俺は人間が好きだった

あらゆる人間のあらゆる行動を観察するのが好きだった

しかし世の中ただ眺めているだけでは早々興味を惹かれる様な事は起こらない

だから俺は少しでも燃え上がりそうな火種を探し、燃料を投下して来た

時には火の無い所に煙を立て、事態が出来るだけ最悪の方へ転ぶ様に仕向けた

それもこれも全ては愛する人間の色々な面が見たいからに他ならない

その結果が予想通りだろうが予想外だろうが一向に構わなかった

誰かが不幸になろうが幸せになろうが、俺には何も関係無かった

俺はただの傍観者として外側から人間の右往左往する姿を眺める…、それ自体が楽しみだった



「ねぇ臨也」

「何?」

「どうしてさっきから過去形なの?」



新宿某所 事務所内

書棚の整理をしながら話を聞いていたが、動きを止めて俺に尋ねる

俺はモニタに向けていた視線をに向けて、逆に問い掛けた



「どうしてだと思う?」



そう俺に尋ねられたは、両手に抱えていた資料を置いて質問に質問で返された事を怒るでも無く首を傾げる



「んー…、今はもう人間が好きじゃないから…とか?」

「そうだね。それだと半分正解、半分不正解って所かな」



俺はそんな風に答えながら立ち上がり、の居る書棚の前まで移動する



「俺はね、今でもちゃんと人間が好きだよ」

「そうなの?」

「もちろん。だからこそ今でもこうして情報屋を続けている訳だし」

「うーん…」

「どうかした?何か腑に落ちないって顔だけど」



俺の言葉に疑惑の視線を向けるに声を掛けると、は少し考える様子を見せた後に真っ直ぐ俺の目を見て口を開いた



「私ね、臨也の言う"人間が好き"って言葉は、"どうでも良い"って言うのと同じ意味だと思ってるの」



は俺の反応を伺う様にじっと俺を見つめながら続ける



「臨也って親しい友達とか居ないし、むしろ嫌われてるでしょ?だから、この世は臨也にとって"関係ない人"で溢れてるんだよね」

「関係ない人か…、そう言われればそうかもしれないね」

「でしょ?それで、自分に関係無い人だからこそ何処でどうなろうが構わないし第三者として面白おかしく傍観出来るんじゃないかな。
つまり臨也は何の思い入れも無く観察出来る人間が好きなだけで、そこに本当の好きや愛の気持ちを持ってる訳じゃないと思うんだ」



