目を開くと、無機質なコンクリートが目の前に広がっていた

とあるビルの屋上から突き落とされた私は、この暗く冷たい地面に叩き付けられる筈だった

しかし今、私の身体はまるで時間が止まってしまったように地面すれすれの所で逆さ吊りになっている



「………」



放心状態だった私の脳がゆっくりと活動し始めると同時に、私の身体は私の意思とは無関係に宙へと浮いた

良く見ると私の身体には何か黒い影の様な物が絡み付いていて、その影によって私は浮いているらしい

影はそのまま私の身体を気遣う様にゆっくりと地面へ降りたかと思うと、しゅるしゅると私の身体から離れて行った



「………」



いったい何が起きたと言うのだろうか

未だに状況が理解出来ず言葉を発する事も出来ない私の前に、黄色い猫耳の様なヘルメットを被った真っ黒なライダースーツの人物が現れる



「"大丈夫?"」



何故か言葉ではなくPDAの画面を私に見せながら、その人は首を傾げた



「………」



私が頷く事も出来ずにPDAを見つめていると、その人は再びPDAを自分に向けて手早く何かを打ち込み私に向ける



「"とりあえず此処から離れよう。送って行くから後ろに乗って"」



そう打ち込まれた画面を私が確認すると、いつの間にかその人の背後には真っ黒なバイクが佇んでいた

手渡された真っ黒いヘルメットを受け取り、私は促されるままにそれを身に着けバイクの後ろへと跨る

やがて音もなく走り出したバイクの後ろで流れる景色を眺めながら、まるで夢の中に居るようだ、とぼんやり思った



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



!!」



池袋から新宿へと向かったバイクは、やがて見慣れたビルの前に停まった

未だに意識が半分ぼやけたまま私がバイクから降りていると、慌ただしい足音と共に聞き慣れた声が耳に飛び込む



「臨…」



名前を呼ばれて振り返る私を力強く抱き締めたのは、珍しく慌てた様子の臨也だった

その柔らかな体温と感触に私の身体はようやく感覚を取り戻し、自分が先程まで見ていた物が所謂"走馬灯"だったのだと気付いた

人は死ぬ間際にそれまでの人生を脳内で振り返ると言うが、まさかそれを自分が体験する事になるとは思っていなかった

ライダースーツの人が助けてくれなければ、私は今頃この世には居ない

そんな死に掛けた事への恐怖と助かった事への安堵に力が抜けそうになる私の身体を支えながら、臨也は私に尋ねる



「どうして一人で乗り込んだりした訳?あからさまに罠だって事は気付いてただろ?」



いつだって人を見下したような余裕の笑みを浮かべている臨也が、珍しく焦った様な表情で私を見ている

そんなへの字に歪んだ臨也の口を見つめ返しながら、私は改めて自分の行動を振り返った



「何でって…、だって、私が行かないと臨也を殺すって言われたから…」



それは、今から一ヶ月程前の事

ある日事務所を訪れた男が持って来た依頼は、いつもの様に私が判断するまでも無く明らかな嘘であり、出鱈目だった

そんな怪しい依頼を当然臨也が受ける筈も無く、臨也はその依頼を丁重に断った

すると男は拍子抜けする程アッサリと身を引き、そのまま事務所を後にした

その事に違和感を覚えた私は後日男の素性についてなど一通り調べてみたが、特に怪しい点は見つからなかった

結局その後再び乗り込んでくる様な事も無かった為、私はその男の事などすっかり忘れていた

