一つ言わせて欲しい

俺は今でこそこんな性格になってしまったけれど、最初から捻くれていた訳じゃない

少なくとも小学生の頃は、思考はともかく行動はクラスメイトと大差なかったと自負している

むしろその頃はまだ人間への愛に目覚めて無かったし、どちらかと言えば休み時間も教室に居る、控え目で大人しい少年だった

もちろん成績は申し分無いし、教師からの信頼も厚く、女子にもそれなりにモテた

俺からすれば同年代のクラスメイトと言うのは子供っぽくて好きになれなかったけれど、邪険にする事も無かった

そんな俺が此処まで歪んでしまった原因の一つが、中学の時に新羅に出会った事だ

出会った頃の新羅は既に"普通"では無かった

新羅は、教師もクラスメイトも異性に対しても、全ての人間に興味が無いようにいつも飄々としていた

そんな新羅に、俺は悔しいけれど嫉妬し、憧れを抱いていた

しかし新羅の他に、俺の人格形成に多少なりとも影響を与えたもう一人の人物が居る―



「え?好きって…、私の事?」

「うん。て言うかこの状況で俺がさん以外の子に告白するってありえないよね?」

「ぁ、そっか、そうだよね」



俺の言葉に納得したように頷いた後恥ずかしそうに笑ったのは同じクラスの

1年生の時同じクラスで隣の席だった彼女は、周りの女子に比べると随分と大人びた雰囲気だったように思う

好きだと自覚したきっかけは今となっては覚えていないけれど、恐らく些細な事だっただろう

彼女の独特な雰囲気に興味を引かれ、運良く2年生の時も同じクラスになった事で更に意識するようになっていた

俺が女子に対してハッキリとした好意を抱いたのは彼女が初めてで、告白と言う行為に至ったのもこの時が初めてだった



「でもびっくり。折原くんって女子とかに興味無いと思ってたのに」

「そんな事ないよ。まぁクラスの奴らとグラビアだとか下ネタだとか、そう言う下らない内容で盛り上がったりはしないけどさ」

「うんうん、折原くんって他の男子とはちょっと違うもんね」



中学生と言えば精神的にも体格的にも、まだ女子の方が優位である事が多い時期だ

そんな中で他の男子に混ざって馬鹿騒ぎをしていなかった俺は、彼女にとっても異端だったのだろう



「私も折原くんの事、好きだよ」



可愛く微笑んで告げられたその言葉に、俺は柄にも無く心を躍らせたのを覚えている

しかしその後彼女の口から発せられた台詞は、それ以上に忘れ難いものだった



「でも、中学生の私たちの好きってあんまり意味無いと思うの」

「え?」

「だって、お互いに好きでも結婚出来るのは大人になってからでしょ?」

「それはそうだけど…」

「大人になるまでずっと好きかは解らないし、私たちまだ子供だし」

「………」

「確かに折原くんは私の事が好きで、私も折原くんの事が好きだけど、でもこの後どうしたら良いのか折原くん解る?」



自分が子供だと理解している事自体、どちらかと言えば子供らしく無い

それでも彼女の言い分は理解出来たし、非常に正論だったと思う

互いに相思相愛である事を確認した所で所詮は中学生

愛と言うものへの理解は薄く、付き合うと言ってもせいぜい一緒に登下校して、たまにデートに出掛けるのが関の山だろう



「お母さんも男女交際は高校生まで待ちなさいって言ってたし」



彼女はそう言うと、小さく首を傾げる



「それでも折原くんは私の事、好き?」



そう問い掛けられた言葉に、俺は暫く彼女を見つめ、やがて無言で頷いた

それは本当に彼女の事を好きだから、と言うだけでなく

生まれて初めて自分から告白した自分への自信と、その結果を失敗に終わらせたくない

