するよ」

「有難う御座います」

「ぁ、最初に聞けば良かったんだけど、最近運動とかってしたかい?」

「いいえ、運動と言う程しっかりした運動は特にしてないので、LDH値に影響は無いと思います」

「それなら良かった。…って言うか医療用語に詳しいんだね?」



新羅が少し驚いたように尋ねると、は苦笑しながら答える



「はい、人体に関する知識だけなら無駄に豊富です。何せ居た所が製薬会社のラボですから」

「なるほどね。でもそれらの知識を留めて置くのも中々大変な事だと思うよ?何せ人間の脳は使わないと日に日に衰えて行くものだからね」

「そうですね…、でも外の世界に出てからは頭で覚える事だけでなく実際に体で覚える事が多いので、脳には良い刺激を受けてると思いますよ」



そう言って自分の頭を指差すと、思い出したように改めて新羅に尋ねた



「そう言えば、さっき言ってた"良い方法"って何ですか?」

「ん?あぁ、はいはいあの事ね」



新羅は検診に使った器具を片付けながら同じく思い出したように頷くと、の方を向いてにやりと笑った



「簡単な事さ」

「?」

「帰ったらね、静雄にこう言ってごらん」



そう言って新羅は何事かをに告げる



「…本当にこれで納得してくれるんでしょうか?」

「うん、絶対に大丈夫だよ。 ぁ、でももし駄目でも僕を恨まないでおくれよ」



自信たっぷりに胸を叩いて言い切った後、新羅は弱気な発言を付け加えて笑う



「はい、大丈夫です。それじゃぁそろそろ帰りますね」

「あぁ、それならもうちょっとでセルティが帰ってくると思うから少し待って…」



新羅が話している途中で、タイミング良く玄関の扉が開く音が聞こえた



「ホラ、噂をすれば何とやらだ」



リビングに入って来たセルティを迎えながら、新羅は嬉しそうに微笑む



「おかえりセルティ」

「"あぁ、ただいま"」

「セルティさん、お邪魔してます」

「あぁ、来てたんだな。今日はどうしたんだ?」

「新羅さんに定期健診をして貰ってました」

「そうか、身体の調子はどう?悪いとこは無い?」

「はい、最近はとっても調子良いですよ」



新羅の言葉にPDAで答えた後、セルティはに話し掛ける

傍から見るとセルティに向かってが独り言を呟いているように見えるが、実際はしっかりと意思の疎通が取れている



「ぇー。ちょっとちょっと、二人だけで会話しないでおくれよ」

「ぁ、ごめんなさい…」

「"仕方ないだろう、と会話するのにPDAは要らないんだから"」

「それに新羅さんだってセルティさんの言いたい事解るじゃないですか」

「それはそれ、これはこれだよ。あぁもう本当にちゃんが羨ましいよ。僕もセルティと何も介さず会話がしたい…!!」



頭を抱えて苦悩し始めた新羅を横目に、セルティは呆れたような仕草を見せる



「全く…、毎度の事だけどごめんね」

「いえ、それだけ新羅さんがセルティさんの事が好きって事ですよ」



くすくすと笑いながら言うと、セルティは慌てて無い首を必死に左右に振る



「へっ、変な事を言うな!!」

「良いじゃないですか、仲良しなのは良い事ですよ」



セルティに首があったなら、多分耳まで赤くしているんだろう

がそんな事を思いながら再度小さく笑うと、セルティは恥ずかしさを誤魔化すようにやや早口でまくし立てた



「とっ、兎に角。帰る所だったんだろう?送って行くから支度すると良い。私は先に降りて待ってるから!!」



そう告げて、足早に玄関へと歩いて行ってしまう

玄関のドアが閉まる音を聞き届けた後、と新羅は顔を見合わせて笑った



「ふふ、セルティさんすっごくドキドキしてましたよ」

「全く、セルティは素直じゃないんだから。そこがまた可愛いんだけど」

「新羅さんも可愛いですよ」

「へ?」

「二人とも幸せそうでとっても羨ましいです」



そう言ってにこにこと笑いながら、は帰り支度を進める



「僕から言わせたら静雄と一緒に居るちゃんもとっても幸せそうで羨ましいけどね」

「そう…ですか?」

「うん。静雄もちゃんと居る時だけは随分穏やかな雰囲気になるし、二人とも凄くお似合いだと思うよ」

「お似合い…」



新羅がからかうように言った台詞を聞いて、の頬がほんのり染まる

そんなを新羅がにやにやとした顔で眺めていると、その視線に気付いたは先程のセルティと同じ様に早口になった



