「ねぇ、君って今好きな人とか居る?」

「好きな人?別に居ないけど」

「そう。結婚式や新婚生活に憧れやこだわりってあったりする?」

「特に無い。と言うか結婚式とかしたくない」

「うんうん。それじゃぁ今後誰かを好きになったり結婚する予定は?」

「無いけど…」

「それなら良かった」

「?」

「だったらさ、俺と結婚してよ」

「…は?」









『イレギュラー・マリッジ』









「何?何かの仕事絡み?」

「まぁ、結論から言うとそうなるかな」

「結婚が必要になるって、一体どう言う状況?」

「知っての通り、情報屋は信用が物を言う仕事だからね。客から見て既婚者ってだけでやっぱり安心感が違うじゃない」

「確かに一昔前は一般企業だと結婚してなきゃ出世出来ないなんて言われてたけど…」

「でしょ?今時その手の考え方は時代錯誤だと言いながらも、やっぱり既婚者への根拠の無い信頼と言うのはあるよね」

「それは否定しないけど。でもだからってどうして今更?」

「今更と言うか今だからこそと言うか、俺ももう20代も後半だからね。結婚してると言う事実があった方が何かと便利かなって思ってさ」

「だったら偽装なんかじゃなくてちゃんとした相手探せば良いのに」

「別に俺は本当に結婚したい訳じゃ無くて"結婚している"と言う世間的な名目が欲しいだけだから」

「そんな理由なら適当に指輪でもしておけば周りは勝手に結婚してると思うんじゃない?」

「そりゃ左手の薬指に指輪をする程度なら俺一人でも出来るけど、写真を飾ったり入籍届を出すのは一人じゃ無理だからねぇ」

「何で写真?」

「事務所の一角にさり気なく2人の結婚式の写真を飾っておくんだよ。そうするとそれを見た客は俺の事を愛妻家の信用出来る人間だと思い込む訳だ」

「あぁ、なるほど…」

「入籍届については情報屋に依頼をして来る様な団体だと平気でこちらの情報を探って来るからね。"結婚している振り"なんてすぐにバレるよ」

「…言い分は解った。でもどうして私なの?利用されたい女の子なんて他にたくさんいるでしょう?」

「もちろん候補は何人か居たんだけど、色々ふるいに掛けた結果君が一番適役だったんだよ」

「具体的な条件は?」

@結婚式や結婚に憧れを持っていない
A親族や親しい友人が居ない。又は少ない
B今現在誰とも付き合って居ない
C精神的に自立しており家事炊事が出来る
D過去に犯罪歴が無い
Eある程度の護身術を身に着けている

「…って所かな」

「まぁ確かに6つとも全部該当してるけど…」

「女の子で結婚や結婚式に興味ない子って中々居ないんだよね。やっぱり人生に一度の機会だし親戚友人呼んできちんとパーティーしたいって子が多くて」

「あー…、まぁ普通はそうだろうね」

「でも今回の結婚はあくまでも形式上の物だからわざわざ披露宴なんてするつもりないし、
"式を挙げた"と言う名目の為に2人でその辺の教会で軽く上げて写真だけ撮って貰うつもりだからね」

「それをするにも親族や友達が多いと"何で式を挙げないんだ"なんて外野が煩いからって事で条件Aな訳ね」

「察しが良くて助かるよ」

「で、偽りの結婚式を終えて籍入れた後はどうするの?」

「適当に大き目のマンションでも買って一緒に暮らして貰う事になるかな。あぁ、仕事を辞める必要は無いから安心して」

「…まぁルームシェアみたいなもんか」

「そう思って貰って構わないよ。ただし"結婚している"と言う周囲からの認識がある以上、他の男を好きになったりされるのは困るけどね」

「"浮気された可哀想な旦那さん"にはなりたくない、と」

「そう言う事だね」

「うーん…」

「どうしたの?」

「その偽装結婚への協力に同意しちゃうと、私は苗字も変わるし一生"折原臨也の嫁"って肩書きがついて回るんだよね」

「そうなるね」

「それって私にメリット無いなぁと思って。ただでさえ広く恨みを買ってる臨也の嫁なんていつ人質に攫われるか解ったもんじゃ無いでしょ?」

「その心配は最もだけど、そんな事にはならないような準備はあるし万が一何かあった時の為の条件Eなんだよ。
メリットについてはそうだな、金銭的な苦労は掛けないし、が望む事があるなら出来る限り叶える事を約束しよう」