そんな単なる意地やプライドがそうさせただけのような気もする



「それなら、一つ賭けをしようよ」



彼女はそんな俺の気持ちを見透かしていたのだろうか

突拍子も無い申し出に俺は思わず尋ね返す



「賭け?」

「うん、ルールは簡単だよ。今日から卒業するまでの1年間、折原くんは私の弱みを探して当てるの」

「弱み…?嫌いなものとか、苦手なものって事?」

「ううん、そう言うのじゃなくて、それをバラされる位なら何でも言う事聞きます!!ってなるようなものかな」



説明しながら、彼女は少し挑戦的な表情で俺に笑い掛ける



「折原くん、周りの人は馬鹿だって思ってるでしょ」

「…、どうして?」

「私、自分で言うのも何だけど結構人の事を見る目があると思うんだ」



答えになっていない返事を口にして、彼女は少し得意げに胸を張る



「この賭けに負けない自信があるの」

「それは自分の弱みが俺にバレる訳無いと思ってるって事?」

「そう。だから、折原くんにはそんな私の予想を覆して、弱みを握って屈服させてみて欲しいな」



今考えてもとんでもない事を言う女だと思う

しかしそんな彼女を確実に変人だと感じながらも敬遠しなかったのは、もう一人の岸谷新羅と言う変人が傍に居たお陰かもしれない

むしろ当時の俺はそんな電波極まりない事を言ってのける彼女がとても魅力的に見え、彼女こそ自分に相応しいとさえ思えた

そして彼女がそう言うのならば、お望み通りどんな手を使ってでも成し遂げてやろうと思ったのだった



「…俺がさんの弱みを見つける事でどんなメリットがあるの?」

「それはもちろん弱みなんだから、もし見つかったら何でも言う事聞くよ」

「何でも?」

「うん、何でも」

「なるほどね…。解った、必ず君の弱みを握ってみせるよ」



俺がそう答えると、彼女は何故か嬉しそうに笑って人差し指を上げた



「それじゃぁ決まり。期限はさっきも言った通り、今日から卒業するまでの1年間ね」

「もしそれまでに見つけられなかったら?」

「その時は…、私が折原くんに一つだけ言う事聞いて貰おうかな」



上げていた人差し指を自身の頬に当てながら俺の質問に応える彼女に、俺は更に問い掛ける



「へぇ、一体俺に何をさせるつもり?」



しかし彼女はその問いに答える事は無く指を口元へと移動させて悪戯っぽく笑みを浮かべた



「それはまだ内緒。でも酷い事はさせないから安心して」

「まぁ良いけど。卒業までなんて言わずにすぐにでも探してみせるから」

「ふふ、期待してるね」



と、まぁ大体こんな成り行きでと言う人物の弱みを握る為に行動し始めたのが現在の情報屋と言う仕事に生かされているのだろう

俺は次の日から早速彼女の弱みを握るべく、まずは情報収集から始める事にした

情報収集と言っても彼女の親しくしているクラスメイトに近付きさり気なく聞いてみる程度で、残念ながらその結果は芳しく無いものだった

それでも諦めずに普段の彼女の言動から探ろうと観察してみたり、会話を何気なく耳に入れたり、

時には偶然手にしたクラスメイトの弱みを元にそいつを操って探ってみたりもした

そしてこの一連の流れの中で"人の弱みを握る事"の意味を知り、

と言う人物を取り巻く環境や人間関係についてを観察する内に、俺は人間の愚かさを目の当たりにする

更にそこで俺はその愚かさに面白さを感じ、人間のあらゆる側面を見てみたいと考える様になっていった

しかし肝心の"の弱み"はいつまでたっても中々掴む事が出来なかった