「ぁ、あの、それじゃセルティさん待たせちゃってるので私もう行きますね」

「うん、気をつけてね」

「はい、有難う御座いました。それでは失礼します」



ぺこりと頭を下げ、はパタパタと早足で玄関に向かう

新羅はそんなの後姿を見送りながら微笑んだ



「ぉ、お待たせしました…」

「ううん、大丈夫。…どうしたの?顔赤いけど…」

「いえ、何でも無いです。ちょっと急いだからだと思います」



マンションのエントランスで待機していたセルティに指摘され、は頬を押さえながら首を左右に振る



「そっか、それじゃぁ行こうか」

「はい、お願いします」



セルティに手渡されたヘルメットを被りながら、はセルティを見上げる



「ぁ…、そう言えばセルティさんに聞きたい事があったんですけど」

「?」

「私、この間池袋駅付近で臨也さんに会ったんです」

「本当か!?大丈夫だったのか!?」

「はい。何だか色々言われてちょっと混乱はしましたけど…」



先日の事を思い返しながらはセルティに説明する



「それで、臨也さんに…その、捕まったって言うのも変なんですけど、ちょっと行動を制限されてしまって…」

「なんて奴だ…」

「ぁ、でもそんな押さえ付けてとかでは無いんですよ?」

「どっちにしてもに危害を加えた事には変わりないよ」



の話を聞いて憤るセルティを宥めながら、は話を続ける



「何て説明したら良いのか解らないんですけど、その時静雄さんの所に行きたいって思ったんです。そしたら私の影が臨也さんに巻きついて…」

「影って、こんな風に?」



セルティが自分の影を自在に操って見せると、はこくりと頷いた



「ぁ、はいそうです。こんな感じで動いて臨也さんの身体に張り付いて、臨也さんが驚いて手を緩めた隙に逃げたんです」

「私のクローンはそんな事まで出来るのか…」

「それが、出来たのはその一瞬だけでその後はどうやってみても全然動かせないんですよ」



はそう言いながら自分の影を見つめる



「私もセルティさんみたいに自由自在に動かせれば、少しは静雄さんも安心してくれるかなと思うんですけど…」

「静雄はあれで結構心配性みたいだからな…」



腕を組みながらうんうんと頷くセルティに、は問い掛ける



「なので、影の動かし方を教えて貰えませんか?」

「それはもちろん構わない。でも私の場合特に意識して動かしている訳では無いから、教えるにもちょっと時間が必要かもしれない」

「はい。私も自分で動かせるように、自分なりに調べてみます」

「うん。それじゃぁ今日はとりあえず帰ろうか」



そう言ってバイクに跨るセルティの後ろにも座る



「それじゃぁ行くよ。しっかり掴まってるんだぞ」

「はい」



こうして二人を乗せた漆黒のバイクは音も無く走り出し、は静雄の家へと帰宅した



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「おかえりなさい」

「あぁ、ただいま」





はいつもの様に帰宅した静雄を玄関で迎える

それは一日中留守番をしていた飼い犬が、玄関で主人を心待ちにしているのと同じような光景だった



「どうだった?」

「血糖値や血圧は全部正常値でした。他の詳しい成分については後日になるみたいです」

「そうか。まぁ大丈夫だよな」

「はい、最初に比べたら自分でも大分良くなったと思うので、きっと大丈夫です」



嬉しそうに笑いながら、は静雄の後に続いてリビングに入る



「今日のお夕飯はクリームシチューにしてみたんですよ」



そのままリビングで蝶ネクタイを外す静雄の横を通り抜け、はキッチンに向かう



「静雄さん牛乳好きだから、ミルクたっぷりにしました」



シチューを温めるの背後から、首元を緩めた静雄が鍋を覗く



「ぉー、美味そうだな」

「ちゃんと味見もしましたから、多分大丈夫です」



そう言って胸を張るを見下ろして、静雄は口元に笑みを浮かべる



「そんじゃ食べるか」

「はい。ぁ、ご飯よそって貰って良いですか?」

「あいよ」



キッチンにはまるで新婚の様な甘い雰囲気が漂っているが、当の本人達にはその自覚は無い

揃ってリビングの机に夕飯の支度をして、テレビを正面に隣り合わせに座る



「いただきます」

「はい、召し上がれ」



静雄の掛け声にが答えて、二人は夕飯を食べ始めた