「…でも浮気禁止って言われても私だってまだ枯れ果てた訳じゃ無いから遊びたい時だってあるし……」

「その辺は責任持って俺が相手してあげるよ」

「臨也が?」

「何か不満?」

「不満、って言うか…」

「大丈夫だよ、満足させる自信はあるし。何なら今から試してみる?」

「は?」

「それで、悦かったら結婚してよ」

「いや、よかったらって…」

「へぇ、君って案外着痩せするタイプなんだ?」

「ぁ、ちょ…いざ」

「ほら、もう黙って」

「っ…」






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と、まぁそういった経緯で私の苗字が折原に変わったのが1週間程前の話



「あんなの卑怯だ…」



まんまと臨也の口車とテクニックに翻弄された己の不甲斐無さを思い出しながら私は一人深く息を吐く

あの日

見事にしてヤられた私との結婚が決まると、臨也は手早く手配を済ませ、翌日には指輪を購入し、

翌々日には二人きりで式を挙げ、そのまま入籍届を提出し、翌週には事務所から然程遠くない一等地のマンションを購入してしまった

大して多くもなかった私の荷物はあっという間に新居へと運び込まれ、その間に私がした事と言えば会社や役所、銀行などの名義変更手続き程度だ

そしてプロポーズと呼んで良いのか解らない出来事から1週間後には、もうこの新居での生活がスタートしていた



「まぁ全然新婚生活って感じでは無いんだけど…」



私は自分に突っ込みを入れてゆるゆると頭を振る

正直、結婚したからと言って臨也との距離は然程変わらなかった

このマンションの広さ、部屋数は2人で暮らすには大き過ぎる位で、その気になれば顔を合わせずに生活する事だって可能だ

実際ここ3日程は臨也の顔を見ていないし、彼の為に料理を作る事も無ければ洗濯や掃除なども自分の分しかやっていない

ルームシェアの様なもの、と最初に話していた通り、苗字が変わった以外私の生活は特に何も変わっていなかった



「………」



私はリビングのソファに座りながら、ぼんやりと写真立てに目をやる

テレビ台の傍らに飾られたそれは、臨也が事務所に飾る為に用意された物と同じ物だ

1つは事務所のデスクに、1つはこうして新居のテレビ台に置かれている

写真の中の私と臨也は、純白のドレスとタキシードを身にまとい意外にも幸せそうに微笑んでいる

こうして見ると2人はまるで恋人同士から晴れて結ばれた様で、こんな表情が出来るなんて臨也も私も随分と嫌な人間だなと自嘲の笑みを浮かべた



「さて、どうしよっかな…」



写真から時計へと視線を移し、私は腕を組む

本日は祝日で仕事は休み

特に予定も無い

臨也には定休と言うものが無く、家に居ない事を見ると恐らく今日も事務所に居るのだろう

起きた時間が遅かった為、既に正午に近い

現在の時刻を確認した事で思い出したかのように身体が空腹を訴え、私はソファから立ち上がった






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着替えを済ませて外に出た私は、当ても無く一人で新宿の街を歩く

