「やぁいらっしゃい、情報屋折原臨也に何か用かい?」



ある日の昼下がり



「はい、ある人の情報を調べて欲しいんです」



そう言って新宿の事務所を尋ねてきたのは、見たところ20代の女だった



「個人情報の収集をご所望ですか、それはそれは悪趣味で大変結構」

「………」

「まぁ個人情報と一口に言っても住所、電話番号、口座番号等のオーソドックスなデータから身長、体重、3サイズ、なんてのもあるし
その人の生い立ちや経歴や前科まで幅広く情報は存在する訳だけど、貴女が望むのは一体どんな情報かな?」



臨也が長々と口上を述べて尋ねた問いに、女は一言で簡潔に答えた



「全てです」

「全て、ねぇ…」

「はい。この地球上にその人の情報がどれだけ流出しているのか、その流出している情報の全てについて調べて下さい」



女の言葉を聞き、臨也は口の端に笑みを浮かべる



「理由は?」

「黙秘します。それとも…、言わなければ受けて貰えませんか?」



キッパリとした口調で好奇心を跳ね除けられたが、臨也は気分を害すどころか逆に上機嫌になる



「依頼も君も中々面白そうだ…。良いですよ、受けましょう」

「有難う御座います」

「タイムリミットは?」

「そうですね、今日から1週間程でお願いします。来週の同じ時間にまた来ますので、それまでに」

「了解了解、それじゃぁ商談成立だ。とりあえず調べたい人の名前を教えてくれる?」



臨也はそう言うとPCの前に座り、テキストファイルを開いた



「はい、です」

ね、男性?女性?」

「女性です」

「他に解っている事は?」

「ありません、名前と性別のみで調べる事は不可能ですか?」



女の問いに、臨也は淡々と答える



「そうだねぇ、世の中には同姓同名と言うものが多数存在するからね、君の望むの情報が集められるかどうかは俺の腕次第かな」

「そうですか、では大丈夫ですね」

「へぇ…、どうしてそう思うんだい?」

「だって、貴方は素敵で無敵な情報屋さんなんでしょう?」



女から発せられた挑発的な言葉を受け、臨也は楽しそうに笑う



「君、名前は?」

「田中瑞穂です」

「そう、それじゃぁ田中さん、また一週間後ね」

「はい、宜しくお願いします」



会釈して事務所を後にした女を見送り、臨也はPCデスクに腰掛けて一人不敵に微笑んだ



「たまにはこう言うゲームじみた依頼も面白いかもね」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そして一週間後