「うん、美味い」

「本当ですか?良かった」



ホッとしたように笑いながら、もシチューを口に運ぶ

こうして暫くテレビを見たり他愛も無い話をしながら食べていると、がふと思い出したように切り出した



「ぁ、そうだ。静雄さん」

「ん?」

「ぇっと、今日は私がソファで寝ますね」

「ん?いやだって今日…」

「今日のは無効ですよ、だって私実際はソファで寝て無いんですから」



予想通りの反応を示した静雄に向かい、はキッパリと言い切る

更にそんな発言を聞き複雑そうな顔をしている静雄に、は新羅に教えて貰った言葉を伝えた



「もし今日も夜中に私をベッドに運んだら、明日からずっと一緒にベッドで寝てもらいますからね」

「……は?」

「だから、今日みたいに私の事をソファからベッドに移動させたら、明日からは一緒にベッドで寝てもらいます」



思い掛けないの言葉に、静雄は珍しく間の抜けた声をあげる



「何でそんな…」

「だって私は静雄さんにベッドで寝て欲しいですけど、静雄さんも同じなら二人がベッドで寝るしか無いじゃないですか」

「いや…それは何か違うっつーか……」

「違わないんです。と言うか、もしそれが嫌なら私の事は気にせずしっかりベッドで寝てくれれば良いんですよ」



はそう言いながら誇らしげに胸を張って見せた

静雄は得意げなの顔を見ながら黙り込む



「…嫌ならって……」

「どうしたんですか?」

「ぁー、いや別に……」



静雄は小さく首を左右に振った後、"ご馳走さん"と呟いて空のお皿を手にしてふらりと立ち上がり、キッチンに皿を下げに行ってしまった

そんな静雄の行動をが頭に疑問符を浮かべたまま見ていると、戻って来た静雄がの頭上から声を掛ける



「悪ぃ、先風呂入って良いか?」

「ぁ、はい。もちろんですよ」



が首を縦に振ると、静雄はやはり何処となくぼんやりしたまま浴室へと向かって行った

は自分も食べ終えた皿をキッチンへと運び、そのまま食器を片付け始める



「静雄さん、どうしたんだろう…?」



少し様子のおかしかった静雄を思い浮かべて首を傾げるが、結局にはその意味が解らないままだった



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「上がったぞ」



いつもより長い時間を掛けて、静雄が風呂場から戻って来た

ソファでテレビを見ていたがテレビから視線を移し静雄を見上げる



「おかえりなさい」

「ん。何見てんだ?」

「ぇっと、上野の動物園の特集です。最近虎の赤ちゃんが生まれたらしくて…」



はそう言って画面に映る可愛らしい虎の赤ちゃんを指差す



「へぇ…、可愛いな」

「本当可愛いですよね。赤ちゃんじゃなくてももちろん可愛いですけど、赤ちゃんは格別です」

「好きなのか?動物」

「実際に間近で見たり触れた事はあんまり無いですけど、でも写真や動画を見る限りはとっても好きです」



静雄の質問に答えながら、はテレビ画面を見て微笑んだ



「…行くか」

「ぇ?」

「そこ、こっからそんな遠くないから」



の隣に腰掛けながら、静雄はテレビの中の動物園を示す

は一瞬きょとんとした顔をしていたが、すぐに表情を変えて静雄に尋ねた



「良いんですか?」

「あぁ、明後日なら俺は休みだし、平日だから空いてんだろ」

「有難う御座います…!!」



静雄にお礼を言いながら、は本当に嬉しそうに笑う

そんなの笑顔を見て、静雄も自然と口の端に笑みを浮かべた



「静雄さんは上野の動物園には行った事ありますか?」

「あー…どうだったかな…。ガキの頃遠足で行ったような…」

「そうなんですか?じゃぁ久しぶりなんですね」

「そうだな」

「静雄さんも動物好きですか?」

「まぁ嫌いじゃない」



そんな他愛も無い話をしながら、穏やかに時間が流れて行く

丁度番組が終わった頃、ふと静雄が思い出したように呟いた



「つーかお前まだ風呂入ってなかったよな?」

「ぁ、そうですね。それじゃ入って来ます」



静雄に言われ、も思い出したように立ち上がる

そして浴室へ向かおうとした所で静雄が後ろから声を掛けた



「なぁ」

「はい?」

「さっき言ってたのって、新羅の受け売りか何かか?」

「さっき?」

「ほら、約束破ったら一緒にどうこう…っての」



