某月某日
池袋のとあるカラオケ店の402号室に入ったのは私を含め4人
一般的にカラオケにきてする事と言えばもちろん歌うことだ
しかし、私達の居る402号室では誰一人として歌おうとするものが居なかった
それでもさっきまでは二人の女の子が話す声がしていたのだが、今ではその声も止み室内は非常に静かである
折角の防音もまるで無駄になるような静けさだが、どうして誰も歌わないのだろうか?
その答えは明白だ
私の目の前には床に転がっている女の子が二人と、それを見ながらニヤニヤと笑みを浮かべている男が一人
そしてその光景を目の当たりにして突っ立っている私
つまり、この場には誰一人として歌えるような人間が居ないのだ
私は倒れている女の子を見る
ぐったりとしているが、肩が僅かに上下している所を見る限り命に別状は無さそうだ
大方飲み物に睡眠薬でも混ぜられたのだろう
同じく床に転がるグラスを見てまるで小説か漫画のような展開だと思った
しかし私も飲み物を口にしたのに無事なのは何故だろうか
犯人は恐らくと言うか十中八九目の前に居るこの男だ
そう考えて口の端に薄く笑みを浮かべた男をちらりと見る
すると男は私の視線に気付いたのかこちらを向いた
「君、死ぬ気無いでしょ?」
男は楽しんでいるような良く解らない表情のまま私に問いか掛ける
それは問い掛けと言う程疑問を含んだ言葉ではなく、どちらかと言えば完全にそう決めてかかる言い方だった
私が返事をするタイミングを逃している間に、男は勝手な持論を展開し始めた
「いやぁ、今まで色んな奴を見てきたけど死ぬ気ゼロで参加したのは君が初めてだよ」
「見た所冷やかしでも無いようだけど一体何しに来た訳?」
「もしかして"自殺オフなんて犯罪です!!"って止めに来たとか?」
「でもその割りにさっきから随分と冷静だよねぇ、その子達が倒れた時もあんまり驚いてなかったしさ」
「あぁ、何で私の飲み物には睡眠薬が入って無かったか気になった?」
「俺が見たかったのは自殺志願者の陳腐で貧困な思想と思考だからね」
「君が自殺志願者でないなら君の話をこの場で聞く必要は無いし、流石に一人で三人運ぶのは骨が折れるからさ」
「いや、君が死ぬ気も無いのにどんなストーリーを披露するのか興味はあったんだけど」
男は一人でペラペラと喋りながら、机の下にあった大きなスーツケースを取り出した
こんな物いつの間に仕込んでいたのだろうか
私がついそんな疑問を頭にしている中で、男は続ける
「まぁ君の話は事が済んでからでもゆっくり聞けるし、むしろコイツらのつまんない人生相談より君の話の方が今はよっぽど気になるね」
「そんな訳だからさ、ちょっとこれ入れるの手伝ってくれない?」
男はそう言うと女の子を指差して私の方を向いた
突然の申し出に私が躊躇していると、男は大丈夫大丈夫といかにも軽い調子で言い放った
「別に俺はこの子達に危害を加える気は無いし、このまま海に捨てるとか森に埋めるとか屋上から落とすとかはしないから」
「まぁ睡眠薬を盛った時点で多少なりとも危害を加えた事にはなるかもしれないけどね」
「とりあえずこの子達は運び屋に頼んで何処か安全な公園にでも放置するつもりだから」
「あぁ、何でそんなことをするのか、とか、お前は一体何者なんだ、とか、聞きたい事があるなら
尚更さっさと済ませてその辺の喫茶店にでも入った方が良いと思うんだよね」
「って事で、それじゃぁちょっとそっちの子の足持ってくれる?」
思えばこの時、混乱していたとは言えこの男に言われるがままに手伝ってしまったのが間違いだったのだろう
いや、そもそも興味本位で自殺オフなんてものに参加したのが間違いだったのだ
男は先程"冷やかしでも無いようだけど"と言っていたが、私の参加理由は冷やかしと同じような物だ
私は今更になって『時間を戻せるなら…』なんて意味の無い事を思う程後悔していた
−・−・−・−・−・−・−
さて、所は変わって此処は"その辺の喫茶店"である
あの後、私と男は女の子を詰めたスーツケースを運び出し、男が呼んだ運び屋にそれを預けた
人の入ったスーツケースを運ぶなんて明らかに犯罪以外では遭遇しない状況に自分が関与していると思うと、背中に嫌な汗がじわりと滲んだ