「やぁ、待ってたよ」



臨也は宣言通り、先週と同じ時間に事務所へとやって来た女を迎える



「それじゃぁ早速成果を報告するから、そこのソファに座ってくれる?」



今日までに集めた資料をまとめながら、臨也は女をソファへと促す

女が臨也の言葉に従いソファに腰を下ろすと、何故か臨也は対面に座らず女の隣に腰を下ろした



「あの…?」



折角広々としたソファだと言うのに、何故わざわざ隣に座るのか

女は訝しげな表情で臨也を伺うが、臨也は気にした様子もなくそのままファイルを開き女に尋ねた



「何だっけ、田中瑞穂?あれって一体何処から付けた名前?」

「…はい?」

「いやー、流石の俺も予想外だったよ。まさか君が、君自身がだったなんてねぇ」



臨也はその予想外がさも嬉しい事であるかのように笑う



「さて、それじゃぁこの一週間で俺が調べた君に…、いや、についての情報を公開しよう」

「……」

「まずパーソナルデータ。生年月日、血液型、出身地がこんな感じ。次は経歴、幼稚園から大学まで転校も含めてある。で、アルバイト、職歴がこっち。

そして次が君の両親について。お父さんのデータと、お母さんのデータ。と言ってもご両親は小さい頃に亡くなってるみたいだからあんまり意味はないのかな。

ご両親が亡くなった後は伯父夫婦の家で過ごしたんだってね?一応その伯父と叔母についても軽く調べてあるから良かったらどうぞ。

最後に君の交友関係なんかも軽く洗っておいたよ、それぞれの個人データについては範囲外だから追ってないけど、やれと言うなら追えない訳じゃない」



次々に机の上にファイルから取り出した資料を広げて説明を加えて行く



「と、まぁこんな感じだけどどうかな?」



臨也が女の肩に腕を乗せて尋ねると、女はその腕を軽く払いぺこりと頭を下げた



「有難う御座いました。流石素敵で無敵な情報屋さんだけあります。」

「そう?満足して頂けたようなら俺としても一安心だ」



パタパタと資料で自分を扇ぎながら、臨也は不敵に笑う

女…、改めは、そんな臨也に再度確認するように尋ねた



「私に関する情報は、これで全部なんですよね?」

「そうだねぇ、ざっと追える部分については今説明したので全部だね、ただ…」



扇いでいた資料を投げるように机に戻し、臨也はの目を真っ直ぐに見つめる



「君がこんな真似をしてまで隠したい秘密について探るには、もうちょっと時間が必要かもしれないね」



は臨也の顔を同じく真っ直ぐ見つめたまま、表情を崩さずハッキリと告げた



「いいえ。それについては調べて頂く必要はありません」

「ふぅん、どうして?」

「どう説明すれば良いのか悩みますが…、例えば、の話です」

「うん。例えば?」

「例えば、人が罪を犯して捕まった時、犯人についての情報はマスコミによって暴かれ、世間に公表されますよね?」

「そうだね、名前から年齢から、果ては卒業アルバムの恥ずかしい文集まで公開されてしまう事だってある」

「はい。ですから今回の依頼で、例えば私が何か罪を犯して捕まったとして世間に流れる情報は折原さんに調べて頂いた域を出ない、と言う事が解りました」

「はぁ…」

「そしてこれも例えばの話ですが、私が何かしらの事件に巻き込まれて帰らぬ人となった時にも、同じ事が言えます」

「…君、近々犯罪者になったり死んだりする予定でもある訳?」



臨也が尋ねるとは首を左右に振って否定する



「いいえ、全ては例え話です」



の不可解な言い分に臨也の顔が僅かに曇る

人の深層心理を表情や仕草から読み取るのは臨也の得意分野だ

しかし目の前のについては、表情も声も一定のままで、発せられる言葉以上の意味は読み取れなかった

何処かの馬鹿力やロシア人のように、思考が読み取りにくい人間は稀に存在する

しかし女でこれほどまでに表面しか見えないのは初めてだ

あの矢霧波江ですら淡々としているようで実の所解りやすい部分があると言うのに…

臨也は大多数に当てはまらない人間を前にして、無意識に上がる口角をそのままにを眺める

はそんな臨也の様子を気にも留めず、机の上の資料を綺麗にまとめると鞄にしまい込んだ



「それでは今日はこれで失礼しますので、お支払いしても良いですか?」



そう言いながら分厚い封筒を取り出し臨也に差し出す

臨也はそれを受け取ると中身を出して確認し、再び封筒に戻した



「うん、確かに」



は臨也がお札の枚数を数え終えた事を確認すると、鞄を肩に掛けて立ち上がった



「それでは失礼します、有難う御座いました。また機会がありましたらその時はどうぞ宜しくお願いします」



そして一般的な挨拶と共に頭を下げ、は事務所を後にした

臨也は一瞬呼び止めようとするが、呼び止める事に意味は無いと思い伸ばし掛けた手を握って呟いた



か…、一応覚えておくよ」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そんな出来事から更に幾日か経ったある日の事



・・・・では、次のニュースです。

昨夜未明、池袋の郊外で女性が倒れているのを近所の住人が発見し、通報しました。

女性は池袋市内に住む25歳の女性で、頭から出血しており、病院に搬送されましたが以前危険な状態が続いているようです。

現場には争った形跡はありませんが、頭に打撲痕のようなものがある為警察は事件と見て聞き込み捜査を行っています。



何となく付けっ放しにしていたテレビから、ふいにそんなアナウンサーの声が耳に入った

臨也が顔を上げてテレビの画面に視線をやると、画面には空中からヘリで撮ったと思われる現場の映像が映し出されていた

更にその画面下には被害者の名前として(25)と言う文字がハッキリと映されている



"私が何かしらの事件に巻き込まれて帰らぬ人となった時にも、同じ事が言えます"