彼女は比較的大人しく、クラスメイトと衝突する事もなければ敵対する事も無い

小学生時代に彼女と同じ学校だった人物に話を聞いても弱みと呼べそうなエピソードは何一つ得られなかった

代わりに関係無い人間の情報はクラスメイトから別の学年から教師からと次々に集まった

一般的な情報としては意中の相手や過去の失敗、痴態、人に言えないちょっとした趣味などが多かったが、

中には軽犯罪の履歴やいじめ、援助交際、不倫、浮気、二股等々…、人間の汚い部分が浮き彫りになるものもあった



「いやぁ、こうして諸々を目の当たりにすると性善説とやらも疑わしく思えて来るよねぇ」



放課後の教室で独り言を呟くと、目の前で日誌を書いていた新羅が顔を上げて俺の方へ振り返った



「どうしたんだい?藪から棒に」

「見てよこれ、昨日偶然撮れちゃったんだけどさ」



机の上で写真の整理をしていた俺は、その中から1枚の写真を新羅に手渡す



「これは…」



俺が手渡した写真を見た新羅は、少し驚いたような表情で眼鏡に手を掛ける



「そう。隣のクラスの女子と、うちのクラスの担任のツーショット。しかも場所は歓楽街と来た」

「何て言うか…、一体どう言う経緯で盗撮するに至ったかは聞かない方が良いのかな」

「盗撮とは失礼だなぁ。俺はただ聖職者である教師の1日を手本にしようと少し追ってただけだよ?」



新羅の言葉に首を振り、俺は新羅の持つ写真に写る教師を指差した



「コイツさ、妻子持ちの上風紀委員の顧問の癖に何度か生徒に手出してるっぽいんだよね」



担任をコイツ呼ばわりしながら呆れた様に息を吐く俺の言葉を聞きながら、新羅は手にした写真を眺める



「しかも手口が悪質でさ、いかにも誘いを拒めないような大人しそうな生徒ばかり生活指導の名目で指導室に呼び出してるんだ」

「へぇ…。でもどうしてそんな事に気付いたんだい?」

「ちょっと色々あってね。今さんの弱みを握ろうとしている所なんだ」

さんの弱みって…、だって君さんの事好きなんじゃ無かった?」

「それが話すと長くなるんだけど、この間告白したら彼女からそう言う交換条件を持ち掛けられたんだ」

「告白!? まぁ…、その辺の説明は後で聞くとして。それで?」

「で、さんの周辺の事を調べてる最中コイツが彼女を狙ってる気がしたから、ちょっと探りを入れてみたらこれが大当たり」

「なるほど。それでさんに危害が及ぶ前に潰しておこうと尾行の末盗撮に及んだ訳だね」



俺は納得したように頷く新羅に同調するように頷いて、背もたれに体重を掛けた



「まぁそんな所だよ。生徒に手を出すような奴を野放しには出来ないからね」

「そんな事言って、この写真に写ってる女子の事は助けなかったんだろ?」



写真をひらひらと振って尋ねられた問いに"まぁね"と軽く答えると、新羅は更に首を傾げた



「それで、この後はどうするんだい?」

「そうだなぁ、このネタを元にさんに近付かない様に忠告する…だけじゃぁ面白味に欠けるよね」

「またロクでも無い事考えてるって顔だね」



心配しているのか、それとも1年生のあの事件のように自身が巻き込まれるのを危惧しているのか…

相変わらず真意の掴めない表情を浮かべる新羅の脇腹に目をやって、俺は口の端でにっと笑った



「安心してよ、奈倉の時みたいに追い詰めすぎて逆上される様な真似はもうしないからさ」

「まぁ良いけど、程々にしておきなよね」



新羅はそう言って苦笑しながら写真を俺に戻し、前を向くと再び日誌へと目を向けた



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「良し、書き終わった」