振り返って首を傾げるに説明すると、はこくりと小さく頷いた



「はい、あぁ言えば静雄さんも解ってくれるって教えて貰ったので…」

「そうか…。あぁ、そんだけだから、風呂行って良いぞ」

「はーい」



静雄はの足音が遠ざかった事を確認すると、深いため息をついて携帯を手にした



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



『もしもーし』

「おい」

『あれ?どうしたんだいこんな時間に』

「てめぇ何余計な事吹き込んでんだ」

『余計な事って…。あぁ、ちゃん本当に言ったんだね』



静雄の怒気を含んだ声を聞き、新羅はあっけらかんと電話口で笑ってみせる



『いやぁ、僕は君の気持ちが良く解るからさ、ちょっとした手助けをと思って』

「それが余計だってんだよ」

『まぁまぁそう怒らないでよ。ちゃんのお願いなんだしさ、此処は大人しくソファで寝かせてあげなって。それが出来ないなら一緒に…』

「寝れるか!!!!」



風呂場に居るに聞こえないよう極力押さえていたものの、思わず叫んでしまう

幸いにもには気付かれなかったようだが、このままでは携帯の耐久力が心配だ

新羅はそんな状況に"仕方ないなぁ"と呟いた後で、少しだけ真面目な雰囲気で静雄に語り掛けた



『君はそう言うけどね、ちゃんの気持ちも考えてあげなよ』

「あ?」

『あの子は確かに生まれたての子供と変わらない…、でも身体的にはもう大人で知識に至っては普通の人間より豊富だ』

「………」

『心配な気持ちはもちろん僕だって良く解る。でも君が過保護にし過ぎる事で悩むのは彼女なんだよ』



新羅の最もな台詞を聞き、静雄は俯く

そして暫くの沈黙の後、静雄は小さな声で呟くように新羅に告げた



「俺は…」

『ん?』

「俺はアイツがただ笑ってりゃそれで良いんだよ…」

『…静雄……』



落ち込んだ様子の静雄の声色に、新羅は少し驚きながらも苦笑する



『ねぇ静雄、君はちゃんの事をどう思ってるんだい?ペット?子供?単なる同居人?』

「ペットってお前…」

『違うだろ?君の中であの子はちゃんと一人の女性で、そんな彼女が君は好きなんだ』

「………」



ストレートな新羅の言葉に、静雄は思わず黙り込む

それでも"違う"と否定出来ない事こそが答えだと、静雄も新羅も理解していた



『君は変なとこ鋭い癖に、自分の事となると本当に鈍感だよね』



新羅は黙り込む静雄の気配を電話越しに感じて少しだけ愉快そうに笑う

そんな新羅の言葉に静雄は一瞬反論を試みたが、結局何の言葉も出ず静雄は独り言のように呟いた



「……どうすりゃ良いんだよ…」



自分がの事を好ましく思っている事は恐らく事実だ

しかしそれはあくまでも守ってやらなければと言う使命感の上にある感情で、決して愛だの恋だのと言ったものでは無かったハズだ

ましてや数ヶ月前に偶然出会っただけの少女に好意を抱くなんて、そんな事がある訳ない



「んな事、ある訳ねぇだろ…」

『うん。君がそんなつもりで拾ったんじゃない事は僕だって解ってる。
でもあの日僕の家から連れて帰ったあの時点で、君はもうあの子に惹かれていたんだと思うよ』

「何でお前にそんな事が解るんだよ…」



つらつらとまるで自分の心を見透かしているような事を言う新羅に、静雄は訝しげに尋ねる

すると新羅は小さく笑って答えた



『僕の好きな人は首が無いんだよ?表情や声が解る君の言いたい事位簡単に解るよ』



そんな新羅の回答に、静雄は妙に納得して一つ息を吐いた



『とりあえずさ、静雄自身がまだ気持ちを自覚出来ないようなら暫くは大人しくちゃんの条件を飲んでソファで寝かせてあげるんだね』

「…あぁ、そうする」

『うん。さて、僕は明日も早いしそろそろ寝るよ』

「ん、悪かったな」

『いえいえ、また何かあったら連絡してよ。あぁそうそう、ちゃんの言葉の意味もちゃんと考えなよ?』

「どう言う事だ?」



言葉の意味が解らず静雄が尋ね返すと、新羅は悪戯っぽく笑った



『あの条件は、君さえ了承すればちゃん自身は一緒に寝ても良いと思ってるって事だろ。じゃぁおやすみ』

「は?おいちょっと待…」



新羅はやや早口でそう告げて、静雄の言葉を待たずに電話を切ってしまった

ひとまずツーツーと鳴り続ける電話の通話を切り、新羅の言葉の意味を考えていると、ちょうど風呂から上がったが戻って来た



