ピンポン

臨也がカセットコンロの火を付けて暫く経った頃

ふいに玄関のチャイムが鳴り響いた







「…ん?」



事務所はとっくに閉まっている時間

来客の予定なども無かったはずだ

先程帰った波江さんが忘れ物でもしたのだろうか

はたまた気が変わって鍋を食べる気になり戻って来たのだろうか

いや、彼女に限ってそんな事あるはずが無い



瞬間的に臨也がそんな事を考えていると、再びチャイムが何者かの来訪を告げる



「………」



一体誰が何の用でこの時間帯に自分を訪ねて来るのだろうか

臨也はガスコンロの火を止めて席を立つと、多少警戒しながら玄関へと向かった



「……は?」



しかし玄関に辿り着いた臨也がドアスコープを覗くとそこに居たのは手にビニール袋をぶら下げたで、

思わぬ来訪者に臨也は首を傾げながらもひとまず鍵を開けて玄関扉を開く



「あぁ良かった居た居た。こんばんは折原くん」

「いや、こんばんはって言うか…、何?どうしたの?」



正直全くの予想外であるの来訪に臨也が面食らった様子で尋ねると、はにこりと笑いながら臨也の問いに答えた



「ぇっとね、小一時間前に岸谷くんがメールしてくれたんだ」

「新羅が…?」



「うん。""根拠は無いけど今日折原くんの所に行くと美味しいお鍋が食べられると思うよ!!""って…」



そう説明しながら"岸谷くんは相変わらず突拍子も無いよね"と言って笑うを前に、臨也はため息交じりに吐き出す

何故一人で鍋を食べる事を新羅が知っていたのか、と言う疑問に関しては、

恐らくセルティ経由でチャットを見ておりそこから行動を予測したのだろう

そこでわざわざに話を持ち掛けたのは、なら嫌がる事なく臨也の元を訪れてくれるだろうと言う新羅なりの配慮なのかもしれない



「余計な事を…」

「あれ、迷惑だった?」

「…まぁ正直俺一人でゆっくり食べるつもりだったけど、わざわざ此処まで来たのに帰すのも可哀想だし上がりたければ上がれば良いんじゃない?」



の問い掛けにそんな台詞を返しながら、臨也はに背を向ける



「ほんと?それじゃぁお言葉に甘えて…、お邪魔しまーす」



靴を脱いだは臨也の背を追って事務所スペースへと足を踏み入れると、ソファ前のテーブルを見下ろして感心したように呟いた



「ぉー、本当にお鍋が用意されてる…」



そう呟いて鍋を見つめるを視界の端に映しながら、臨也は再びソファに腰を下ろすとコンロの火を付ける



「突っ立って無いで座ったら?」

「ぁ、そうだね。それじゃぁお言葉に甘えて…」



臨也に促されたは荷物をソファの横に置き、臨也の対面へと腰掛ける



「これって水炊き?」

「そうだよ」



鍋の蓋の端をずらして中身を覗き尋ねるに頷いて見せると、は蓋を戻しながら臨也に笑い掛けた



「美味しそうだね」

「まぁそれなりに美味しいんじゃない?」

「でもこれ、一人で食べるつもりだったにしてはちょっと量多いよね?」

「そう?そんな事無いと思うけど」



「何故かとんすいも5つ出てるし…」



「ポン酢や胡麻ダレでそれぞれ使い分けるからね」



素朴な、それでいて全く遠慮の無い質問に淡々と答えを返す臨也に、はくすくすと笑う



「素直じゃ無いなぁ」



「何か言った?」

「ううん、何も。あぁそうだ、お土産持って来てたのまだ渡して無かったよね」

「お土産?」

「そうそう」



先程ソファ横に置いた荷物へと手を伸ばしたは、持参していたビニール袋の中から1本の酒瓶を取り出した



「何それ…って、お酒?」

「やっぱり、お鍋と言ったらゆっくり語らいながら美味しい焼酎を楽しむのが大人の嗜みってものでしょ?」



は得意げに語りながらまるでトロフィーか何かの様に両手で大切そうに抱えて見せる



「君の場合どうせ目の前にあるのがステーキだろうが寿司だろうがケーキだろうが同じ事言うんだろ」



そんなに臨也が呆れた様に尋ねると、はそんな事無いよ、と首を横に振りながら言葉を続けた



「ステーキならワインでしょ、お寿司なら日本酒でしょ、ケーキだったら洋酒系…、ちょっと強めのウイスキーとかが良いと思うし…」

「はいはい…。まぁ折角だから付き合ってあげても良いよ」