ふと、以前が話していた内容が浮かび臨也は急いでPCの前に移動するとキーボードを叩き始めた

テレビを横目で見ながらPCに向かい、独自の情報網を使ってに関する先日以降の情報を集めて行く

世の中には同姓同名の人間が多数存在する

しかし今テレビに映し出されていると言う文字は、紛れも無くあのを示していると言う妙な自信があった



「何が"あくまでも例えばの話"だ…」



あの時自分の言葉にしれっと首を横に振ったを思い出し、臨也は眉をひそめた



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「おはよう、気分はどう?」

「…………」



が目を覚ますと、誰も居ないハズの病室に男の声が響いた

ゆっくりと目を動かして声の主を探す

視線を左横に向けると、知っている顔の男が椅子に座ってこちらを見ていた



「……折原さん…」



はか細い声で呟いて臨也の目を見る



「俺も嘘を付くのは得意な方なんだけど、君も大概大嘘吐きだねぇ」

「…………」

「あの時は例えばの話です、なんて首を振ってたけど…。でも俺は何となく解ってたよ、君は近々死ぬ気なんだろうってね」

「…何か、結局、、生き延びちゃいましたけどね……」



相変わらず抑揚の少ない声で呟いて、は小さく息を吐く



「ニュースで流れてましたか?私の事…」

「あぁ、流れてたよ、と言っても名前と住所位だけで、今後はもう一切流れないけどね」

「…?」



臨也の言葉を聞いてが不思議そうな顔をすると、臨也はそんなを見てニヤリと笑った



「それ以外の情報は一切流れないようにしておいたんだ、マスコミは今頃慌ててるだろうねぇ」



悪戯好きの子供の様な顔で、臨也は一人くすくすと笑う

は臨也の言葉の意味を正しく理解出来ず、暫く黙り込んでいた



「どうして…」



やがて独り言のように呟かれた質問に対し、臨也は携帯をパチパチと開け閉めしながら答える



「…俺はね、一体君が何を思って俺を訪ねて来て、あの日以降何があって、どうしてこうなったのかが知りたいんだよね」

「………」

「その為にもマスコミなんて馬鹿な連中に邪魔されたくない訳。だから横槍を入れられないよう君に関する情報は俺が全て消しといたんだ」



臨也はそう言うと立ち上がってベッドに近付き、横たわっているの顔を見下ろしながら告げた



「あぁそうそう、この病院の入院代や治療費は俺が今肩代わりしてあげたから。君には両親も身内もいないようだし」

「そうなんですか…、それはどうもすみません…」

「いやぁ、顔見知りとして放っておく訳にはいかないからねぇ?」



言葉だけなら親切に聞こえる台詞を吐いた後、臨也はぐっとに顔を近付ける



「そう言う事だから、君は今から俺の物だよ」

「折原…さんの、ですか?」

「そう、俺のだよ。だって仕方ないよねぇ、運悪くこの病院で一番高い病室しか空いてなかった上に君には返すアテも無い…。
後はもう身体で払って貰うしか無いだろう?」



そう有無を言わさぬ口調でに問いかけると、は暫くの沈黙の後に静かに頷いた



「解りました…、でもその前に一つだけ訂正しても良いですか?」

「何だい?」

「先程折原さんは私に両親も身内も居ないと言いましたけど、あれは誤りです」



は自分を覗き込んでいる臨也を見上げたまま話す



「私には育ててくれた親のような存在が居ます」

「へぇ、そうなんだ?俺が調べた限りではそんな情報は無かったけどなぁ」



臨也はの言葉を疑うように尋ねる



「それは恐らく私がその人と暮らして無かったからだと思います。物心がついてからは一人で暮すよう言われ顔を合わす事もありませんでしたから」

「…世間的にそれを身内と呼ぶかどうかはまぁ別として、自分の言葉に疑問を持たない?」

「おかしな事を言ってる自覚はあります。でも本当の事なのでどうしようも無いんです…」



目を閉じてそう答えるを見て、臨也は上体を起こすとやれやれと言うように両手を上げた



「まぁどちらにせよ怪我人に語らせるには長くなりそうだし、君が無事に退院したらその辺りも含めて全部教えて貰うとするよ」

「…解りました」

「それじゃぁ俺はもう行くから、早くその痛々しい包帯が取れるよう頑張ってね」

「はい、有難う御座いました」



ベッドに横たわったままのに声を掛けると、は相変わらず抑揚の無い声でそれに答える

臨也はそんなの言葉を背に病室を後にすると、廊下を歩きながら厄介な出来事に顔を突っ込んでしまったものだと楽しそうに笑った



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「待ってたよ」

「……どうも…」



数週間後

事務所へとやって来たを臨也は迎え入れる



「律儀だねぇ。まさか退院後すぐにこっちに来るとは思わなかったよ」



が退院したのは今日の午前の事だった

支払いをするのが臨也である以上、その情報は事前に臨也の耳に入って来ている



「まぁ君の事だからそのまま逃げてしまうような真似はしないと思ってたけど?」



臨也は意地の悪い台詞をわざと選んでに問い掛けた

しかしは臨也の予想通り、特に変わらぬ表情のままじっと臨也を見つめている



「とりあえず、そんな所に突っ立ってるのも何だし座りなよ」