「上がりました〜」

「………」

「静雄さん?」

「あぁ悪い、ちょっと考え事してた…」

「…何かありました?」



は不思議そうな顔で静雄の顔を覗き込む



「いや、何でもない…。つーかあれだな、そろそろ寝ないとな」

「ぁ、そうですね。静雄さんは明日もお仕事ですし」



誤魔化すように提案する静雄の言葉を、疑う事なく受け入れて微笑むの顔を見た瞬間、新羅に言われた言葉が頭をよぎる



"君の中であの子はちゃんと一人の女性で、そんな彼女が君は好きなんだ"



"君さえ了承すればちゃん自身は一緒に寝ても良いと思ってるって事だろ"



そんな新羅の言葉を思い出すと、どうしてもぎこちなくなる自分を感じて静雄は戸惑った

誰かを好きになる事も、誰かに好かれる事も、自分には縁の無い物だと思っていたのに…



「なぁ」

「はい?」

「…、本当に今日はソファで寝るのか?」

「もちろんですよ、静雄さんはゆっくりベッドで寝て身体を休めて下さい」



静雄がソファを指差しながら尋ねると、は勢い良く頷いて胸を張る

その仕草や表情にはまだ幼さが残るものの、新羅の言っていた通りそこに居るのは子供でもペットでも無い、一人の女性だった

そう気付いてしまった瞬間、今まで無意識に抑えていた気持ちが溢れるのを感じ静雄は思わず笑ってしまった



「な、何で笑うんですか?」

「いや…、風邪引くなよ?たまに布団剥がれてる時あるからな」

「ぇ、嘘!?」

「まじ」

「ぅ…、今日は大丈夫ですよ。静雄さんは気にせず朝までちゃんと寝て下さい」

「りょーかい」



そう言って恥ずかしそうに両頬を押さえながら訴えるの頭をぽんぽんと撫でると、は嬉しそうに笑った



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「"どうした新羅、何か嬉しそうだな?"」



一方

静雄との電話を終えた後からやけに上機嫌な様子の新羅に、セルティは問い掛ける

新羅は含み笑いを浮かべてセルティの質問に答えた



「あぁセルティ。いやぁ、まさか親友の初めての春を見守る事になるとは思わなかったからさ」

「"静雄の事か?"」

「うん。静雄ってば今頃悩んでるだろうなぁ…。好きな気持ちに気付いちゃったのに今まで気付かない振りしてた分どうしたら良いのか解らなかったり、
すぐ傍に居るのに触れたくても触れられない距離感に葛藤しちゃったり…、考えるだけでワクワクするよね!!」

「"…大した親友も居たものだな……"」



人事だと思って面白がる新羅を前に、セルティは呆れた様子で首を振る



「…ねぇ、もし静雄とちゃんが上手く行ったとしたら僕と静雄は義兄弟って事になるのかな?」

「"どうしてそうなる?"」



ふと思いついたように呟く新羅の言葉にセルティが無い首を傾げると、新羅はセルティを見ながらにこりと笑った



「だってちゃんはセルティの妹みたいなものなんだろ?」

「"まぁそうだけど…"」

「だったらセルティは静雄の義姉で、その恋人の僕は義兄って事になるじゃないか」



さも当然のようにそう言ってのける新羅に、セルティは思わず慌てる



「"だっ、誰が誰の恋人だって!?"」

「ぇ?だから僕とセルぐはっ!!」



慌てふためくセルティに説明しようとした新羅だったが、途中でわき腹に手刀を入れられその場に倒れた



「"全く…"」



強制的に静かになった新羅を見下ろして一息付くと、少し考えた後にセルティは携帯を取り出してメールを打った



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「静雄さん、携帯電話鳴ってますよ」

「ん?誰だこんな時間に…」



丁度電気を消そうとしていた所だった静雄がから携帯を受け取り確認すると、セルティから短く一文だけのメールが届いていた



"私の妹をよろしく頼む"



静雄は何の事か解らず首を傾げたが、暫くして意味を理解するとそっと携帯を閉じて俯いた



「ど、どうしたんですか?」

「…あの野郎……」



携帯を握り締めながら、恥ずかしさや気まずさなど全ての感情を新羅への怒りへと変えて静雄は低く呟く

次の日に静雄が八つ当たりも含めて新羅宅で暴れる事を、床に倒れたままの新羅は未だ知らない―



-END-