「おはようございます…」

「おい…、何があった…?」



翌日の朝9時

約束通りにホテルの前にやって来た静雄を迎えたのは、明らかに顔色の悪いだった



「何があったと言うか…昨日は何だか寝ようとしても寝られなくて…」

「寝れなかったって何でだよ…」



静雄が尋ねると、は恥ずかしそうに笑って答える



「いや、目を瞑ると切られた時の事を思い出しちゃって…」

「………」

「まさか自分がこんなに繊細だと思ってなかったんですけどねー…」



は軽く笑って答えてはいるが、眠れなかったところを見ると実際は相当辛かったに違いない

それでも笑ってみせるは強がっているだけなのか本当に能天気なのか

どちらにしても痛々しい事には変わりなく、静雄は一つ息を吐いてずれたサングラスを掛け直した



「そんなんで大丈夫なのかよ?」

「大丈夫ですよ、単なる寝不足ですから」

「…そうか。んじゃ行くけど、途中で辛くなったら言えよ」

「はい、ありがとーございます」



昨日に比べ幾分か覇気の無い調子で頷いたは、歩き出した静雄の後を追った



「あれ?」



駅から歩いて暫く行った所で、一軒目の家に着くとは首を傾げる



「どうした?」

「もしかして私と静雄さんだけなんですか?」

「俺と二人じゃ不満か?」

「いえいえそうじゃなくて、普通内見って不動産の人も一緒じゃないですか」



が一般論を用いて静雄に尋ねると、静雄は極当たり前の様にその意見を跳ね除けた



「めんどくせーから断った」

「…左様で御座いますか」

「どうせ駅から歩いていける距離ばっかりだしな」

「で、一軒目が此処なんですね?」

「あぁ」



が指差すマンションは、見た感じ中々高級な雰囲気を醸し出している



「これ、家賃いくら位なんだろう…」

「2DKで10万だと、まぁ安い方だよな」



マンション内に入りながら、静雄は今朝トムから受け取ったメールの間取り図を見て答える



「じゅうまんえん…、今の私には天文学的数字ですよ」

「天文って…、お前結構馬鹿だよな」



としては至って普通のリアクションを取っていたつもりだったが、静雄にとっては何かがツボだったらしい

苦笑する静雄の背中を見上げながら、は少し頬を膨らませた



「そんな事初めて言われました」

「そうなのか?」

「そりゃぁ今までは普通普通って言われて来ましたから…」



あちらの世界での自分の平凡っぷりを思い返し、は思わず溜め息をつく



「まぁ確かに異常には見えないけど、でもやっぱ変わってるよな」



静雄はそう言いながらある一室の扉を開けるとそのまま靴を脱いで部屋に上がった



「とりあえず此処が1軒目だそうだ。ほら、適当に見とけ」

「ぇと、じゃぁお邪魔します…」



静雄に促されても部屋に上がり、玄関から浴室、寝室など各部屋を確認する

その間、静雄はリビングでぱたぱたと部屋の各所を行き来するを眺めていた

やがて一通り見学を終えたが静雄の元へと戻り、静雄の前に座ると真剣な面持ちで話し始める



「静雄さん、私大変な事に気付いたんですけど」

「ん?」

「時給いくらで就労時間が何時間なのか聞くのを忘れてました…!!」

「あぁ、そういやそうだな…」

「自分の収入の目処も解らずに家を決めるのって相当無理難題ですよ…。
さっき此処の家賃は10万って言ってましたけど、家賃は収入の3分の1が鉄則だし…」

「つっても他の所も全部家賃似たり寄ったりだけどな」



携帯で間取りのデータを見る静雄の前で、は頭を抱えた



「アルバイトで月10万の家賃はどう考えても無理…!!」

「…ひとまず社長に聞くか」

「はい、お願いします…」



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「解りました、それじゃ」



が見守る中、社長との通話を終えた静雄が携帯を切る



「どうでした?」

「ん、とりあえず家賃は書いてある額の3割で良いんだとよ」

「…ぇ、いやいや。3割って何ですか、何でですか」

「いや、何か今回抑えた部屋は全部売れ残りっつーか何つーか…、どうしても入居者が決まらない部屋らしい」



静雄の説明を聞き、は眉間に皺を寄せる



「それはつまりあれですか?此処で不可解な死を遂げたり惨殺事件があったり霊象が起こったりの所謂事故物件…」

「それがそう言う訳でも無いらしいぞ」

「?」

「まぁ詳しい話は後回しにして、次行くぞ」

「ちょっと釈然としないけど…、とりあえず了解です」



一番気になる部分を後回しにされたまま、と静雄は二軒目、三軒目とそれぞれの部屋を見て回った



「で、気に入ったとこあったか?」



ファーストフード店で昼食を取りながら、静雄はに尋ねる



「そうですね、二軒目に見た部屋は近くにコンビニとかスーパーあるし良いかもです」

「そうか。それじゃぁ食ったら一旦事務所戻るぞ」

「はい」