しかし、今日になって突然その男は帰宅途中の私の前に現れた

私は瞬時に警戒し距離を置いたけれど、男は至って落ち着いた様子で私に向かって一方的に話し始めた

内容は、自分は臨也に恨みを持つ者によって雇われた人間である事

雇い主は臨也に復讐をする為に私を使うつもりである事

このまま大人しく着いて来るなら臨也の命は保障するし、手荒な真似もしないと言う事

ただし、もし私が抵抗する様であればどんな手段を用いてでも臨也を殺すつもりであると言う事…



「あの人の言葉はどれもこれも"本当"だったから、私が着いて行けば臨也が死ぬ事は無いんだって思って…」



私は臨也に説明するが、口から出る声は無意識に震える



「逃げようとしても多分すぐ捕まるだろうし、それなら大人しく捕まった方が良いかもって…」



臨也が助かるなら多少危険な目に合う位は構わない

そう考えた私は男に従い着いていく事を選び、辿り着いたとあるビルの屋上で臨也に対する復讐の方法を知らされた

そしてその時初めて、男が最初から私の身柄については一切口にしていないと言う事に気付いたのだった



「馬鹿、だよね」



自身に被害が及ぶよりも遥かに精神的に効くだろうと考えられたその方法は、

屋上から私を突き落とし、落ちて地面に叩き付けられるまでを録画した物を臨也に送り付けると言う物だった



「嘘か本当かが判断出来る位じゃ、何の意味も無いのに…」



咄嗟にその場から逃げようとした私の腕を掴んだ、殺意の籠った男の手の感触

じりじりと屋上の縁まで追い詰められて行く焦燥感

目も眩む程の高さから見下ろした地面は遠く、死と言う物を嫌と言う程身近に感じた

そんなたった数分の間に私を取り巻いた絶望的な状況を思い出し、私は今更になって恐怖で込み上げる涙を拭う事も出来ず俯く



…」



臨也は困った様な声色で呟くと、そっと私の手を取った



「ねぇ運び屋、悪いけど支払いはまた今度にして貰えるかな」

「"…あぁ、解った"」



私を助けてくれたライダースーツの人に向かって臨也が声を掛けると、その人はやはりPDAを用いて答える

そしてちらりと私の方へ顔を向けると、バイクの向きを変え再び池袋方面へと走って行ってしまった



「……臨也、あの人は…」

「説明は後でするよ」



いまいち状況が把握し切れず私は臨也を見上げるが、臨也はそんな私の手を引きビルへと戻った



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



臨也に手を引かれ、私はつい数時間前に後にしたばかりの事務所へ再び戻って来た

臨也は私をソファに座らせ、紅茶を用意してから私の隣に腰掛ける

差し出された紅茶を一口飲んだ私は、その温かさと仄かな甘さに緊張が解けるのを感じてほっと息を吐き出す

そして暫くの沈黙の後、私はぽつりと隣に座る臨也に尋ねた



「ねぇ臨也」

「ん?」

「ぇっと…、私が助かったのって、臨也があの人に頼んでくれたから、だよね…?」



私が先程の黒尽くめのライダースーツ姿を思い浮かべながら尋ねると、臨也はこくりと頷く



「そうだよ」

「…あの人って、何なの?」



私を助けてくれた影の様な黒い物体

音も無く現れた、ナンバープレートもヘッドライトも付いていないバイク

決して喋らず、PDAでのみ意思の疎通を図る姿

どれをとっても普通の人間とは到底思えない