そんな背徳感や不快感に苛まれている私とは対照的に、非常に涼しげな顔をしたままのこの男には
心底計り知れない物を感じて恐れるやら呆れるやら驚くやらである
しかしそれらの感情を表に出せる程、私は柔軟な思考力の持ち主ではなかった
驚いたと言えばもう一つ驚いたのが、男が呼んだ"運び屋"が巷では首なしライダーと噂されているバイク乗りだった事だ
まさか都市伝説を目の前にするとは思わなかったのでこれには本当に驚いたが、
そんな事よりも私は益々この男の得たいの知れなさに対する恐怖を抱いていた
カチャリとティーカップがソーサーに置かれる音で我に返ると、男がこちらを見ていた
目が合うと、男はニコリ、と言うよりはやはりニヤリと形容した方が似合う表情を浮かべながら切り出した
「何から話そうか?もしくは俺が先に君に質問しようかな、君はどっちが良い?」
「…どっちでも、良いです」
思えば私が言葉を発したのは実に数時間ぶりの事だった
更に言えば男に向かって発言するのは、最初の集合場所に行った時の"初めまして"以来二度目だ
しかし男はそんな事はお構いなしに、まるで以前からの知り合いのような気軽さで話続ける
「そう?それじゃぁとりあえず自己紹介でもしておこうか、さっきのオフの奈倉って言うのは偽名だからね、
俺の本当の名前は臨也、折原臨也。素敵で無敵な情報屋さん」
おりはらいざや
どのような漢字を書くのかは解らないが、随分と漫画チックな名前だ
そもそも情報屋って何だ、とか
自分で素敵とか無敵とか言うなよ、とか
何処から突っ込めば良いのか解らない
私は色々な感情をひっくるめて「はぁ…」と曖昧に頷いた
我ながら随分と薄い反応を返してしまったと少し悔いたが、"男"改め折原さんは次に私の言葉を待っているようなので私も続いて名前を告げる
「えぇと、です。」
「へぇ、って本名なんだ?サイトのHNもだったよね」
「ぁ、はい。何か適当な名前が思い付かなかったんで別に良いかなと思って…」
「まぁ本名かどうかなんて余程風変わりな名前でもなきゃ特定されないだろうからね」
折原さんは納得したように頷くと、きょろきょろと周りに人が居ない事を確認してから再度口を開いた
「さて、お互いの名前も知った所で此処からが本題だ。まず君から何か聞きたい事はある?」
「聞きたい事、ですか…」
「色々とあるでしょ?あぁ、多すぎてまとまらないかな?」
そう言って笑う、すっかり見慣れた折原さんの薄っぺらな笑顔の裏に、何処までも余裕綽々な態度を感じて私は思わず息を呑んだ
ふと見れば折原さんは先程から小さなラップトップ型のパソコンを机の上に乗せている
私と会話しつつ、たまにカタカタとキーボードを弄っては何かをしているようだった
「因みに俺が今日自殺オフに参加したのはね、さっきも言った通り自殺したがってる人間の考えが知りたかったからって言うのと、
彼女達に同調して同情して本音を暴いて、その上で一服持って放置したら一体彼女達はどんな顔をするのか見たかったから…。
俺はそう言う人間の一つ一つの行動に興味があってちょくちょくこのオフに参加するんだ」
折原さんはあまりにも自然な調子でそう教えてくれたが、あまりにもぶっ飛んだ思考に一瞬眩暈を覚えた
私が軽く頭を左右に振ると、折原さんはふっと噴出す
「理解出来ない、って顔してるね」
「当たり前じゃないですか、理解出来ないって言うか、言ってる意味が解らないです…」
私が素直にそう答えると、折原さんは人差し指をぴっと立ててそのままその指を私に向けた
「じゃぁ聞くけど、何で君は今回のオフに参加したの?死ぬ気は無い、でも俺の意見にも賛同できない…、それなら君は何しに来たのかな?」
そんな風に尋ねられ、私は思わず黙り込む
「それは…」
「それは?」
「何と言うか、その…」
「小説のネタ探し、とか?」
「ぇ…?」
折原さんのその言葉に私は驚きを隠せず、逸らしていた視線を折原さんに戻した
「、去年の3月に卒業して4月に入社だから今23?成績も経歴も…、まぁ平々凡々って感じだね」
「……何で…」
何でそんな事を折原さんが知っているのだろうか
そう
先程の自己紹介ではあえて名前以外名乗らなかったが、私の職業は小説家だ