「そういや家が決まったとしてお前荷物とかは?」

「ぁー…」



静雄に尋ねられ、はそこで初めて半年の間に溜まった荷物が臨也の家に置きっ放しである事を思い出す



「大した量は無いけど、臨也のとこに置きっ放しなんで取りに行かなきゃです」

「そうか…」

「まぁ今すぐ必要な物と言えば着替え位だし、それは何か安いの買って凌いで次のお休みにでも取りに行って来ますよ」

「悪いな」

「何がですか?」

「いや、手伝えなくてよ」



静雄のそんな言葉に、は驚いた表情を見せた後に噴き出した



「何で笑うんだよ?」

「ご、ごめんなさい…、静雄さんが良い人過ぎるから…」

「はぁ?」

「だって臨也と静雄さんの仲が悪いのは今更仕方ない事で、むしろ私のせいで関わりが増えて迷惑掛けてるのに…」



はそのまま一頻り笑った後で、顔を上げて静雄に笑い掛けた



「ごめんね、本当に有難う」

「………」



そう言って嬉しそうに笑うを見て、静雄は思わずの頭をくしゃりと撫でて立ち上がる



「良し、そんじゃ行くか」

「はーい」

「あぁそうだ」

「?」



お店を出て事務所に向かう途中で静雄がふと口を開く



「無理に敬語使わなくて良いから」

「ぇ?」

「使い慣れて無いんだろ?さっきもそうだけどちょいちょい敬語じゃなくなってるしな」

「う…」

「それに敬語だと何か違和感あるんだよな…」

「違和感?まぁ確かに言葉選ぶから本音っぽく無くなるかも…?」

「だろ。だから俺にはいつも通りで良い。まぁトムさんや社長にはちゃんと使えよ」

「が、頑張るます…」

「早速おかしいだろ」



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「ぉーちゃんおかえり、部屋はどうだった?」



二人が事務所に戻ると、昨日と同様事務所ではトムが二人を待っていた



「はい、何処も広くて綺麗で迷っちゃいました」

「そりゃ良かったなぁ。何処にするか決めた?」

「ぇと、大通り沿いからちょっと離れた所にあるあの黒いマンションが良いかなって思ってます」

「そうか。んじゃ手続きは後で社長が戻ったらするとして、まずは昨日出来なかったうちの説明とかしちゃうわ」

「はい、宜しくお願いします」



こうしてはトムの手解きを受け、正式に事務員としての仕事を教えられる事になった



「まぁ大体は今説明した通り9時18時で時給1200円、残業はあったり無かったりで普段は帳簿の整理とか事務所の掃除、って感じで良いかな?」

「はい、大丈夫です。 ぁ、そう言えば…」

「ん?」

「普段この事務所って誰が居るんですか?昨日も今日もトムさんだけですけど…」



は事務所内を見渡して尋ねる



「あぁ、此処は基本池袋担当の俺と静雄が使ってて、後は他の地域の奴がたまに来る程度だな」

「そうなんですか?社長さんは…」

「社長は週に一回とか何か用がある時は来るけど、後は基本別の所に居るんだわ。っと、そろそろ休憩入れるか」



の質問に答えて、トムは時計を見ると立ち上がった



「つっても今日はもう後夕方社長が来るまでする事ないんだけどな」

「夕方って何時位ですか?」

「あ〜…多分18時位?」

「後4時間はありますね…」

「悪いんだけど、俺今からちょっと出なきゃいけないからその辺の本読むなり携帯いじるなりして時間潰しといてくれるかな」

「良いんですか?何かやる事とか…」

「そうだなぁ、まぁそこの棚がぐっちゃぐちゃだからその辺片しといて貰えると助かるわ」

「任せてください!!」



初めての業務と言うには幾分か物足りない内容だが、は充分嬉しかったようで両腕をぐっと握って意気込んだ



「じゃぁ行って来るわ」

「はい、行ってらっしゃい」

「うんうん、女の子に見送られるのは気分良いもんだな。んじゃ静雄、後頼んだぞ」

「ぅす」

こうしてトムが出て行き、事務所には静雄との二人だけとなった

「よーし、それじゃぁ早速棚の整理だ!!静雄さん、棚ってどれ?」

「ん」



の質問に静雄は親指で部屋の隅にある180cm程の業務棚が4つ並んでいた



「おぉ…、確かにぐっちゃぐちゃ…」



棚の前に移動し扉を開けて感心したように呟くと、静雄もの横に並んだ



「一応取り立ての記録だとかそんな感じの重要書類ばっかりなんだけどな」

「重要書類がこの有様って…。とりあえずまずは中身全部出さなきゃかな」

「おい、お前腕怪我してんだから無理すんなよ?」

「大丈夫!!数は多いけど傷自体は深く無いからそんなに痛くないんだ」

「…まぁとりあえず手伝うから指示だけ出してけ」



静雄はそう言うとサングラスを外して腕をまくった



「じゃぁまずはこの端の棚の中身を全部出して貰えるかな?」

「おぅ」



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2時間後、すっかり綺麗になった棚を眺めては満足そうに頷く