そう言って前回と同じソファにを誘導すると、は大人しくそれに従いソファへと腰を下ろした

臨也もまた当たり前の様にの隣へ座る



「さて、それじゃぁ早速だけど事の経緯を話して貰おうかな」

「事の経緯と言うと…、私の生い立ちから話す事になりますが良いでしょうか?」

「構わないよ。今回どうして君があんな怪我をするハメになったのかが解れば俺はそれで良いから」

「解りました…」



臨也の言葉を聞き、は小さく頷いた後ゆっくりと話し始めた



「前回折原さんが調べた通りですが、私が4歳の頃に両親は死にました。死因は事故だったと聞いています。私はその時両親と一緒に居たハズですが幸い無事でした

その後私は親戚の伯父夫婦の家に預けられました。しかし叔母は私があまり好きでは無かったようで、私は厄介者扱いでした。

暫くは虐げられながらもその叔母の家で暮らしていましたが、やがて…叔母は私を捨てました。

施設にでも預けてくれればまだ良かったんですけど、ある日知らない街に連れていかれてそのまま置き去りです。

その日は私の誕生日で、プレゼントを買ってあげると叔母夫婦に言われて街に連れ出されましたが私はもちろん信じてませんでした。

なので叔母夫婦が忽然と姿を消した事に対し、私は何処かで"あぁ、やっぱり"と感じていたのを覚えています…。

そして行く宛ても帰る場所も無い私を拾ってくれたのが、秋葦会の人でした」



がそこまで話した所で出てきた秋葦会と言う単語に、臨也は反応する



「あきよしかい…?」

「はい。極道組です。池袋界隈では目立って活動していませんが折原さんなら名前はご存じですよね?」

「まぁね…。ごめん、話を続けて」

「はい」



臨也に促され、は再度話を続ける



「私を拾ったのは秋葦会の幹部の方でした。とは言えその人が私を拾ったのは別に善意からではありません。

拾われた私が事情を説明すると、その人は私を連れて叔母夫婦の家まで連れて行きました。

そして叔母夫婦に対し、児童虐待や育児放棄などの罪に問われても良いのかと脅しを掛けました。

叔母夫婦が青褪める中、その人は私を引き取る代わりに毎月決まったお金を払うように言いつけ、私を連れて事務所へと戻りました。

私も叔母に虐げられて過ごす位ならばとその人について行きましたが、その人がそこまで悪い人じゃなかったのは幸運でした」



昔を思い出すように目を閉じながら、は一つ息をつく



「暫くはその人やその人の部下の家や事務所などを転々としながら過ごし、そこで色々と特殊な知識を教え込まれました。

そして高校生になった時に一人暮らしをするよう言い渡され、池袋に住むようになります。

私の役割は池袋の夜の街に溶け込み様々な情報を得る事でした」



情報と言う言葉を発した後、は真っ直ぐと臨也を見つめた



「私のアルバイト歴、覚えてますか?」

「あぁ、バーのウエイトレスにキャバクラ、アングラのカジノに雀荘…だっけ?随分顔に似合わない職場だよねぇ」

「はい。それは全て上からの指示です。色々な客層から色々な生きた情報を入手するよう言われて潜入しました」

「なるほどね。まぁ確かに女性特有の入手方法って言うのもあるからね…」

「…一つ誤解を解いておきますが、私は別に自分を使うような事はしてません」



やや顔をしかめるの表情を見て、臨也はにやりと笑う



「ふぅん?でも君みたいな無愛想な人間が良くキャバクラやらカジノやらで働けたよねぇ?」

「私が表情を出さないのはそう教育されたからで、笑おうと思えば笑えます」

「へぇ…、ちょっと見せてみてよ」

「良いですよ」



は答えるが早いか、極自然ににこりと微笑む

その笑顔は人間観察に長けた臨也が見ても普通の笑顔で、とてもわざと笑っているようには見えなかった



「…………」

「どうしました?」

「いや…、本当に普通に笑えるんだね、ちょっと驚いたよ」

「それはそうですよ、表情を殺す方が余程難しいんですから」



そう答えるの顔は既に無表情で、臨也はそんなスイッチのように切り替わるに対して人間の可能性を新たに感じていた



「まぁ、そう言う訳で私は上の指示で池袋で長い間を過ごし色々な情報を上に流して来たんです」

「上にねぇ…。でもそう言うのってバレて危ない目にあったりしなかった訳?例えば…池袋を仕切ってる同業に、とか」

「今まではありませんでした。私と上の関係を隠す為に普段なるべく上とは接触しないようにしていたので…」

「でも今回君が狙われた件…、これはその活動が関係あるんでしょ?」

「はい…。数ヶ月前、少しドジを踏んでしまって私の存在が粟楠会にバレてしまったようです」



は幾分か悔しそうな顔をしながら俯く

臨也はの口から出た粟楠会と言う聞き慣れた単語はスルーし、首を傾げた



「バレたならそこで引き上げるのが普通なんじゃないの?」

「普通はそうです。でも私の所属する組の上は普通では無いんです」



俯いていたは顔を上げて臨也を見据える



「バレたのは私の過失です。私の過失で上が脅かされるのは本意ではありませんので、私は秋葦会からの制裁を自ら受けたんです」

「…………」

「折原さんの調査で私と秋葦会との関係がそう簡単に公にされない事は解ってましたから、
後は私が秋葦会からの攻撃を受ければ、世間的には単なる通り魔の被害者ですが粟楠会には私は"組に捨てられた女"だと印象付けられますよね?」

