彼と初めて会ったのは確か小学生の頃だったと思う
彼は当時から利発そうではあったがどちらかと言えば大人しく、いつも図書室の隅の方で本を読んでいた印象が強い
その頃の私はと言うと、彼と同じくどちらかと言えば地味で大人しい部類の人間で、やっぱり良く本を読んでいた
彼とは時折図書室で顔を合わせる事もあったけど、とりたてて何かを話した記憶は無い
そのまま大人しいからと虐められる事も特になく平穏無事に6年間を過ごしたのち、私は親の転勤に伴い池袋を離れる事になった
そして新しい土地で過ごした中学時代を終え、再び池袋に戻る事になったのは高校1年生の終わりの頃だった
「初めまして、です。小学生の頃は池袋に住んでましたが親の転勤で一度京都に引っ越して、今回また池袋に戻って来ました」
転校初日
挨拶をする私の目には、私を見つめる40人近いクラスメイトと誰も座っていない3つの席が映っていた
「それじゃぁ皆仲良くするように。でははそこの空いてる席に座りなさい」
「はい」
3つ空いている席の1つを指差す先生の指示に従い机へと向かう
嬉しい事に窓際の席を割り当てられた私は、隣の席の人に軽く会釈をしてそこに座った
「それでは各自1時間目が始まるまで騒がずに待つように」
担任の先生はそう言い残して教室を後にする
その瞬間私の周りに数名のクラスメイトがやって来て色々と話し掛けてくれた
皆良い人そうでホッとしながら2、3質問に答えた所でなんの気無しに空いている2つの席について尋ねると、クラスメイトは互いに顔を見合わせた後で、
「あの2人には関わらない方が身の為だよ」
と、こっそり教えてくれた
「怖い人達なの?」
「怖いって言うか、ヤバいんだよね」
「うん、何かもう別次元のヤバさって感じ」
そう説明してくれた人達の"ヤバい"と言う言葉は酷く抽象的だった
しかし決してその子達の語彙力が乏しい訳でも私をからかおうとしている訳でも無い事は、表情や口調から知る事が出来た
"ヤバいとしか表現出来ないからヤバいと表現した"
そんな説明がしっくり来る、ただそれだけの事の様だった
その後、女の子がふと何かに気付いた様に窓から校庭を見下ろすと指を差して私に声を掛ける
「ぁ、ホラあそこ見て。あの2人だよ」
その子の指の先を追って校庭の一角に目をやると、そこには黒い学ラン姿の男の子と青のブレザー姿の男の子が見えた
2人は何やら追いかけっこをしているようで、クラスメイトが口々に言っていた"ヤバい"の意味は解らなかった
しかし次の瞬間、私はその言葉の意味を目の当たりにする事になる
「…ぇ?」
ブレザー姿の男の子が酷く激昂した様子で持ち上げたのは、どの学校にも設置してある極普通のサッカーゴールだったのだ
「ちょっ、あれ…、ぇ?サッカーゴール…だよね?」
「うん、サッカーゴールだね」
「あの、うんって言うか、だってサッカーゴールって一人で持ち上げられる物じゃ無いんじゃ…」
「だから、それが出来ちゃうからヤバいんだって」
目を疑う様な光景に珍しく狼狽えてしまう私に、クラスメイトは慣れた様子で答える
「あの人平和島静雄って言うんだけど、何かすっごい怪力の持ち主らしくて他にも自販機とか標識とか投げちゃうの」
「………」