信じ難いけれど、きっとあの人は"人間では無い何か"なのだろう



「何、と聞かれると難しいけど、アレは運び屋で新羅の同居人だよ」

「新羅って…、岸谷くん?」

「そう。前に新羅に同居人が居る事は話したでしょ」

「うん…」



確かに以前臨也から岸谷くんが誰かと同居している事は聞いたような気もするが、どんな人かまでは聞いていなかった

しかし岸谷くん自身が割と変わった人だからか、同居人も変わっていると言う事に関してはすんなりと納得出来た



「同居って言うか、同棲…なのかな?顔はヘルメットで解らなかったけど、女の人だよね?」

「まぁ姿形は確かに女性だね。新羅は運び屋の事がずっと好きみたいだし、同棲と言えなくもないんじゃない?」



私の呟きに答えながら、臨也は何処か馬鹿にした様に笑う



「蓼食う虫も好き好きとは言うけど、アレを本気で愛せる辺り新羅の趣味は本当に変わってるよ」

「どうして?」

「どうしてって、君が察している通り彼女は人間じゃないからね」

「…、やっぱり、そうなんだ……」



臨也が口にした言葉を、私は驚く事もなく受け入れて更に臨也へ更に尋ねる



「人間じゃ無かったら何なの…?」

「俺もまだ詳しい事は良く知らないけど、アイルランド出身のデュラハンみたいだよ」

「デュラハンって、自分の首を抱えて死にそうな人の所に現れる妖精…だっけ?」

「そうそう」

「な、何で妖精が池袋に…」

「自分の首を探す為だよ。何で首が池袋にあるのかは俺も調べてる途中だけどね」



私の疑問に淡々と答える臨也の言葉を聞きながら、私はカップをテーブルに置いてソファの背もたれに寄り掛かった



「まさか人間以外の存在に出会う事になるなんて…」

「事実は小説より奇なり、とは良く言ったものだね」

「本当だよね。異形の存在なんて本の中でしかありえないと思ってたのに、こんなに身近に居るんだもん…」

「俺も知った時は流石に驚いたけど、運び屋の存在のお陰で仮説が確証に変わりそうだよ」



少しだけうきうきした様子で呟いてカップをテーブルに置く臨也に、私は首を傾げる



「仮説って、天国の有無について?」

「そうだよ。天国があるか無いかなんて死なない限り確かめ様が無かったけど、
デュラハンと言う死を告げる妖精が居るなら天国や地獄だって存在しても良いと思わない?」

「確かに…、妖精が居るなら妖怪だって神様だって居てもおかしくないかもね」

「だろう?まぁ俺としては愛する人間に過干渉する様な化け物にはあまり関わりたくない所なんだけど」



まるで独り言のように呟かれた臨也の声色を聞き、臨也はあの運び屋さんの事があまり好きでは無いのだろうと思った

私はソファにもたれ掛って天井を仰ぎながらため息交じりに呟く



「何か、ついさっきまで死に掛けて怖がってたのも今の話で吹き飛んじゃったなぁ…」



そしてそんな自分の呟きで改めて先程自分の身に起きた事を思い出した私は、上体を起こし思い立った疑問を臨也に投げ掛けた



「そう言えば…、臨也はどうして私が連れ去られたって解ったの?」



帰宅途中の私の前に男が現れ私を連れ去った事を、何故事務所に居た筈の臨也が知る事が出来たのか

私が抱いていたそんな疑問に対し、臨也は事も無げに答える



「そりゃぁ事務所を出て家に向かう筈のが急にいつもは行かないような方向に向かったらおかしいと思うのは当然だろ?
速度的にも車に乗ったようだったけど、あの道は車通りなんてほとんど無いからタクシーに乗ったとも考えられないし」