日誌をパタンと閉じて立ち上がり、新羅はその場でひとつ伸びをする



「僕はもう帰るけど、折原くんは?」

「あぁ、俺ももう帰るよ」



鞄と日誌を手にした新羅に合わせて立ち上がり、俺と新羅は久しぶりに揃って下校する



「そう言えばさっきさんに告白して妙な交換条件を突き付けられたって言ってたけど、詳しく聞いても良い?」



校門を出て少し歩いた所で切り出した新羅に、俺は自身が告白した所から今日に至るまでの経緯を話して聞かせた

この時、告白なんて柄でも無い事をした事実を話す事を別に恥ずかしいとは思わなかった

何故なら新羅には普段から嫌と言う程惚気話を聞かされていたし、俺が色恋について語った所で誰かに言い触らす様な事は無いと思ったからだ

そもそも、少々癪な話だが今思えば俺が恋や愛と言う物に興味を持った切っ掛けが新羅の惚気話のせいと言う気もする



「そう言う訳で、俺はさんの弱みを握って彼女との賭けに勝たないといけないんだよ」

「なるほどね…。事情は解ったけどまさかさんがそんな突飛な事を言い出す子だったとは思わなかったなぁ」

「全くね。前々から掴み所が無いとは思っていたけど、予想の斜め上を行く予想外だったよ」



新羅の言葉にそう答えながら、俺は今回の様な"自分の予想を超える言動"を目の当たりにする事を、大いに喜ぶべき事だと感じていた



「今回色々と調べてみて、さんの他にも多くの予想外を目にしたよ。逆に予想通りな奴も居たけど、それはそれで面白いもんだね」

「そう言えば折原くんって1年の頃から人間観察が趣味みたいな所あったもんね」

「まぁ中に入るよりは外側から眺めてる方が好きな事は認めるよ。その方が色々な事が良く見えるしね」

「でもまださんの弱み?弱点?は見つけられてないんだ?」

「残念ながらね」



からかう様に投げ掛けられた問いに、俺は短く頷いてため息を吐いた



「向こうもそう簡単には見つけさせないようにしてるみたいでさ、一筋縄じゃいかないよ」

「へぇ…。見つけさせないって、どうやって?」

「常に警戒してるって言うのかな、こっそり観察しようとしても目が合うんだ」

「目が合う?」

「そう。そして目が合う度に笑うんだよね」



例えば彼女が教室で友達と談笑をしている時

会話の内容や彼女の言動から弱点に繋がる事は無いかとそっと様子を伺う事がある

しかし大抵の場合彼女はそんな俺の視線に気付き、視線を合わせる度に小さく笑った

それはまるで"まだ見つけられないの?"と言われているようで、俺は目が合う度に何となく気まずさを感じていた



「別にまじまじと見てる訳でも無いのに気付く位だから、相当警戒されてるんだろうね」

「……えーっと…、さ」

「何?」

「いや…、その……。ううん、やっぱり何でもない」



新羅は散々何かを言おうかどうか悩んだ末に結局言葉を飲み込んだ



「これは君とさんの問題だからね、僕が口を挟む事じゃ無いんだよね、うん」

「何だよ?」



俺は独り言の様に呟かれる言葉の意味が解らず新羅に尋ねる

しかし新羅はへらりと笑うだけで、それ以上は何も答えなかった

今思えばどうして気付かなかったのかと当時の自分の浅はかさを呪うばかりだが、

良くも悪くも当時の俺はまだまだ幼く、人間の事も自分の事も良く解っていなかったのだ



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そんな事があってからあっという間に月日は流れ、とうとう俺はの弱みを握れないまま卒業の日を迎えてしまった