臨也はそう言って立ち上がりキッチンへ向かうと、やがて氷の入ったペールとロックグラスを二つ手にして戻って来た

目の前に置かれたグラスに早速氷を入れながら、は不思議そうに臨也に尋ねる



「折原くんってお酒飲まない割にグラスとかは持ってるんだね」

「まぁ自発的に飲む事は少ないけど、付き合いで色々貰う事もあるし一通りは揃えてあるよ」

「付き合いでお酒貰えるなんて羨ましいなぁ」


「君みたいに酒好きなら羨ましいだろうね」

「折原くんは嬉しくないの?」

「時と場合と物と量によるね」



そう答えながら手渡されたグラスを受け取ると、は自らもグラスを手に持ち臨也の方へずいと差し出した



「それじゃぁ折原くん、美味しいお鍋とお酒に乾杯」

「ん、あぁ…」



差し出されたグラスととを見比べ、臨也も手にしたグラスをのグラスへと軽くぶつける



「はー、美味しい」



グラスを一気に傾けた後で幸せそうに呟いたは、ぐつぐつと音を立て始めて暫く経つ鍋を見つめながら目を輝かせた



「ねぇねぇ、そろそろ蓋取っても大丈夫かな?」

「そうだね、もう良いんじゃない?」

「良し、じゃぁ開けるよー」



臨也の了承を得たが蓋を開けると、ほわほわと暖かな湯気と共に美味しそうな匂いが立ち昇り辺りに充満する

はうきうきとした様子で表面の灰汁をおたまで軽く取り除くと、とんすいに盛り付けて臨也に手渡した



「はいどうぞ」

「どうも」



「折原くんはタレって付ける派?掛ける派?ぁ、ポン酢とごまだれどっち使う?」



「特に拘りは無いけど強いて言うなら付ける派だね。ポン酢取って貰える?」



「はーい」

「有難う」

「それでは早速、いただきまーす」



すっかりのペースに飲み込まれた臨也は、に釣られたのか自身もいただきますと声を掛けてから食べ始める

思えば、こんな風に誰かと会話をしながら食べる事も頂きますと声に出したのも、随分と久しぶりだ

ふとそんな事を考えながら目の前に視線をやると、実に満足そうに頷くの姿が目に入った

ふぅふぅと冷ましてから口に運び、時折グラスを傾けてはまた別の具材を口へと運ぶ



「うんうん。やっぱりお鍋と言ったら鳥ももにくたくたの白菜の美味しさは揺るがないよね」

「………」

「あぁ、でもこの豆腐とネギに絡むごまだれの相性の良さも何とも言えないよねぇ」

「………」



「ん?どうしたの?」



「いや、随分と幸せそうだなと思ってさ」



少し皮肉を込めたつもりでそう答えてはみたものの、はそんな臨也の思惑などまるで意に介さない様子でにこにこと笑う



「当たり前だよ。美味しいご飯に美味しいお酒、そして目の前にはイケメン!!これで幸せじゃ無い訳がないよね」



はそう答えて満面の笑みを見せる

そんなの笑顔に毒気を抜かれたのか、面と向かって褒められた事が多少気恥ずかしいのか、

臨也は呆れた様に単純で羨ましい限りだよと呟きながら、自らも白菜を口へと運んだ



「やっぱり1人暮らししてると誰かとご飯食べる機会って少ないからね」



も同じように豆腐を口にしながら、独り言のようにぽつりと呟く



「しかもお鍋なんて普段自分で作って食べようなんて中々思わないし、久しぶりに食べると美味しさが染み渡るって言うか、身体の中から幸せって感じ」

「まぁ言いたい事は何となく解るけどね」

「それに、こうして誰かとお鍋を囲むのって、いかにも仲良しって感じで楽しいよね」



「仲良し、ねぇ…」


「あれ?何か不満??」

「確かに君とは高校の頃からの付き合いだから、旧知の仲と言えばそうかもしれないけど…」

「けど?」



「俺の事を折原くん、なんて苗字で呼んでる様じゃ"仲良し"とは言えないんじゃない?」



臨也がグラスの中に残る焼酎をぐっと呷りながら何の気なしに指摘すると、は神妙な面持ちで確かに…、と呟いた



「でも高校生の時からずっと門田くんも岸谷くんも平和島くんも苗字で呼んでたし、今更呼び方変えるのも…」

「…別に新羅やシズちゃんやドタチンの呼び方まで変える事無いと思うけど」

「ぇ?」

「いいや?まぁとりあえずさ、折角の機会だから試しに今俺の事名前で呼んでみてよ」