小説家とは言ってもまだ代表作の様なものはなく、週刊誌や情報誌の隅に簡単な短編等を書いている程度だ。
私は戸惑いながら折原さんを見つめていたけれど、折原さんは机の上のパソコンのキーを叩きながら独り言の様に話し始めた
「某大学の文学部在学中に投稿した小説が佳作で入選…、その時にスカウトを受けて卒業後は講和出版社に入社して専属ライター、なるほどねぇ」
折原さんがパソコンの画面を見ながらスラスラと読み上げるのは紛れも無く私の経歴だが、
小説家としてはまだ鳴かず飛ばずの私の経歴がネット上で公開されているハズが無い
それなら一体この人は何処からそんな情報を見つけてくるのだろうか
私はそこまで考えて、先程折原さんが自身で「情報屋」と言っていたのを思い出した
「情報屋って、そんな事まで調べられるんですね…」
「あれ?案外驚かないんだ、てっきり"何でそんな事知ってるんですか!?"とか言うかと思ったのに」
折原さんは少しだけつまらなさそうに言うと、コーヒーを一口飲んだ
「まぁ今の時代は指先一つで色んな情報が手に入るよ、君みたいな無名のしがないライター兼小説家の事だって調べれば大体の事は調べが付くからね」
そんな折原さんの言葉に込められた皮肉に、私は当然気付きながらも大したリアクションが取れなかった
「それは凄いですね」
そう率直な感想を言葉にしたが、そんな私の反応が不服だったのだろうか
「君、皮肉も通じない訳?」
折原さんはそう言って呆れた様な顔をした
「いえ、ただ無名なのは自分でも自覚してるんで別に仕方ないかなと思って」
私はほんの少しだけ申し訳無い気持ちでそう答える
普段から自分の不甲斐無さは感じていたし、上司からもたまに嫌味を一つ二つ貰っている
しかし今更誰に何を言われようと私が悪いのは十分自覚しているのだから、これ以上悲しんだり腹を立てたりするのは無駄だとしか思えないのだ
折原さんはそんな私の言葉をどう捕らえたのか解らないが、じっと私の顔を見つめたままで呟いた
「ふぅん、何か君随分と淡々としてるんだねぇ、小説家ってもっと感情豊かな人間がなるものだと思ってたよ」
「どうでしょうね…、でも売れてる作家さんはきっともっと表情豊かだと思いますよ」
「ははっ、確かに」
私の自虐をフォローする事もなく折原さんは笑う
「で?何でまたネタ探しで自殺オフなんてモノに目付けたのかな?」
「ぇっと…、私が今書こうとしてる話は自殺しようとする女の子が主人公なんです、
でも彼女が自殺する理由が考えても考えてもしっくり来ないと言うか、違和感を感じると言うか…」
「あぁなるほど、そこで自殺志願者の動機を参考にしようと思ってあの掲示板に辿り着いた訳だ」
「はい…、そもそも書こうと思って書いている話ではないので全然感じが掴めなくて、
実際に死にたがってる人達の意見を読めばリアリティのあるモノが書けるかなと思って」
私はそこまで話して一つため息をついた
「でも駄目ですね、現実もフィクションも自殺する理由なんてどれもこれも有り触れてて…」
自分が酷い事を言っている事は解っていた
仮にも自ら命を絶とうとする程追い詰められている人達に対して、その理由を有り触れてると表現する事は傍から見ればとても残酷な事かもしれない
でも私にはどうしても自殺しようとする人の気持ちが解らないし、どんな理由を聞いても"そんな事で"と思ってしまうのだった
「特に若い子の理由は駄目です…、何一つとして理解出来ないし共感も出来ない」
「でも掲示板だと気持ちを表現し難くてつまらない理由になるのかと思って、
実際会って話を聞けば少しは違った意見が聞けるかなと思ったんですよ」
「だから今回初めてオフ会に参加してみたんですけど、結局あの女の子達の理由も大多数と同じだったし…」
私はがっかりした様子を隠そうともせず折原さんに告げる
普通であれば軽蔑されそうな私の意見の数々を、折原さんは黙って聞いていた
そして私の言葉が途切れた所でぽつりと呟く
「いいねぇ」
「はい?」
「君のその大人しそうな顔して平気で人の生き様や死に点数付けちゃうとこ、凄く面白いよ。
一見何にも考えて無さそうだけど実は結構回転速いでしょ?