途中見掛けたカフェで朝食兼昼食を済ませ、軽くショッピングをし、ついでに気になっていた映画も観た

親しい友達が居る訳では無いので休日は大体こんな感じだが、ふと、現実の夫婦ならこう言う時は二人で出掛けるものなのだろうか、と

そんな事を思った

改めて周りを見てみれば道行く人々は友達だったり恋人だったりと大概誰かを連れ添って歩いている

今まで一人で行動する事に疑問も不満も抱いた事は無かったけれど、もし今私の隣に臨也が居たら…等と考え、私は慌てて首を振る

結婚など自分には関係無いと思っていた癖に、一人前に理想の夫婦像の様な物が自分の中にある事が何だか恥ずかしかった



「……帰ろ…」



私は溜め息交じりに呟いて、少しだけ熱くなった頬の熱を誤魔化す様に顔を上げる

折角の休日なので夕飯は自炊しようかなと、帰り掛けにスーパーに寄ってマンションへと戻った






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「………」



ただいま、と言う相手も居ないので、玄関の扉を開けた私は無言のままリビングへと向かう

冷蔵庫を開け、使わない食材をしまい、今冷蔵庫にある物で作れそうな献立をいくつか頭に浮かべた

小麦粉、チーズ、バターにかぼちゃ、人参、ブロッコリー、玉葱

季節的に考えてクリームシチューかグラタンか



「…グラタン、かな」



少し悩んでから頷いて、私は早速調理に取り掛かる

普段ならホワイトソースは缶詰に頼る所だけど、時間もある事なので今日は一から作る事にした

小鍋にバターを入れてじわじわと弱火で溶かしていくと、キッチンにふんわりとバターの香りが広がる

小麦粉、牛乳をそれぞれ数回に分けて加え、混ぜ、炒め、やがてとろりとしたホワイトソースが出来上がった

必要分以外を耐熱容器へと移し、鍋に残した今夜のグラタンで使用する分にのみ少量の塩を加える



「これで良し、と」



ソースが完成し、私は続いて野菜の準備へと取り掛かる

かぼちゃと人参とブロッコリーを下茹でし、玉葱は甘みを出す為に軽く炒める

下茹でしておいたかぼちゃ等を加え、ホワイトソースを加え、塩胡椒を振りながらふと時計を見ると、間もなく18時になるところだった



「そういやこの家グラタン皿ってあったっけ…」



火を止め、無駄に大きい食器棚の扉を開く

棚の中には使用用途や大小様々な食器が来客など滅多に無いだろうに4枚ずつセットで揃えられている

これらも全て臨也が用意した物の為、今や自分の家だと言うのに私はこの家にある食器の種類や数も把握出来ていなかった



「んー……」



引き続きグラタン皿を探していると、かちゃりと玄関の鍵の開く音が聞こえ、程無くして臨也がリビングへと入ってくる



「あぁ臨也、おかえりー…、って言うか久しぶり?」

「ただいま。実に3日ぶりだね」



臨也はそう言いながら脱いだファーコートをソファの背もたれに掛けると、こちらにやって来てシンクで手を洗い始めた



「良い匂いだね、何作ってたの?」

「かぼちゃのグラタン作ってたんだけど…。ねぇ臨也、この家グラタン皿ってある?」



私が顔を上げて尋ねると、臨也は洗い終わった手をタオルで拭い私の背後を指差す



「それなら君の後ろの棚にあったと思うけど」

「あれ?さっき探したけど無かったけどなぁ…」



臨也の言葉に私が首を傾げると、臨也は何かに気付いた様にあぁ、と呟くと私の目の前に立った

そして私に向かって両腕を伸ばしたかと思うと、臨也の腕はそのまま私の後ろの棚の最上部の扉を開く



「耐熱皿なんてあまり使わないと思って上の方にしまってたみたいだね」



グラタン皿を取り出す為に臨也の身体が僅かに前傾し、私の額が臨也の胸に触れる

思い掛けない距離に私は思わず身体を強張らせたけれど、臨也は気にした様子も無く取り出した皿を私へと渡した



「はい、あったよ」

「ぁ、うん。ありがと…」



驚いたせいか些か動機が早まっている事には気付かない振りをして、私も努めて平静を装う

しかし臨也に手渡された皿の枚数に、慌てて声を掛けた



「ちょっと、何で1枚だけ?」

「ん?そんなにいくつも作るつもりだった訳?」

「いや、いくつもって言うかとりあえず今夜の分だけだから普通に2個だけど…」

「…あぁ、もしかして俺の分もあったりする?」



自分の事を指差して尋ねる臨也の言葉に、私は面食らったような、呆れたような、何とも言えない気持ちでこくりと頷いた



「帰って来るか解らなかったけど、温め直せば食べられるし一応作っておこうかなって…」

「そっか」



私の説明に納得したように頷いて、臨也はもう1枚の皿を取り出すと感慨深げに呟く