「それで追い掛けられてる方が折原臨也。折原くんは平和島くんみたいに怪力じゃないけど、ナイフとか持ってる所見たって人もいるらしいよ」
丁寧に説明してくれるクラスメイトの発した単語に、私は聞き覚えがある様な気がして思わず呟く
「折原、臨也…?」
「どうしたの?」
「折原臨也って、私知ってるかも…」
「そうなの?知り合い?」
「ぇ、あの、知り合いって言うか、小学生の頃同じクラスだった…ような気がするんだけど…」
私がそう答えながら再度窓の外に目をやると、2人の姿はもうそこには無く、残されているのは歪にひしゃげたサッカーゴールだけだった
「でも私の知ってる折原くんってもっと大人しい子だったし、人違いかも…」
顔をクラスメイトの方に戻した私がそう言うと、クラスメイトの背後から眼鏡を掛けた男の子がひょっこりと顔を覗かせた
「折原臨也なんて珍しい名前の人間、この世に何人も居るとは思えないけどね」
「えっと…?」
「あぁ、名乗るのが遅れてごめんよ。僕は岸谷新羅、臨也くんとは中学からの友達なんだ」
そう名乗りを上げてにこりと微笑んだ彼を見つめ、私はとりあえずぺこりと頭を下げる
「よ、宜しく…」
「うん、宜しくね。ところで君は臨也くんの昔のクラスメイトと言う事だけど、良かったら今度卒業アルバムを見せて貰えないかな」
「卒業アルバム?」
唐突な岸谷くんの申し出に私が首を傾げると、岸谷くんは悪戯っぽい笑みを浮かべた
「そう、卒業アルバムと言う名の1年生から6年生までの写真や恥ずかしい文集の載った素晴らしき黒歴史アイテム!!」
「な、何でそんな物…」
「何でって、僕は臨也くんとは中学からの知り合いだし小学生時代は知らないからね。1年生の臨也くんとか是非見てみたいじゃないか」
「へぇ、新羅にそんな趣味があったとは驚きだなぁ」
好奇心丸出しと言った様子で意気揚々と語る岸谷くんに私が若干引いていると、呆れた声と共に教室の扉が開いた
「やぁ臨也くんおかえり、今日も無事で何よりだね」
「ありがとう、これであの化け物を仕留められていれば更に良かったんだけどね」
「………」
「ん?」
やや不機嫌そうに席へとつく折原くんの横顔をぽかんと眺めていると、ふいに折原くんがこちらを向いて微笑んだ
「久しぶりだねさん。京都での生活はどうだった?」
「ぇ?えっと…、覚えてる、の…?と言うか、やっぱり折原くんなんだ…?」
「当たり前だよ。こうしてまた旧友に会えるなんて嬉しいなぁ、来神学園にはあの頃のクラスメイトはほとんどいないからさ」
「そうなんだ…」
「うん、皆別の高校に行ったり引っ越したり結構バラバラだよ」
「そっか、皆元気にしてるのかな」
「概ねは元気にやってるみたいだよ。何人かは家庭の事情とかその他諸々でちょっと大変そうだけど」
「詳しいんだね」
にこやかにそう話してくれる折原くんを見ながら、私は何となく違和感を抱いた
「あの、」
「おっと。昔話に花を咲かせたいのは山々だけどまた後で、だね」
私が尋ねようとした言葉を遮る様に折原くんが告げると、1限目のチャイムが鳴り先生が教室へと入って来た
いつの間にかクラスメイトの女の子や岸谷くんも自分の席へと戻っている
彼はこんなに社交的な性格だっただろうか
卒業後もクラスメイトと密に連絡を取り合うような仲だっただろうか…?