「えっと…、だから、どうやってそれを知る事が出来たのかって話なんだけど…」

「ん?にはGPSの事言って無かったっけ?」

「……へ?」

「携帯って本当に便利だよねぇ」

「な…」



しれっとした様子で私の行動を監視していた事を露呈する臨也に私が絶句していると、臨也は補足するように告げる



「あぁ、あくまでもが無事に帰宅するかどうかを見ていただけで休日なんかの行動は特に監視してないからね」

「そう言う問題じゃ…って言うかもしかして此処最近だけじゃなくて今までずっと監視してたの?」

「そうだけど?」

「そうだけどってそんな普通に…」



臨也の事務所で働く様になってから今まで、まさか自分の行動が監視されていたなんて思ってもみなかった

衝撃の事実に私は思わず臨也に食って掛かる



「何でそんな事してたの?もしかして私の事信用して無かったの!?」

「まさか。俺は昔も今もだけは信用しているし、逆に言えばしか信用してないよ?」

「……嘘では無いみたいだけど…」

「本音だからね。俺はあの男が事務所に来た時から怪しいと思ってたから、あの後独自に色々調べてたんだよ」

「それなら私だって少しは調べたよ?でも、調べた限りじゃ特におかしい所は無かったのに…」

「そこはまぁ経験の差って言うか腕の差じゃない?」

「うーん…」

「そもそも自分で調べた範囲でおかしい所が無いからって警戒しなくて良い訳じゃないだろ」

「ぅ…」



臨也の言葉を聞き、今日まで男の事などすっかり忘れてしまっていた自分が恥ずかしくて私は押し黙る



「あいつが一ヶ月前に一度事務所に依頼に来た時、あからさまに怪しい依頼を持って来たよね?」

「うん」

「あれは依頼そのものが目的じゃなくて、俺と顔を合わせる事が目的だったんだろうね」

「臨也に…?」



尋ね返す私に臨也は頷いて、"これはあくまでも推測だけど…"と前置きをして続けた



「わざと怪しい依頼を持ち込んだのは、断らせて自分達の事を調べさせる為だったんじゃないかな。
此方が調べても何も掴めない。やがて忘れた頃に現れてを攫って俺への見せしめに屋上から突き落とす…。
で、の死を後から知らされた俺は自分を責めて苦しむ事になる。しかも一度犯人に会ってるとなれば悔しさ倍増って訳だ」



そう言って臨也が語った内容は、私があの男から聞いた内容とほぼ一致していた



「あえて俺の目の前でやらない所が姑息で良い性格してると思うよ。俺も逆の立場だったらそうするだろうね」



臨也は呆れるような、又は感心しているような口調で呟くが、その声は何処か怒気を孕んでいるようだった



「臨也…、何か怒ってる…?」

「いや?むしろ人間が一番絶望する方法を熟知していてそれをこの俺に実践しようとした事には賞賛を送りたい位だよ」



臨也はそう何でもない様に答えるが、その言葉が本心で無い事は私には一目瞭然だった

もちろんそんな事は臨也も十分解っているんだろう

それでも臨也はあくまでも気にしていないと言った素振りで続ける



「やっぱり怒ってるじゃん」



そんな臨也の横顔を見ていた私がついつい小さく吹き出すと、臨也は少し面白くなさそうな顔を私に向けた

そして色々な感情を詰め込んだ様な大きなため息を一つ吐き、やはり不機嫌そうな顔で私をじとりと睨み付ける



「あのさぁ…」

「な、何?」

「俺が怒っているとすれば、それは犯人にと言うよりはむしろに対してなんだけど」

「ぇ?」



臨也の言葉に何故自分が怒られる必要があるのか解らず首を傾げると、臨也は苛立った様子で呟いた



「俺がどれだけ心配したと思ってるの?一歩間違えてたらは死んでるんだよ?
今回はたまたま俺がにGPSを付けててたまたま運び屋が近くに居てたまたま間に合ったから助かっただけって解ってる?」



そう畳み掛ける様に吐き出すと、臨也は一呼吸置いた後で私の両手を取り、そう言う訳だから…と切り出した



「今日からの家、此処だから」

「……………は?」



唐突に言い放たれた臨也の言葉に、私は思わず素っ頓狂な声を上げる

"目が点になる"と言うのは正しくこの事なのだろう

しかし臨也は至って真顔で、嘘偽りなく大真面目に言ってのける



「いつまた俺の知らない所で勝手に死にそうになるか解らないなら、一緒に暮せば少しは安心でしょ」

「いや、だからって一緒になんてそんな急な…」

「何か問題ある訳?」

「そりゃあるでしょ!?男女が一つ屋根の下で暮らすなんて、それこそ同棲だよ…!?」



臨也に両手を握られたまま、私は赤くなる顔を隠す事も出来ずしどろもどろに答える



「だから、その同棲する事に何の問題があるのか聞いてるんだけど」

「何の問題って…」

「俺はが好きで、も俺の事が大好きなんだから何も問題ないよね?」

「っ!?!?!?」



淡々と話す臨也は、驚く私を見ながらこいつ今更何言ってるんだろうと言わんばかりの顔をしている



「何?まさか知らなかったとか言わないよね…?」

「し、知らなかったって言うか、だって、私と臨也は別にそう言う関係じゃ…」

「そう言う関係って?愛を囁き合ったりキスしたりセックスする関係って事?」



臨也は私が言い淀んだ言葉をハッキリと口にしながら首を傾げる



「確かに俺達は一般的な恋人がする様な事は何一つとして無いけど、それが何?
今までずっと一緒に居て、これから先だってずっと一緒に居るんだから、一緒に住む位何て事ないよね」