「頼まなくても自分の為に料理が作って貰えるって言うのは不思議な感じだねぇ」

「矢霧さん?」

「そうそう。波江さんには基本的に仕事の一環として俺がお願いして作って貰ってたからさ」



そう言って取り出したグラタン皿をキッチンに置きながら臨也は何処となく嬉しそうに呟いた



「俺の為に自主的に作ってくれるって言うのは初めてだよ」

「そうなの?それは意外と言うか何と言うか…」

「そう?料理なんてそれなりに深い仲にならないと作る機会無いでしょ。お菓子とかなら手作り品を貰う事はあったけど」

「まぁそれもそうか…」

「しかも奥さんの手作り料理なんて、俺の人生で初めての経験だよ」



臨也の口から出た奥さんと言う単語に、そう言えば世間的にはそう言う事になっていたのだったと改めて思い出す



「…私だって旦那様の為に作るのは生まれて初めてだよ」



私が負けずにそう言い返すと、臨也はそう言えばそうだね、と言って笑った

たかだか紙切れ1枚で繋がった偽物の夫婦ではあったけれど、こうして互いに自身の立場を意識するのは何だか不思議な気分だった



「とりあえず、今からオーブンに入れるから出来上がるまでは少し時間掛かるよ」

「そう。それじゃぁ俺は先にシャワーでも浴びて来ようかな」

「うん、行ってらっしゃい」



臨也がバスルームへと向かい、再び静かになったキッチンで私は一つ息を吐く

そして気を取り直して準備したグラタン皿をオーブンに入れ、テレビのスイッチを入れると再びキッチンへと立った






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「へぇ、何か本格的だね」



焼き上がるまでの時間を使用して作ったスープとサラダをテーブルに並べていると、シャワーを浴び終わった臨也が戻って来た



「本格的って?」



食卓を眺めながら呟く臨也に首を傾げると、臨也はふっと笑って椅子へと座った



「"二人で暮らしてる"って感じがするなって事だよ」



二人用のダイニングテーブルに並べられているのは、机の焦げ付きを防ぐためのランチョンマット

同じ形の、違う色をしたグラタン皿とスープカップ

揃いのカトラリーに、ペアのグラス

それはまるでドラマや雑誌などで良く見る"幸せな家庭の食卓"の様で、私はその場で瞬きを繰り返した



「ホントだ。言われて見ればどこぞのホームドラマみたいな事になってる…」

「面白いよね。食器を揃えただけでこんなにそれっぽくなるんだから」

「確かに、これ食器がバラバラだったらこんな感じにはなってないだろうねぇ」



臨也の言葉に同意しながら私も席につくと、臨也は炭酸水の入ったグラスを持ち上げた



「それじゃぁ二人の幸せな新婚生活に乾杯と行こうか」



口元に笑みを浮かべて私の方へ差し出す臨也のグラスに、私は何だそれ、と苦笑しながら自分のグラスを軽くぶつける

テレビから流れるニュースをBGMに、臨也がスプーンを手にしてグラタンを口へと運ぶ

同じように私もサラダへと手を付けると、臨也がへぇ、と独り言を呟いた



「思ってた以上に美味しいね」

「思ってた以上って、まずどの程度だと思ってたのか気になるんだけど」

「いや、自炊が出来るとは聞いていたけど、正直そこまで期待してなかったんだよね」



二口目を口にしながら臨也はあははと笑う



「ほら、君って結構色々な事に無頓着じゃない」

「そりゃ腹に入れば全部一緒だとは思ってるけど、でもどうせなら美味しく食べたいとは思ってるし味覚にもそれなりに自信あるよ」

「とは言え人の味覚なんて十人十色だしさ、実際に食べてみるまで解らないからね」

「それはそうかもしれないけど」

「まぁ俺はその人の個性が表れる"手料理"が好きだから本来味は二の次なんだけど…」



そう言いながら臨也はスープを一口飲むとカップを置いて満足そうに頷いた



「どうせ食べるなら美味しく食べたいと言う意見には同意するし、そう言う意味ではの料理の腕が良くて嬉しいよ」

「…お褒めに預かり光栄な事です」

「良かったらまた気が向いたら作ってよ。材料費とかは気にしなくて良いからさ」



臨也は再びグラタンを口に運びながら私に向かって声を掛ける

そんな臨也の台詞に私は喉の奥が締まる様な、不思議な違和感を覚えて微かに眉を顰めた



「………」

「どうかした?」

「いや…、うん。まぁ、気が向いたらね」

「うん、楽しみにしてるよ」



私の言葉に頷く臨也はいつもと変わらぬ素振りで、私はこの時自分がどうしてこんなにもモヤモヤとした気持ちになったのか気付けずにいた






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