空になったグラスをトンと机に置きながら、臨也はにやりと口の端に笑みを浮かべる



「名前でって…そんな、急に言われても…」

「恥ずかしがる事ないでしょ?俺は普段からって呼んでる訳だし」

「そう言う問題じゃ…」

「こうして一緒に鍋を囲む仲なんだから、名前で呼び合う位普通の事だと思うけどなぁ」

「ぅ……」


「それとも、仲が良いと思ってるのは俺だけだったのかな…」



「、そんな事は…」

「悲しいなぁ、俺はともっと仲良くなりたいと思っているのに」

「………」



畳み掛けるように促され、難色を示していたはぐっと押し黙る

そして二度三度と目を泳がせた後、尚も誘導する臨也に根負けしたのかやがてゆっくりと口を開いた



「ぃ…」

「ん?」

「い…ざや……くん」



意を決した様子で小さく呟かれた声を聞きながら、臨也はの顔を見てふっと笑う



「そんなに恥ずかしがられると何だかこっちまで居た堪れない気持ちになるね」

「だ、だって、女友達ならまだしも男の人の事を名前で呼ぶ機会なんて今まで無かったし…」

「そうなんだ?」

「そうだよ。学生時代の友達や職場の同期も、普通はわざわざ名前でなんて呼ばないもん」



はそう言いながら、少々自棄になった様子で焼酎を飲み干して鍋に残る具材をよそって口に運ぶ



「そう言えば昔からが男を名前で呼んでる所って見た事無かったかもね」



そんなにからかう様な口調で臨也が言うと、は拗ねた様に答えて顔を背けた



「そりゃぁ私は誰かさんと違って異性を気軽に名前で呼んだりあだ名で呼ぶ程仲良くなる事なかったですから」



「へぇ。それじゃぁ俺がの初めての男なんだね」

「っその言い方は御幣がある…!!」



ぶんぶんと首を振るをにやにやとした表情で眺めながら、臨也も鍋へと手を伸ばす



「むしろ折原くんは昔からそうだけど、"沙樹"とか"波江さん"とか、気軽に女の子の事を名前で呼び過ぎだと思うんだよね」



空になったグラスに焼酎を注ぎ足しながら、は高校時代を思い出しながら悔しそうな、羨む様な調子で呟く



「それはほら、人間は苗字で呼ばれるより名前で呼ばれた方が親密度が高まり易いのは心理学的に明らかだし」



「??どう言う事?」



「親しくなればそれだけ色々な情報を引き出し易くなったり…、何かとお得って事だよ」

「…折原くんが情報屋なんてものが出来てるのって、絶対その顔のおかげだよね……」

「まぁ否定はしないよ」



そんな臨也の台詞に呆れた表情を浮かべながらは首を傾げた



「…それじゃぁ、門田くんや平和島くんをあだ名で呼んでるのも親しみを込めてって事?」

「いや、それは単なる嫌がらせ」

「デスヨネ」

「て言うかシズちゃんの場合俺が何と呼ぼうと結局殴り掛かってくるだろうから何て呼んでも変わらないだろうしねぇ」

「確かに…。いっそ今度フツーに"平和島くん"って呼んでみたら?」

「っはは、良いねぇ。それも面白そうだ」



の提案にくすくすと笑いながら頷いて、臨也はまた焼酎を一口呷ると、所で…、と切り出した



「さっきから呼び方が元に戻ってるけど?」

「ぇ?」

「折原くんじゃなくて、臨也くん、でしょ?」

「…いや、え?さっきだけの話じゃないの?もしかしてこれからもずっとなの??」

「嫌なの?」

「嫌って言うか、何か今更呼び方替えるなんてちょっと恥ずかしいと言うか…」



戸惑った様子を見せながら言葉を濁すにも構わず、臨也はあっけらかんと笑う



「大丈夫大丈夫、呼び続けていればすぐに慣れるよ」

「そう言う問題じゃ…」

「あぁ、でも新羅やドタチンの事は今まで通り苗字で良いからね。シズちゃんにおいてはいっそ名前とか呼ぶ必要無いから」

「あの…、折原くん?」



は何となくいつもと少し違う様子の臨也を不思議に思い声を掛けるが、臨也はむっとした顔で首を振る



「、臨也くん……」

「うん。何?」

「えぇと…もしかして、酔ってたりする?」



戸惑い気味に尋ねられたそんな質問に、臨也はきょとんとした顔をすると口の端に笑みを浮かべて尋ね返した

「どうして?」

「だって、何か様子が変って言うか、いつもとちょっと違う気がするって言うか…」

「そう?まぁ最近アルコールを口にする事も無かったし、思った以上に気分が高揚しているって言うのはあるかもしれないね」