私は何かが引っ掛かる様な感覚を抱えたまま、新しい教科書を取り出し机の上に広げた
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転校初日の授業を終えた放課後
職員室に呼ばれていた私は一礼をして職員室を後にする
既に人もまばらな廊下を歩き教室へと戻ると、私の席には何故か折原くんが座っていた
「折原くん…?」
「やぁ、待ってたよ」
片手をひらりと振って笑った折原くんは、机1つ分の距離を開けて立っている私を見上げる
私もそんな折原くんを改めて見つめ、そして無意識の内に呟いた
「随分…変わったんだね」
「そりゃぁ"男子三日会わざれば刮目して見よ"と言う位だから、3年以上も会ってなかったらそう思うのも無理は無いだろうね」
折原くんはそう言って軽く笑い、人差し指を私に向ける
「そう言うさんはあまり変わっていないようだね。今でもお気に入りの場所は図書室なのかな?」
「まぁ…本は今でも好きだけど…。折原くんは、もう読んでないの?」
「いや?俺だって本は今でも好きだよ。ただ…最近は本だけじゃ物足りなくてね」
「物足りない…?」
「そう、物足りない」
「どうして?」
「うん…そもそも俺が本を好きなのは、その著者の人間性を垣間見る事が出来るからなんだ」
折原くんは私の机の上に置かれている折原くんの鞄から、一冊の本を取り出してパラパラと捲った
「一冊の本から読み取れるのは何も内容の良し悪しだけじゃない。その著者の癖、趣味、心情、好き嫌い、ありとあらゆる物が解る。
トリック小説もSFもファンタジーも伝記もエッセイも、"その著者の中に無い物"は決して文章になる事は無いんだよ」
そう言いながら自身の言葉に納得した様に頷く折原くんは、そのまま手にしていた本を私へと差し出す
「哲学者…名言集?」
反射的に受け取ったそれを眺めていると、折原くんはさも馬鹿にした様に言い放った
「例えば哲学者なんて極当たり前の事をいかにも大発見しましたと言う様な体で、さも悟ったかの様に得意満面になっているけど、
それをわざわざ公表した時点で自己顕示欲が透けて見えると思わない?哲学なんて自分の中にだけ留めておけば良いのにさ。
百歩譲って哲学を公表する事は良しとしても、それを有難がって感銘を受ける様な底の浅い人間を量産する結果になったのは頂けないよねぇ。
哲学者って奴はそんな当たり前の事を難しく考えて生きて来て何か楽しい事はあったのかな…。いや、そんな事はどうだって良いか」
折原くんは長々とした台詞の終わりに本当にどうでも良さそうに呟いて、改めて私に向かって声を掛けた
「俺はね、人間が好きなんだ」
「ぅ、うん…」
「最初は純粋に本が好きだったよ。本を書いているその人の思考を読み取るのが面白くてね。でもそれだけじゃつまらなくなったんだ。
そして本なんか介さなくても実際に人間を観察していた方が余程面白い事に気付いた。文を書く、絵を描く、歌う、踊る、演じる…、
それらは全て結果として現れた行動であって、その行動を起こすまでの過程で何を考えるか、どう感じるかを近くで観察する方が余程楽しいって訳」
「………」
「はは、"良く解らない"って顔だね」
「あの…、ごめんね。正直良く理解出来ない…」
「謝る必要なんか無いよ」
くすくすと笑った折原くんは、ゆっくりとした動作で立ち上がると私の目の前までやって来た
「実は俺、さんにとても興味があるんだ」
「ぇ…?」
「さんは昔、いつも図書室で本を読んでいたよね」
「うん…」
「感想を言い合う相手も居ないし読んだ本を参考に物語を作る訳でもないのに毎日毎日色々な本を読んで様々な人間の思考に触れて、
でもだからと言ってその本に影響されて言動が変わった様子も無いし、物語にどっぷり浸る様子も無い」
私が手にしていた本を自分の手の中に収め、折原くんは尚も続ける
「そんな静かで大人しくて地味以外の何者でも無い君の中に溜まったあらゆる知識が一体どんな行動になって現れるのか、俺はそれが知りたかったんだ」
まるで今日再開する事を知っていたかの様な口調で話す折原くんに、私は再び得体の知れない違和感を覚えた
「そうそう、さっきの続きなんだけど、昔のクラスメイトが今どうしてるか知りたいんだっけ?誰について聞きたい?言ってくれれば誰の情報でも教えてあげるよ」
「………」