「なるほどね…。でも随分と淡々としてるけど、それで死ぬ可能性だってあったんでしょ?」

「もちろんありました。今回は夜道で頭部への打撃を受けましたが、打ち所が悪ければ私は今此処に居ませんね」

「だろうねぇ。それで甘んじて攻撃を受けて新聞沙汰にまでなって、君を拾った恩人とやらは何も言ってこない訳?」



臨也が尋ねると、は首を左右に振って静かに答えた



「私は彼にたまたま拾われて飼われていただけで、今回の件で多分また捨てられました。後は本格的に始末されるかこのまま見放されるかのどちらかでしょう」

「…なるほど、大体解ったよ。」

「本当はあのまま死んでしまえたら彼にとっても私にとっても良かったんでしょうけど…」

「そんな台詞すら無表情で言う事無いんじゃないの?」

「…癖ですから」

「癖ねぇ…」



臨也は考えていたよりもヘビーな事実を頭の中で整理しながら、呆れたようにため息をついた



「すみません、巻き込むつもりは無かったんです。折原さんが病室を訪ねて来た事自体私には予想外の事でしたし…」

「想定外?良く言うよ。わざわざ数ある情報屋の中から俺を選んだのは単なる偶然じゃ無いでしょ?」

「それは…」



臨也が尋ねると、は一瞬戸惑ったような素振りを見せた後ですぐに言葉を続けた



「貴方が粟楠会と繋がりがあると言う噂を耳にしたので…」

「あぁなるほど、粟楠会と繋がりのある俺に依頼をすれば俺が粟楠会に情報を流して君を確実に仕留めに行くと踏んだ訳だ」

「はい、仰る通りです」

「…あのさぁ、言っておくけど俺は一応情報屋を生業にしてるんだよね。君守秘義務って知ってる?」



の考えを全否定するように、臨也は呆れた顔でに問い掛ける



「もちろん知っています。…それでも、情報を買う人間が居れば売るのが情報屋ですよね?」

「まぁね」



逆に問い掛けられた言葉に対し、臨也は否定せずに腕を組んだ



「で、まぁ結局自分の所属する組からも粟楠会からも始末される事なく生き延びてしまった君は行く宛ても帰る場所も無くなったって訳だ」

「はい」

「それはつまり自由って事じゃないの?」

「いいえ。私が生きている限り組の情報が漏れる可能性がある訳ですから、結局私が生きている限り私への監視は今後も続くと思います」

「じゃぁ俺が君の為にマスコミをシャットアウトした事も病院代を払った事も…」

「もちろん上は把握していると思います」

「全く、勘弁してよね。俺みたいな善良な一般市民をヤクザの確執に巻き込むなんて酷い話だと思わない?」



臨也は片手で顔を覆いながら、わざとらしくため息をついた



「すみません…」

「まぁ謝って貰った所で現状が引っ繰り返る事は無いし、此処まで詳しく聞いちゃったからには俺も君ん所の組織に狙われちゃうのかなぁ」



何処となく楽しそうに呟きながら、臨也はソファから立ち上がりを見下ろした



「さーて、これからどうしようか。君の持っている組の情報を粟楠会に売る代わりに粟楠会から守って貰ってのんびり暮らす?
それともいっそ秋葦会と粟楠会の二つの組に抗争を起こさせてどっちが勝つか賭けでもして楽しもうか」

「それは…、どちらも現実的では無いですよね」

「現実的だろうと非現実的だろうと、君が望むなら俺はそれを叶えられるよ?もちろん、それ相応の報酬は頂くけどね」