「ずっと……って…」

「それともはいつか俺から離れて何処か別の会社に勤めたり他の誰かと結婚するつもりでもあった訳?」

「…それは無い…けど」

「だろ?それならやっぱり問題無いじゃない」



自分の言葉に自分で納得したように頷いた臨也は、ようやく掴んでいた私の両手を離した

そしてそのままぐっと私に顔を近付けて、口元ににやりとした笑みを浮かべると優しい声で囁く



「もちろん、が一般的な恋人としての関係を望むなら俺はいくらでも愛を囁くしキスだってそれ以上だってするけど?」

「ぇ…ちょっ……臨」

「愛してるよ



そう言って初めて臨也の口から紡がれた愛の言葉は驚く程甘く、私は思わず息を止める

臨也はそんな私の唇を強引に塞ぐと、吃驚も羞恥も顔に出せず固まる私をソファーにゆっくりと押し倒した










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・










翌日

目を覚ました私は視界に入る景色が自分の家では無い事に一瞬混乱したものの、
すぐに昨晩の事を思い出し、昨日はあのまま臨也の家に泊まったのだったと安堵する

そして同時にソファへと押し倒された後の出来事を思い出し、一人顔を赤らめた

私は火照る顔を抑えながら、顔でも洗おうと隣で眠っている臨也を起こさないようにそっと起き上がる



「何処行くの」



しかしそんな声と共に私の腰に纏わりついた臨也の腕によって、私の身体は布団の中へと引き摺り戻されてしまった



「びっくりした…、起きてたの?」

「ん、今さっき起きたんだよ」



私の問いに眠そうな声で答えながら、臨也は私の背にすり、と顔をくっつける

何も身に着けていない背中に触れる臨也の頬がくすぐったくて私は思わず身を捩るが、臨也の腕は私を離さない



「は、離してよ」

「嫌だ」

「顔洗いに行くだけだってば」

「顔?何で?」

「何でって…、別に…」

「あぁ、昨日の事を思い出して火照っちゃった頬を冷まそうと思ったとか?」

「…っ」



人が言い難さ故に濁した言葉をアッサリと口にする臨也は、きっといつもの通りにやにやとした笑みを浮かべているのだろう

しかし腹立ち紛れに抗議しようと身体の向きを変えた私の目に入って来たのは、予想とは全く違う臨也の顔だった



「ぁ、れ…?」



多少楽しそうではあるものの、私を馬鹿にするような表情では無い

どちらかと言えば、穏やかと言うか、優しそうと言うか、愛しむような…、そんな笑みを浮かべている



「な…、何…」



予想外の臨也の表情に狼狽える私を見た臨也は、ふっと笑うと両手で私の頬を包み込んだ



「真っ赤になっちゃって、は可愛いなぁ」



臨也はそう言ってくすくすと小さな笑みを漏らす

私は益々赤くなる頬もそのままに、目の前の臨也を恨みがましく見つめた



「臨也ってば、昨日の今日で態度変わり過ぎじゃない?」

「そう?俺は別にそんなつもり無いんだけど…、例えばどの辺が?」

「何処って、その、表情…とか、言葉とか…、」

「うん、表情や言葉がどうかした?」

「へ?だから、何て言うか…、ゃ…、優しい…って言うか……」



恥ずかしいながらも一生懸命に違和感を説明する私を、臨也はやっぱり楽しそうに笑って見ている



「そりゃぁ今までは単なる助手兼協力者だったけど、これからは恋人なんだし優しくするのは当然…と、言いたい所だけど」

「…?」

が言う程態度を変えた覚えは本当に無いし、昔も今も俺はにはずっと優しいつもりなんだけどなぁ」



少し心外そうに呟く臨也の言葉を聞き、私はこれまでの臨也とのやり取りを思い浮かべる



「確かに…、他の人を相手にする時に比べたら優しかったと思うけど…」

「でしょ?自分で言うのも何だけど、小学生時代は兎も角高校を卒業してからの俺はの事結構大事にしてたと思ってるよ」



今度はやや得意そうな表情になった臨也は、私の頬に充てていた手を腰に回すとそのまま自分の方へ攫う様に引き寄せた



「まぁ、GPSで私の動向を見守る位だもんねぇ…」