そう言って自身の考察を披露したは俺を見上げて得意げな表情を浮かべた



「なるほどね。確かに俺には親しい友人は居ないし、の言う様に無関係だからこそ楽しんでいたと言う部分はあるかな」



の意見に同調するように頷くと、は嬉しそうな表情に変わる



「俺にはどうせ関係無い、俺はどうせ蚊帳の外、だったら面白おかしくしてやろう…そんな考えが無かった訳じゃないからね」



俺は書棚の前に置いてある椅子に腰掛けながら続けた



「それでも俺はやっぱり人間を愛しているし、人間の行動には深く興味を持っているよ。まぁただ、全ての人間を好きだとは思わなくなったけど」

「何で?」



椅子に座っている俺を見下ろしながら、は俺の言葉に対しこてんと首を倒す

俺はそんなの左手に指を絡めながらを見上げて微笑んだ



「俺がを好きになったから」

「私を?」

「そうだよ。今の俺にとってに危害を加える存在は疎ましいだけだし、そんな奴等愛せる訳が無いだろ?」



そう当たり前の様に答えると、は恥ずかしそうに頬を染め、嬉しくて仕方ないと言った表情ではにかんだ

今までに何度も見た表情なのに、何度見ても飽きる事は無いし、何度だって可愛いと感じる

丸くなったと言うべきか

馬鹿になったと言うべきか

俺は自分の変化を何処か他人事の様に分析しながら絡めていた指を解き、の腰を引き寄せた



「だから、今の俺が愛してるのはに害の無い人間だけで、にとって有害な人間とシズちゃんは大嫌いだね」



座ったままの腰に両腕を回して抱き締めると、はくすくすと笑いながら俺の頭を優しく撫でる



「平和島くんの事は相変わらず嫌いなんだね」

「当然」

「そう言う所子供っぽいって言うか…、そもそも臨也って結構独占欲強いよね」

「まぁそうだね。自分でも意外だと思ってるよ」



のそんな言葉に同意しながら頷いて、俺はを抱き締めたままの腹部に顔を埋めた

こんな姿はとても誰かに見せられたものでは無いと思う反面、世界中に見せつけてやりたいとも思う

今こうして彼女と過ごす時間は何よりも幸せで、この幸せを壊そうとする人間が居るなら何としてでも排除しなければとすら思う

そしてそんな事を考える度に、俺は自分がこれまで紀田くんや沙樹にして来た事がどれ程残酷な事だったのかを思い知った

もしも今が沙樹と同じ目にあったら…、なんて事は正直考えたくも無い



「………」



自業自得、因果応報、天罰覿面…

様々な言葉が頭を巡っては消える

俺が今までして来た事が最低だと言う事は理解している

その為に俺が報いを受ける事になるのは構わない

しかしを巻き込む事になるのなら、例え卑怯だと言われようと全力で阻止しなければならない

幸い紀田くんが俺に復讐をして来る様子は無いし、沙樹も俺を恨んでは居ないと言う

今の俺はただその言葉を信じ、彼と彼女の気持ちに甘える事しか出来なかった



「…臨也?」

「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」



自分を呼ぶ声で我に返った俺が顔を上げると、が心配そうな表情で俺を見下ろしている

不安そうに俺を見つめているに謝ると、はぽつりと語り掛ける様に呟いた



「臨也は、後悔してるんだよね」

「ん…?」

「ちょっと前の臨也は愛を知らなかったから、色んな人に酷い事しちゃったなって思ってるでしょ?」

「あぁ…。まぁ柄にも無く反省していると言えばそうかもしれないね」



の問い掛けに素直に答えると、は上半身を屈めて俺の頭を抱える様に抱き締める



?」

「………」



そしてそのままは何を言う訳でも無く、ただ無言で俺を抱き締め続けた

やがて俺もそんなに身を委ねる様に目を閉じ、の暖かな体温を感じながら心臓の音に耳を傾けた

こんなにも静かで穏やかな時間を、俺は少し前まで知らなかった

本当は愛と言うモノが欲しくて欲しくて堪らなかったのに、自分には手に入らないと思い込んでいた

その癖それを周囲に知られるのが嫌で、寂しさを自覚する事を拒み、嫌われて当然の行動を取り、人間と言う存在そのものへの愛を騙った

どんなに嫌われても、どんなに憎まれても、恨まれても、蔑まれても、

俺が人間を愛しているのだからそれで良いのだと自分に言い聞かせ続けた

自分のしている事が無意味な事だとは解っていたけれど、それを認めるだけの強さが俺には無かった



「ホント、情けないよねぇ…」



これまでの事を振り返りながら、俺はまるで独り言の様に自身の想いを吐き出す

は俺を抱き締めたままそんな俺の言葉を時折頷きながら静かに聞いていてくれた



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「ねぇ臨也」



俺が一頻り弱音を吐き出した後

がぽつりと話し始めた



「人間ってね、過去からはどうしたって逃げられないんだよ」



それはいつの日か俺が紀田くんに向かって発した言葉に良く似た言葉



「一度起きた事は起きなかった事には出来ないし、忘れようとしても中々忘れられるものじゃないよね。
一度後悔するとそれは常に付き纏って離れない。…だからこそきっと人間は過ちを犯す事を恐れるんだよね」

「………」

「でもね、間違えて失敗してどんなに後悔しても、時間は勝手に進んで私達の事なんて全然待ってくれないんだよ」



そう少し困ったように呟いて、は抱き締めていた俺の身体を離すと俺と目を合わせて笑った



「だからさ、きっと何処かで折り合い付けたら開き直って次は失敗しないように生きて行くしか無いと思うんだ」



そんなの口から出た言葉に、俺は少しだけ呆気に取られて思わずを見つめたまま動きを止める



「…開き直るって……また随分と適当だね」



そしてらしいと言えばらしい台詞に、俺は思わず口元に笑みを浮かべた



「だって、いつまでも後悔してても事態は好転しないでしょ?反省はもちろん大事だけど、自分を責め続けるのは時間の無駄だよ」

「無駄って言い切るのは流石に極論じゃない?」

「いーや無駄です。臨也の場合は特にね」

「何で?」

「だって臨也は頭良いんだから、自分の何が悪いのか、本当はどうすれば良かったかなんて解りきってるじゃない。
反省って言うのは己の行動を省みて悪かった所を見つけて次への対策を立てる事なんだから、
解りきった事をうじうじぐだぐだ脳内で転がす時間はどう考えても無駄でしか無いでしょ?」