そう得意げに答えて、臨也はソファに座ったまま姿勢を崩さないに顔を近付ける

しかし、は至近距離にある臨也の顔を真っ直ぐに見つめながら怯む事無くキッパリと言い放った



「残念ですけど私が貴方に組の情報を言う事はありませんし、お支払い出来る物もありません」



しかし臨也はがそう答えるのは解りきっていたようで、満足そうに頷くと顔を離した



「俺はね、粟楠会とは面識があるし何度か取引しているけど別に粟楠会側の人間って訳じゃないし
秋葦会からだって他の組からだって、依頼があってそこに利益が発生するのならどんな仕事も受ける。
ただ、今の所は粟楠会が俺にとって何かと便利だから互いに協力し合ってる訳で…、
そんな粟楠会側から見ると君の存在はとっても有用で出来る事なら君をこちら側に引き込みたい…。そこで、だ」



ソファに座ったまま臨也を見上げているに向かい、臨也はある提案を持ち掛けた



「取り引きをしよう」

「何の…ですか?」

「君が今後平穏に暮らせるように、俺が秋葦会を消滅させてあげるよ」

「………」

「その代わり君には組の消滅後、俺の助手になって働いて貰う」

「消滅って、そんな事出来る訳…」

「出来るよ。まぁ多少時間は掛かるだろうけど、上手く行けば半年後には君の所属していた組は無くなってるだろうね」



勢力的にはそれほど大きく無いが、それでも裏社会で長年活動を続けてきた一つの組を情報屋が潰せるとは思えない

それなのに目の前の臨也は自棄に自信あり気で、はじっと臨也の顔を見ながら"この人なら本当に出来そうだ"と思った



「でもやるからには手加減してる余裕は無いだろうし、君の育ての親とでも言うのかな…、その人の命も保障は出来ないよ?」

「…………」



そんな臨也の言葉を聞き、の動きが一瞬止まる



「やっぱり恩人まで巻き込むのは気が引ける?」



今まで一切の動揺を見せなかったの変化に、臨也はすかさず尋ねるがは首を左右に振った



「いえ…、残念ながら私にとってあの人は恩人と言う訳ではありませんから特に何も感じません。
むしろ多少なりとも育てて貰って学校に通わせて貰った恩を全く感じていない自分に少し驚いています…」

「ふぅん、随分と薄情だね」

「そうですね、薄情ですよね…。でも彼は私を利用していただけですし、私も私でそんな彼を利用していたのでお互い様です」

「そっか。なら良いんだけど」



納得したように一つ頷いて、臨也は座っているに右手を差し出す



「この手を取るも取らないも君の自由だよ。…さぁ、どうする?」

「どうして…、わざわざ貴方まで危険な目に合う事を承知でそんな事をしてくれるんですか?」



臨也の差し出した右手と臨也の顔とを交互に見ながらが静かに尋ねると、臨也は笑って答える



「そうだね、君の笑顔がもっと見たいから…、って事にしておこうかな」



そんな明らかな嘘を解りやすく付いてみせた臨也の手を取り、も楽しそうに笑った



「その冗談、とても面白いですね」

「まぁ…100%冗談って訳でも無いんだけどね」

「何か言いましたか?」

「いいや何も?…それじゃぁ早速、復讐劇の開幕と行こうか」

「はい、どうぞ宜しくお願いします」








『鈍色プロローグ』