その違和感は一つの疑問となり私の口から零れる
「ねぇ、折原くん」
「何だい?」
「どうして…、どうしてそんなに皆の事に詳しいの?」
「うん、君の疑問は最もだ。でも俺はあえて君に問おう、"どうして詳しいと思う?"」
私は折原くんに問われた言葉を心の中で反芻し、考えられる答えをいくつか思い浮かべた後で一番現実的な答えを口にする
「それは…調べた、とか……?」
「そうだね、普通に考えれば一々調べないとそこまで知る事は出来ないよね。だって俺には昔話に花を咲かせる様な友達は一人も居ないんだから」
「………」
「今度は気まずくて仕方無いって顔かな」
「ご、ごめん…」
「だから謝る必要は無いって。俺は過去に自分と関わった人達がどう言う人間になっているのか興味があったから調べた…。それだけの事だよ」
「でも私は卒業と同時に引っ越したから…」
「そう。君は池袋を離れてしまったからその後どう成長したのか解らなかった。だから今回こうして呼び戻したって訳」
「よ、呼び戻したってそんな事…」
「出来る訳ないだろうって?まぁ君がどう思うのも勝手だけど、でも君が今此処に居るのは紛れも無く俺の仕業だよ」
折原くんから発せられた全く予想外の言葉に、私の脳内は理解が追い付かずぐるぐると渦を巻き始める
「だって、今回の転勤はお父さんが…」
「うん、君のお父さんが本社に呼び戻されて少なくとも2年間は池袋支店の専任をする事になったから再び転校する事になったんだよね?」
「……っ」
「更に言えば一人暮らししようとも思ったけど運良くファミリー向けの社員寮が空いたから結局家族と暮らす事を選んだ…」
折原くんは私達家族が池袋に戻る事になった経緯をすらすらと述べて、「信じる気になったかい?」と尋ねた
私は未だに混乱したままの頭を片手で抑えながら、それでもどうにか頭を上下に振る
「俄かには信じられないけど…、でも信じるしか無いんだと思う…」
折原くんは大人びているし同年代の男の子と比べたら知識も豊富で器用だ
だからと言って、普通に考えれば一介の高校生が会社の人事に関与出来るハズが無い
それでもきっと、彼の言う事は真実なんだろう
あらゆる本を読みあらゆる文章に触れて来た私は、折原くんの発した言葉に嘘が無い事を無意識的に嗅ぎ分けていた
「あれ?でも…」
「どうかした?」
「私の観察が目的なら、どうしてわざわざその事を教えたりするの?ただ観察するだけなら何も言わない方が自然な状態を見れるのに…」
また一つ浮かんだ疑問をぽつりと口にすると、折原くんは少し得意げに笑って答えてくれた
「俺はね、将来情報屋になる予定なんだ」
「情報屋って…。そんな怪しい仕事現実にあるの…?」
彼の口から出たあまりにも胡散臭いチープな言葉に思わず聞き返してしまった私の態度を、気に留める様子も無く折原くんは答える
「それがあるんだよ、特にこの街にはね。」
「何か…、さっきから信じ難い話ばっかりだね」
今日この学校に来てから私の耳に入って来た数々の"ありえない事態"を思い出しながら、私は何となく笑みを浮かべた
「それこそ愛すべき非日常と言うやつだよ」
「非日常?」
「そう。事実は小説より奇なり、とは良く言ったものだね。俺はそんな非日常的な偶然を愛している
そしてその偶然を起こしうる人間を堪らなく愛している」
「愛…」
「君にわざわざ種明かしをしたのは、君に俺の人間観察を手伝って貰おうと思ってさ」
「そんな、急に手伝いって言われても…」
突然の申し出と言うよりは、既に決定事項の様に語られる言葉に私はうろたえる
しかし折原くんはやっぱりそんな私を気にする事なくただ言葉を続けた
「多くの知識を身に付けた、多くの思考に触れて来た、多くの物語を渡り歩いて来た…
そんな静かで大人しくて地味以外の何者でも無い君の中に溜まったあらゆる知識は一体どんな行動になって現れると思う?」
「………」
「俺はね、恐らくそれらの経験は人の本質を見抜く力となって現れるんじゃないかと思ってるんだ」
「どう言う事…?」
話の焦点が合わないままあちこちへと移る折原くんの言葉に翻弄されるままに尋ねると、折原くんはすっと差し出した人差し指で私の唇に触れた
「つまり、君には人の嘘を見抜く力があるって事だよ」
そう言って私を見ながら満足そうに笑った折原くんの表情は、何故かその後も私の頭にずっと残り続けていた―
'13/10/25