「完璧!!」

「へぇ…、綺麗になるもんだな」

「ちゃんと書類ごとにファイリングしてあるし重要度ごとにまとめてあるから使い勝手も良いはずだよ」

「重要度とか解るのか?」

「適当です!!」

「適当って…」

「大丈夫大丈夫。ちょっと中身見て大体の分類は把握したし、多分そんなに大幅には間違って無いと思うよ」



自信満々に答えるを不安げに見下ろしながら、静雄はまくっていた袖を元に戻すとソファに腰を下ろした



「お手伝い有難う御座いました」



がソファに座る静雄にぺこりと頭を下げると、静雄はをじっと見つめた後で手招きをしてを呼び寄せた



「何?」

「ちょっとそっち座れ」

「?」



静雄が向かいのソファを指差し、は大人しくそれに従いソファに腰を下ろす


「そこのクッション枕にして良いからちょっと横になっとけ」

「横にって…何で?」

「良いから」

「………」



急にソファで横になるように言われ、は意味が解らず疑問符を浮かべる

しかし静雄の有無を言わさない態度にやがて折れたのか、静雄の言う通りにクッションを枕にして横になった



「………」

「………」



シンとした事務所内に、時計の秒針の音だけが響く



「………」

「………」



昨晩は目を閉じると目の前に自分を切り付けたあの男の姿が浮かんで眠れなかった

うとうとと眠りに付きそうになっても、夢の中で何度も襲われその度に飛び起きた

とうとう眠る事を諦めて朝まで起きていようとしても、慣れないホテルに一人きり

正直なところ寂しくて心細くて仕方なかった

それでも誰にも連絡せずに一人で耐えたのは、なりの意地だったのだろう



「………」

「………」



時計の秒針と静雄の気配を感じながら目を閉じると、は驚く程あっという間に眠りへと落ちていった



「やっぱり眠かったんじゃねぇか…」



先程までの高すぎる程のテンションだったを思い返し、静雄は溜め息と共に呟く

から聞こえる小さな寝息を聞きながら、窓際に移動して煙草に火をつけた



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「…ん……」



数時間後

目を覚ましたはゆっくりと起き上がり辺りを見渡す



「静雄さん…?」

「あぁ、静雄なら今ちょっと出てるよ」



目の前に座っていたはずの静雄の姿が見えず誰にとも無く呼び掛けると、背後からトムの声がした



「トムさん…」

「おはよーさん」

「ご、ごめんなさい私…」

「あぁ大丈夫大丈夫、昨日寝れなかったんだって?静雄から聞いてるからさ」



する事が無かったとは言え勤務中に寝てしまい、は青褪めながらトムに頭を下げる

しかしトムは手を振って笑うと机に寄り掛かって腕を組んだ



「て言うか切り裂き魔に襲われたとか昨日の内に言ってくれりゃ良かったのになぁ」

「すいません、怪我自体は大した事無かったので大丈夫かなと思って…」

「そっか。まぁ今度からは何かあったらすぐ言ってな」



が長袖の下に隠れた包帯に触れながら俯くと、トムは苦笑しての頭をぽんぽんと撫でた