キッパリと言い切っては俺に同意を求める



「俺の頭が良いのはまぁ否定しないけど」

「うん、臨也は頭の回転はとっても早いと思うよ。だからこそ時折馬鹿だけど」

「…そう言うは基本馬鹿だけど時折敏いよね」

「まぁね」



俺の言葉に悪戯っぽい笑みを浮かべて笑うと、は俺の頬を両手で挟んで額が触れる距離まで顔を近付けた



「私も手伝うからさ。2人で開き直って、2人で一緒に償って行こう?」



は明るく言ってみせるが、その言葉は何処か覚悟を決めた様な真剣さを孕んでいる

そんなの気持ちは素直に嬉しいが、俺はその真っ直ぐな気持ちを受け止めるのを躊躇ってしまう

俺の過去の行いによってが嫌な思いをする事も、俺の犯した罪のせいでの身に危険が及ぶ事も、考えるだけで怖かった



「…俺の負債をまで背負う必要は無いよ」



そんな思いから思わずの言葉をやんわりと拒むと、俺の両頬はの指によって抓まれてしまった



「またそうやって逃げる」

「………」

「私はね、臨也の事が好きなの。愛してるの」



少し怒ったような顔で、は俺に言い聞かせるように言葉を掛ける



「愛してるから背負いたいの。私は臨也の過去も罪も良い所も悪い所も、全部込みで好きなんだから」



まるで小さな子供に言い聞かせるように、解る?と尋ねては俺の目をじっと見つめる

俺の過去も、俺の罪も、全てを受け入れ愛してくれる

そんな存在を、俺はどれほど求めていたのだろうか

俺の"全て"が好きだと言う言葉を、俺はどれほど望んでいたのだろうか

渇望しながらも決して手に入らないと思っていたものが、今俺の目の前にある

それは何だか笑ってしまう位嬉しい事で、泣いてしまいそうな程胸が締め付けられた



「臨也も、私の事が好きなら私の覚悟ごと全部受け入れてくれなきゃ」



そう言って優しく微笑むの顔が俺に近付き、唇が重なる

その感触は俺が今まで抱えていた重く冷たい感情を全て融かして行く様だった

俺は今まで自分が何の疑いも無く愛を享受し、また愛を注げる人間なんてこの世に存在しないと思っていた

俺を愛していると言った女は今までいくらでも居たが、その言葉を心から信用させてくれる人間は1人として居なかった

しかしある日フラッと俺の前に現れたは、あっという間に俺にとって唯一の存在になった

運命と言うものがあるのなら、まさしくとの出会いは俺にとって運命だったのだと恥ずかしげも無く思う事が出来る

それが俺にとってどれ程嬉しい事なのか、きっとは知らないんだろう



「………」

「臨也?」



の唇が俺から離れた後、が俺に声を掛けながら少し驚いた顔を見せる

俺はそんなを見つめ返しながら、ようやく自分が泣いている事に気が付いた



「びっくりした、臨也って泣けるんだね」



はそう言って笑いながら俺の頬に触れて涙を拭う



「人を何だと思ってるんだよ…」



俺は恥ずかしさを誤魔化す様に呆れた振りをする



「だって、臨也が泣いてる所なんて初めて見たもん」

「なんでちょっと嬉しそうな訳」

「ふふ、泣いてる臨也も可愛くて好きだなと思って」

「………」



こんな何でもないやり取りでさえ、今の俺にはとても新鮮で、とても尊いものに感じる



「…生まれ変わるってこんな感じなのかな」

「ぇ?」

「いや、なんでも無いよ」



目尻に残った涙を拭い、ゆっくりと息を吐く

過去は変えられない

だったら開き直って生きるしか無い

俺はの言葉を頭の中で反芻しながら、もう一度だけ、この人生をと共に生きようと思った



【Re:Birthday】