自分に黙って監視していた事を思い出した私は、抗議の意味を込めて少しだけ皮肉っぽく言葉を返す

すると臨也は一瞬むっとした様な顔をして、私を抱き寄せる腕の力を更に強めた



「だって、それを望んだのはだろ?」

「…どう言う事?」



臨也の言葉の意味が解らず疑問符を浮かべる私に、臨也は呆れたように言う



「前に、何があっても守ってくれるかって聞いたのは誰だっけ?」

「ぇ…?」



そう尋ねられた瞬間、昨日屋上から落ちて行く瞬間に見た走馬灯の内容が私の脳内に蘇った








『ねぇ臨也くん』



『何?』



『もし私が危険は目に合う事があったら、ちゃんと助けに来てくれる?』








目の前の臨也の顔を見つめながら、私はあの時の約束とも呼べないようなやり取りを思い出す

その昔私が臨也に尋ねた言葉と、それに対して臨也が答えた言葉






『"絶対"なんて約束出来ないな』





そう言って笑った臨也の"嘘の言葉"を聞いて、私は臨也について行く事を決めた

そんな在りし日の約束なんて、私はいつしか忘れてしまっていたのに、

私が今まで忘れていた事を、臨也はずっと覚えていてくれて、全力で私を守ろうとしてくれていたのだろう



「何変な顔してるの」



じっと見つめている私の顔を覗き込みながら、臨也が首を傾げる

そんな臨也が何だか無性に可愛く思えて、私は思わず臨也の胸元に顔を埋めて抱き付いた



「…臨也って、ホント嘘吐きだよね」

「俺みたいな誠実な人間に何を言うんだか」

「嘘吐きで、素直じゃなくて、卑怯で、狡くて、歪んでて…、」

「………」

「でも、臨也のそんな所も全部可愛くて大好きだなって思うよ」



私が臨也に対して好きだと言う気持ちを、いつから持っていたのかは解らない

臨也が私をいつから好きで居てくれたのかも、正直全く解らない

でも、今の私は臨也への愛で溢れているし、臨也からの愛もひしひしと感じている

それならば、この想いを隠したり誤魔化す必要は無いのだろうと、

ほんのりと染まる臨也の頬を見つめながらそう思った



「私、何だか今初めて自分の人生を主観的に見れた気がする」

「どう言う事?」

「ほら、前に臨也が人の人生を1冊の本に例えた事があったでしょ?」

「あぁ、そんな事もあったね」

「その話を聞いた時から私は自分を"読む側"に位置付けて、自分の気持ちや行動すら何処か他人事みたいに考えてたんだけど…、
でも臨也の事を好きだって思った瞬間に、初めて自分の人生は自分だけの物なんだって思ったって言うか、
私の人生も結局は1冊の本に過ぎないけど、ハッピーエンドで終わらせられるんだなって思ったって言うか…」



少し恥ずかしかったけれど、私は思ったままを臨也に伝える



そんな私の話に興味深そうに耳を傾けていた臨也は、私が一通りの説明を終えると口を開いた



「俺と出会った事が起、俺の誘いを受けたのが承…、昨日の出来事が転で、俺と結ばれて結って訳だね」

「…昨日の出来事が転って、それもしかして転落の転……?」

「ご名答。綺麗にオチが付いて良かったじゃない」



臨也はそう言って人の恐怖体験を上手くまとめながら笑う



「まぁ第一章がめでたしめでたしで終わった所で、第二章がどうなるか今から楽しみだね」

「へ?第二章って…?」

「前にも言ったでしょ?人生の終わりを締めくくるのは等しく死だって」

「そう言えば、そんな事も言ってたような…」

「つまり、の物語はまだまだ終わらないし、俺が傍に居る限りは終わらせないって事だよ」



そう意味有りげに笑って呟く臨也の表情は、私が良く知るいつもの企み顔だった

私はそんな臨也を見つめながら、こんな臨也もやっぱり好きなのだから相当重症だと、自分で自分に呆れながらも笑った

これから先も綴られる私と言う1冊の物語の結末は、果たしてハッピーエンドのまま終わらせる事が出来るのだろうか

今の所それを知っているのは、目の前の愛しい人と全ての活動を記録していると言う不思議な概念だけ





【Akashic Records】





-END-



2015/03/04