の言葉に何処か他人事の様に呟いて、臨也は更にグラスを傾ける



の言葉を借りるなら、美味しいご飯に美味しいお酒、そして目の前には可愛い幼馴染。これで幸せじゃ無い訳がない、って所かな」

「な…」



そう言ってにやりと笑う臨也に、は赤面し言葉を詰まらせる

そんなを楽しそうに眺めながら、臨也はやがてぽつりと零す様に呟いた



「俺はね、この前新羅の家に招かれなかった事については特に何とも思ってないんだ。
あの場にはセルティはもちろん園原さんもシズちゃんも居たらしいし、俺はそんな化け物達と鍋を囲むなんて御免だからね」



そう言って軽く笑う臨也の言葉が強がりなのか本心なのか、表情や口調からは読み取れない



「そうやって日々様々な人間模様が描かれる中で俺はいつだって蚊帳の外だけど、それは俺が望んだ事で、
俺はその蚊帳の外から時折手や口を出して愛する人間の行動が観察出来ればそれで十分なんだよ」



臨也はそう自分の言葉に自分で納得したように頷いて、視線を鍋からへと移す



「今日だってあくまでも季節外れの鍋を囲む事で彼等にどんな心境の変化が現れたのかを確認したかっただけだし」

「………」

「でも、図らずもこうして君と他愛も無い話をしながら同じ鍋をつつく事になって、こう言うのもまぁ悪くないかなって思えたよ」



感慨深げに頷く臨也を前に、は少し驚いた表情を浮かべながら目の前の臨也を見つめ



「まぁ、俺は今酔っている訳だから、きっと明日には覚えてないだろうけどね」



そう言って臨也はいつも通りの調子で笑うが、その顔は良く見ればほんのりと赤く染まっている

本当に酔っているのか、それとも単なる照れ隠しなのか

は判断に悩みながらも一つ臨也に向けて質問を投げ掛けた



「原くん…じゃなかった。えぇと、臨也くん」

「何?」

「あの…私、これからもたまに此処に来て良いかな」

「ぇ?」

「臨也くんさえ良ければ、またこうやって二人でご飯食べて、お酒飲みながら、色々話したいなって」



はどうかな?と尋ねながら首を傾げるが、臨也はそんなの申し出に対して質問を返す



「何?俺の事可哀想な奴だって思った?同情とかしちゃった??」



臨也はそう皮肉気に笑いながら尋ねるが、は然程慌てた様子も無く首を振って答える



「違う違う。同情とかじゃなくて。何だろ…、私が、臨也くんともっと一緒に過ごしたいなって思ったって言うか…」



自分でも良く解っていない様子で首を傾げるに、臨也は何だそれ、と呟きながらも楽しそうに笑う



「まるで告白みたいな台詞だね」

「…や、そんなつもりは……無い…けど…」

「それは残念。それで?今後来てくれるとして、月に…、いや、週に何回位の割合で会いに来てくれる訳?」

「ぇ?それはお互いの都合の良い時にって言うか…」



「そう。まぁが来たいって言うなら好きにしたら?俺自身に会いに来るなんて稀有な人間、君ぐらいしか居ないだろうからね」



そう言ってグラスを机に置く臨也の顔は、やはり何処となく赤くなっているように見える

あくまでも素直になりきれないそんな臨也の言動が可愛くて、はくすくすと笑った



「何笑ってるの?」

「何でもないよ。ただ酔って赤くなってる臨也くんは可愛いなぁと思っただけ」



そう言ってにこにこと自分を見つめるに、臨也は少々決まりが悪そうに目を逸らすと残り少なくなった鍋を見て再度コンロの火を付けた



「そろそろ締めにしようか」

「締めって?」



「雑炊用にご飯があるらしいんだけど、要らない?」

「雑炊?要ります!!食べたいです!!」



鍋の醍醐味とも言える雑炊と言う言葉にが目を輝かせると、臨也はソファから立ち上がりキッチンへと向かった



これから先、この事務所へと足を運ぶ事で今日の様な彼の意外な一面をもっともっと見る事が出来るかもしれない

そう思うと何故か嬉しくなるような、わくわくするような、そんな不思議な感覚を覚える

季節外れの鍋によってもたらされた二人の心模様の変化が一体どんな結末を迎えるのか、まだ誰にも解らない

臨也が戻るのを待ちながら、はコンロの炎を眺めて幸せそうに微笑んだ




2015/12/03