「………」



退屈なだけの卒業式をつつがなく終え、クラスメイトが教室を出て校門へ向かう中俺は一人屋上へと向かった

通常、学校の屋上と言うものは開放されておらず、うちの学校も屋上へと続く扉には確りと鍵が掛けられている

しかし鍵の掛かっている屋上へ上がりたいなら、鍵を開錠すれば良いだけの話だ

俺はポケットから取り出した鍵で頑丈そうな南京錠を開けて屋上へ出ると、フェンス越しに校門前で写真を撮っている集団を見つめた



「………」



わいわいと楽しそうな集団の中から彼女を探そうとしたけれど、何故か彼女の姿が見当たらない



「…はぁ……」



この時の俺の胸中に渦巻いていたのは何だっただろうか

情けなさ、虚しさ、腹立たしさ、寂しさ

自分らしくもない色々な感情がごちゃごちゃとせめぎ合っていたような気がする

しかしそれを表に出す方法を知らなかった俺は、こうして屋上から様々な人間模様を見下ろす事しか出来なかった

暫く一人でたそがれていると、背後に人の気配を感じて振り返る



「良かった、やっと見つけた」



そこには息を切らした彼女の姿があった



さん…」

「もう帰っちゃったのかと思ったよ」



彼女はそう言って笑いながら俺の隣までやって来ると俺を見上げた



「1年前の約束、覚えてるよね?」

「もちろん、覚えてるよ」

「私の弱みは見つかった?」

「…残念ながらそれっぽい物は掴めなかったね」



悪戯っぽく尋ねる彼女に、俺は言い訳をする気にもなれず素直に首を横に振る

すると彼女は一度俺から視線を逸らし、再度俺の目を見て問い掛けた



「ねぇ折原くん」

「ん?」

「私の事、まだ好き…?」

「何?急に…」



質問の意味が解らずに怪訝な顔をする俺に向かい、彼女は言葉を続ける



「この1年間…、折原くんは私の弱みを探る為に私の事をずっと見てたでしょ?」

「まぁ…見てたと言えば見てたけど」

「その中で、私の事嫌いになったり、無理だなって思ったりしなかった?」



不安そうに尋ねられた言葉を聞き、俺は改めてと言う人間の事を考える

クラスで特別目立つ訳では無いけれど、決して存在感が無い訳では無い

明るいと言う訳では無いけれど、いつも笑顔で誰かと争っている所を見た事が無い

しかし大人しく地味と言う事も無く、時々周りが予想もしていないような言動で場を驚かせたり和ませたりもしていた

成績も身体能力も良好で、容姿はクラス1とは言わないが一般的に見て可愛らしく、実は彼女に好意を寄せる男子は多い

外見も、内面も、能力も、思いつく限りでは非の打ち所は無く、嫌いになる要素は一つも無かった



「少なくとも、これまで見て来た中で俺がさんを嫌う要素は何も無かったよ」



むしろ、観察すれば観察する程好きになった…、とまではこの時は流石に言えなかったが、

それでも告白した時と変わりなく、今でも好きだと言う気持ちは素直に伝えたつもりだった



「本当?良かった…」



そんな俺の言葉に嬉しそうに微笑む彼女は、幼さと女性らしさが混じりとても綺麗だと思った

しかし彼女は次の瞬間、いかにも中学生らしい悪戯っぽい笑みを浮かべる



「それじゃぁ、賭けは私の勝ちだよね」

「あぁ、そうだね」

「約束通り、私の言う事聞いてくれる?」

「仕方ないけど、そう言う約束だからね」



俺は軽く頭を掻きながら答えて彼女が一体どんな命令を下すのかを考える

1年間彼女を観察して来て解ったのは、彼女の行動は決して俺の思い通りにならないと言う事だった

だから、この時も"きっと俺の予想を超えるような事を言って来るに違いない"と言う事だけを頭に俺は彼女の言葉を待った

そして彼女の口から一つの約束が紡がれる―



「私の事、忘れないで」



それは本当に予想もしていなかった台詞で、この時の俺は非常に間抜けな顔をしていたに違いない



「は…?まさかそれがお願いとか言わないよね…?」

「ううん。これが私のお願いだよ。この先何があっても、絶対に私の事を忘れないで欲しいの」

「忘れるも何も…、さんも来神に行くんでしょ?」



2年の終わり頃の進路相談時は確かにさんもクラスの大半と同じく来神学園に行く事になっていたはずだ



「確かに来神学園は生徒数は多いし同じクラスにはなれないかもしれないけど、忘れるなって言うのは大げさじゃないかな」



嫌な予感を抱きながらも平静を装って尋ねると、寂しそうに笑う彼女から返って来たのは、この時ばかりは予想通りの言葉だった



「…私は来神には行かないよ」

「っどうして…」