「さて、それじゃぁお目覚めの所早速なんだけど賃貸の手続きしちゃうおうかね」

「ぁ、あれ?社長さんは…」

「さっき来て資料置いて帰ったよ」

「!?」

「あぁ、社長にも事情は説明したからそんな気にしなくて平気だって」



書類をの前の机に置いて笑うトムに、は両手で顔を覆いながら首を振る



「そう言う問題じゃ無いです…!!」

「まぁまぁ、静雄に言われて寝てたんだから悪いのは静雄って事でさ」

「………、……っいやいやそんな訳には…」

「あ、今一瞬静雄のせいにしかけた?」

「そっ、そんな事無いですよ!!」

「静雄が帰ってきたら言ってやろ」



トムはそう言って意地悪く笑いながら、にペンを手渡す

は書類に名前などを記入しながら、ふと首を傾げてトムを見上げた



「そう言えば家賃が通常の3割って聞いたんですけど、理由とか教えて貰えます…?」

「ん?あぁはいはい。実はね、今回見て貰った物件は事故物件でも無いのに何故かどうしても埋まらない部屋なんだわ」

「…それ、本当に何も無いんですか?」

「まぁ疑う気持ちは解るけど、世の中にはそう言う不思議と埋まらない部屋ってのがいくつかあるんだな。
でもそう言う部屋を遊ばせとくのは勿体無いし、大家は安くても良いから誰かに借りて欲しいと思ってる…
そこで俺らはそう言う部屋を率先して紹介して、決まったら仲介料を頂く事になってるって訳」

「なるほど…」



そんなトムの説明に納得したがふむふむと頷くと、ふいにの携帯が震えた



「メール?」

「ぁ、はい、そうみたいです」

「確認して良いよ」

「すいません」



トムの了承を得てが携帯を開くと、臨也からのメールが一通届いていた



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今池袋に居るよ。

今日この後時間が出来たら
連絡して。

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そんな一言だけの短いメールを読んで、はトムに尋ねる



「すいません、今日ってこの後何かする事ありますか?」

「いや、今日はもう特に無いけど…、ただ一つ問題があってなぁ」

「何ですか?」

「部屋に入れるのは明日鍵貰ってからになるから、ちゃんには今日もホテルに泊まって貰わなきゃなんだわ」



頭を掻きながら申し訳無さそうに言うトムに、は首を振って答える



「それなら大丈夫です。今日は今からちょっと今までお世話になってた人に会う予定が出来たので…」

「そうか?それじゃぁ今日はもう上がって良いよ。静雄には俺から言っとくし、また明日9時に来てくれれば良いから」

「有難う御座います、それじゃぁ…」



ソファから立ち上がり荷物を手に取ると、は事務所の入り口へと向かう



「あの、今日は有難う御座いました、お先に失礼します」

「あいよ。あぁそうだ、棚片付けてくれて助かったわ。明日も宜しく」

「はい、ではまた明日」



トムの言葉には笑顔で答えて、ぺこりと頭を下げると事務所を後にした



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