無口なのは疑問を聞くまでもなく自己処理して解決してしまうからで、
自己と他人とを完全に切り離して余計な感情抜きで考えられる辺り非常に俺好みだよ」
そう言うや否や、机の上に置いていた私の両手を折原さんの両手が包み込む
急に手を握られた私は照れる前に驚き、思わずその手を引こうとしたが握られた両手はびくともしなかった
私の両手をぎゅぅと包み込んだまま、折原さんは少々熱っぽく私に語りかける
「俺はね、人間が好きなんだ。人間そのものが好きだ。愛してる。
俺の言う"人間"の定義には今日出会った彼女達のような、
何処にでもいる極有り触れていてつまらない中身を持った人間ももちろん含まれてるけど、
俺はどちらかと言うと君のようなちょっと変わった人間に特に興味があるんだ」
「ねぇ、俺と一緒に来なよ、俺なら自殺なんて下らないものよりもっとたくさんの面白い物を見せてあげられるよ」
「自殺がどうこうなんて下らない話書くのは止めてさ、もっと別の話を書けば良い」
そう私に向かって語りかける折原さんのその言葉は今までのような余裕溢れる物ではなく、
表情は今までのように貼り付けただけの薄っぺらい笑顔ではなかった
「別の話って…?」
私が訪ねると、折原さんはようやく私の両手を離し、得意げな顔のまま少し声を潜めて説明を始めた
「俺はね、この池袋で今度大きな戦争を起こそうと思ってるんだ」
「…戦争?」
「そう。3つの勢力の衝突。俺はあくまでも傍観者の位置だけどね」
「傍観者……」
「しかもその3つの勢力のトップはね、高校生の仲良し3人組なんだ。
3人とも自分以外の2人が敵対勢力のトップだなんて知らないまま無意識に引き金を引く…、
考えただけでゾクゾクするだろう?この記録はぜひ残すべきで、君にはぜひその役を担って欲しいって訳。
戦争でもデモでも一揆でも後の世に語り継ぐには詳細な記録が必要だからねぇ
マスコミが動く所まで公にするかはまだ未定だし、もしマスコミが介入する事になっても
アイツら事実を平気で捻じ曲げるからこう言う時には何の役にも立たない」
まるでマシンガンのように矢継ぎ早に紡がれる言葉の意味を、
この時の私は100%理解する事は出来なかった
それでもその"戦争"とやらを彼の横で眺めるのは案外悪くないかもしれないと、
何処か子供の様な表情の折原さんを見て何となくそう思ってしまった
「と、まぁそう言う訳なんだけど…、やってくれるよね?」
そう尋ねる折原さんの言葉に私はこくりと頷き、きっともう平穏な日常には戻れないのだろうと思った
それでも、担当に言われるがまま書きたくもない話を書く生活よりはずっとマシな筈だ
私は書きかけの小説の事などすっかり忘れ、ようやく自分の意思で新しい物語へ足を踏み入れたのだった
『主人公を救ったのは』
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