「実は折原くんが告白してくれた日の少し前にね、お父さんの仕事の都合で海外に行く事が決まってたの」

「……海外…?」

「うん…。そうじゃなかったら、あの日折原くんの告白も普通に受け入れてたんだけどね…」

「………」



寂しげに、しかし諦めた様に淡々と紡がれる言葉が、何処か別の世界の言葉の様に俺の耳を通り過ぎる

そして何かの冗談であって欲しいと思う気持ちを胸にどうにか俺の口から出た言葉は、笑ってしまう位に幼稚なものだった



「別に…、日本を発つまで1年あったんだから、普通に受け入れてくれても良かったんじゃないの?」



そんな台詞を吐いてすぐに俺は自身の発言を後悔する

しかし彼女はそんな事は見透かしているとでも言うように、苦笑交じりに俺に同意を求めた



「離れるのが解ってるのに付き合っても、どうせ後が辛くなるでしょ?」

「それは…」

「でも私、折原くんの事本当に好きだから少しでも記憶に残りたくて…、それであんな賭けを申し出たんだ」



悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言うと、彼女は少しだけ得意げに言葉を続けた



「まぁ、最初に言った通り、絶対にバレないって自信があったからこそ持ち掛けたんだけどね」

「絶対って…」

「嘘じゃないよ?折原くんが私の弱みを握れる確率は0%だって思ってたんだから」

「まぁ確かに君の弱みは全く見つけられなかったし言い訳はしないけど…」



自信満々に言い放つ彼女に些かムッとするものの、実際見破る事が出来なかった俺は遣る瀬無さを飲み込みため息として吐き出す

そして1年間掛けても解らなかった"答え"が今更気になり、俺は少し迷った後で改めて声を掛けた



「ねぇさん」

「ん?」

「どうせ旅立つなら、最後に教えてよ」



最後に、と言う言葉に含めた想いを汲んだのか

彼女は一瞬戸惑った様子を見せたもののやがてぽつりと呟いた



「…私の弱みは、折原くんだよ」

「俺…?」

「そう。折原くんの事が好きで好きで仕方ないのが、私の最大の弱点」

「いや、何だそれ…」

「何だも何もこれが答えだもん。実は前から密かに好きだったんだけど、告白してくれてからは益々寝ても覚めても怖い位折原くんの事考えちゃって…」



彼女は少し早口になりながら、自分自身に呆れている様な口ぶりで言葉を続ける



「授業中も友達と話してる時も、折原くんの事がどうしても気になってつい見ちゃってたんだけど、気付かなかった?」

「確かに…、良く目が合うなとは思ってたけど…」

「でしょ?今だって、折原くんの目の前に立ってる事にすっごくドキドキしてるんだから」



そう言われて初めて意識して彼女を顔を見てみると、確かに両頬は微かに赤くやや緊張している様に見えた



「私が折原くんの事こんなに好きなんだって、もし折原くんが途中で気付いたら、ちょっと引かれちゃうかなって思ってたんだけど…」

「………」

「でも折原くんは周りの事には聡いけど自分の事はあまり気付かない人だから大丈夫だろうと思って」



彼女は顔を赤くしながらも、じっと俺の目を見る



「折原くんって、何か黒幕って感じでいつも裏でこそこそ動いてるけど案外自分の事には鈍感でしょ?」



新羅にも言われた様に、前々から人間観察を趣味としている自覚はあった

内側よりも外側から人間関係を観察し、時には引っ掻き回す事が楽しかった

でもまさか自分を観察している人間が居るとは思っていなかった



「私、そんな折原くんが好きだよ」



自分を恨んでいる人間がたくさんいる事は解っていた

でもまさかそんな自分を肯定して好意を持ってくれているとは思っていなかった



「本当に君は…、俺の予想を軽々と飛び越えてくれるよね……」



独り言の様に呟きながら、俺は自分と言う人間の思慮の浅さとと言う人間の奥深さに思わず片手で顔を覆う

そしてゆっくりとした足取りで彼女に近付くと、自分と然程背丈の変わらない彼女の身体をそっと抱き寄せた



「っ折原くん!?」

「忘れないよ」

「……あの…」

「絶対に忘れないし、俺の事も忘れないように定期的に連絡するから」

「………」

「だから暫く離れるって解った上であえてもう一回言わせて貰うよ」

「……?」

「俺と、付き合って下さい」

「……っ」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・





それは今となっては青臭いだけの、ただの良い思い出だった



「何で今頃…」



そんな酷く懐かしい夢を見ていた俺がふと目を覚ますと、そこは何処かの病院の一室のようだった

規則正しい電子音だけが響いており、その音が自分の脈拍を示すものだと言う事に気付いた途端、がちゃりと部屋のドアが開いた



「黄根、さん…」

「目が覚めたか。アンタは運が良いな」

「何を…」



言葉の意味が解らず身体を起こそうとするが、激痛とも言える痛みが走り俺は仰向けのまま思わず顔を歪める



「流石に起き上がるのはまだ無理だろう。あれだけの大怪我を負ったんだから、暫く大人しくしておくんだな」



そんな言葉を聞き、俺はようやくこの怪我が化け物こと平和島静雄との死闘で負ったものである事を思い出した



「………」

「とりあえず今日の所はまだ動けないんだ。傷口が開かない様気を付けてもう一眠りすると良い」



黄根さんはそう言い残すと、俺の返事も待たずに再び部屋の外へと出て行ってしまう

此処が何処なのか、今が一体何時なのか、俺が意識を失ってからどれだけの時間が経ったのか

何一つとして解らないまま俺は痛みを和らげる為にゆっくりと息を吐き、先程の夢を思い返す

卒業してからもう何年も経ち、最近では思い出す事さえ無かった淡い思い出

それを今更夢に見たのは、俺が心身ともに弱っているからなのだろうか

あの日俺の告白に泣きながら頷いた彼女は、翌日昨日とは別の涙を流しながら海外へと旅立った

俺はそんな彼女を励ます為に、努めて明るく、笑顔で見送った

お互いに携帯電話は所有していたものの、今の様に海外でも使える程携帯は万能では無かった

時折していた手紙のやり取りは、高校卒業時に職業柄事務所の住所を教える訳にも行かず、いつしか途絶えた

そうして彼女と離れた後、俺は情報屋と言う商売を始め、より一層人間への興味を持ち、化け物への嫉妬で自らも化け物と成り下がった

様々な人間の運命を弄びながら不本意な結末だったとは言え平和島静雄と言う因縁の相手との対決が収束した今、改めて考える

俺は、一体何を望んでいたのだろうか

人間の行動原理への興味を愛と称する事は間違っていたのだろうか

本当に俺は人間を愛していたのだろうか

そもそも愛とは何だろうか

人が人として生きる為に本当に必要なものなのだろうか

妖精であるセルティを変えたのは、新羅と、新羅に対する愛だ

平和島静雄がただの化け物から人間の様なモノに変わったのは自己肯定と言う名の自分への愛

竜ヶ峰帝人は非日常を愛し、園原杏里は日常を愛し、紀田正臣は仲間を愛し、三者三様に寄り添う

矢霧波江も、矢霧誠二も、張馬美香も、どいつもこいつも愛、愛、愛、愛、愛、愛…



「下らない…」



そう嘲笑う様に呟いた言葉は誰の耳にも入らずシンと静まり返った部屋の中に消える

解ってる

一番下らないのは他でも無い自分だ

一番哀れなのは誰にも愛されない自分から目を背け、自分は傍観者だと必死に思い込んでいた、そんな自分自身だ

どうしてこうなったのだろうか

あの日、彼女が旅立つまではこんなに歪んでいなかったはずなのに

此処までぐるぐると色々な事を考えて、そして俺はようやく一つの結論を出す事が出来た



「本当に下らないな…」



思わず顔を覆いながら、俺は静かな部屋で独り笑う



"寂しかった"



ただ、それだけだ

新羅にはセルティが居て、門田は友達が多く、シズちゃんはあの馬鹿力を怖がらない弟が居て…

周りを見渡しても何処にも"俺だけの存在"が居ない事が寂しかった

もちろん、そう言った自分が心を許せる絶対的な存在は、出来るものでなく作るものだと言う事は知っていた

だからあらゆる人間を知ろうとし、その度に人間の底の浅さに絶望した

本当は、と言う存在が遠く離れて行ったあの日、俺は笑って見送るのでは無く彼女と一緒に泣くべきだった

声を出して泣き、自分の身に起きた理不尽に怒り、自分の不甲斐なさを悔やめば良かったのだろう

そしてその後で無理矢理にでも彼女を追い掛け迎えに行けば良かったのだ



「…俺は馬鹿だ」



ぽつりと無意識に呟いた声は震えていて、俺はそこで初めて自分が泣いている事に気が付いた

こんな風に涙を流したのは何年ぶりだろうか

何年も溜め込んできた感情と共に涙を流す内に、俺は一つ決心する

この身体が自由に動く様になったら、に逢いに行こう

逢って、連絡が途絶えた事を謝り、そして今度こそ「傍に居て欲しい」と伝えよう





両頬を伝って枕を濡らす雫の暖かさを感じながら、俺はゆっくりと目を閉じた





『―独白―』




2014/03/30