波江さんは綺麗だ

背が高く、足がすらっとしていて、スタイルも良いし頭も良い

長く艶やかな髪の毛は波江さんの長身にとても良く似合っていて、正に"大人の女性"と言った雰囲気を醸し出している

折原さんと並んでいる姿を見れば正に美男美女カップルと言った感じで、正直同性として憧れる部分は多い

そんな波江さんと自分とを比べるなんて真似はするべきでは無いし、しない方が良いと言う事は私だって解っている

そもそも相手は大人で、私はまだまだ子供

比べるだけ無駄と言うものだ

そうは思っていても、やっぱり心の何処かで比べては落ち込んでしまう自分が居た



「意味ない事くらい解ってるんだけどねー…」



自室のベッドに仰向けに寝転がりながら、そんな独り言を溜息と共に吐き出す

波江さんと折原さんの間に私が入り込めない"何か"がある気がして、思わず逃げる様にその場を去ったあの日以降も、

私は変わらず折原さんに呼び出されては時折新宿まで足を運んでいた

"折原さんに呼び出されて"とは言ったものの、実際私にメールを送って来るのは波江さんだった

今や私の携帯電話の履歴に残っているのは"波江さん"の文字ばかりで、カモフラージュの為に付けた"一宮"と言う文字は何処にも無い

波江さんは折原さんの助手だから、折原さんの指示で波江さんからメールが来るのは当たり前の事だ

そうは思うものの、私は何となく釈然としない気持ちを抱えながら携帯を充電器に繋げて布団へと潜り込んだ



「………」



まだ少しひんやりとしている布団の中で、ぼんやりと時計の秒針の音を聞きながら私は再び考える

折原さんは格好良い

中身はさておき見た目だけなら所謂イケメンと言って差し支えない

細身で長身で顔は整っており頭の回転も良くお金持ちと言うハイスペックである

しかし、いくら見た目が良くても中身があれでは寄り付く女性は少ないだろう

自分勝手だし、回りくどい言い方にも歪んだ思考にも付いていけないし、人の事を見透かした様な言動がいけ好かない

話せば話す程に折原さんの言葉は嘘臭く聞こえ、イマイチ信用する事が出来ない

きっと、波江さんだって折原さんの事は信用していないし、折原さんもまた波江さんに限らず他人なんて信用していないだろう

それでも折原さんと波江さんの二人の間には二人だけの関係があり、私はその中にはどうやったって入れない

事務所内でそんな空気に触れる度、私は一人密かに落ち込んだ

何に対してこんなにも落ち込んでいるのかは、自分でも良く解らない

ただ、この感情は竜ヶ峰くんや紀田くん、杏里ちゃんと居る時に感じたものと何処となく似ている様な気がする

焦燥感の様な、孤独感の様な、何とも形容し難いもやもやとした感情だ



「はぁ…」



ようやく暖かくなって来た布団の中でそんな答えの出ない自問自答をぐるぐると巡らせながら、私は深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出して目を閉じた



・・・



「波江さん、今夜の夕飯は鍋が良いなぁ」



ある日の日曜日

私はやっぱり折原さんの事務所に居た



「…私が昨日買って来た食材が明らかに鍋向けじゃない事を知ってて言っているなら殴るわよ?」

「まぁまぁ良いじゃない。今日は何故だかどうしても鍋が食べたい気分なんだよね」



目の前で繰り広げられる、まるでカップルの痴話喧嘩のような光景を眺めながら私は重い息を吐く

そんな私に気付くこと無く、折原さんはにこにこと真意の解らない笑顔を波江さんに向けた



「折角だから波江さんも食べて行きなよ」

「嫌よ。今日は誠二に会いに行く日ですもの」



波江さんは折原さんのお誘いを容赦なく斬り捨て、恍惚とした表情で弟である矢霧誠二の名前を口にする



「それでなくても貴方と夕飯なんて御免だわ。一人で寂しいならさんにでも付き合って貰いなさい」



上着を羽織り財布を手にした波江さんは、そう言い残すと鍋の材料を買いに事務所から出て行ってしまった



「やれやれ、相変わらず可愛くないんだから」

「………」



波江さんの後姿を見送った折原さんは苦笑交じりに肩をすくめて両手を挙げる

そしてなんとリアクションをしたものか悩んでいた私に顔を向けると、軽く首を傾げて問い掛けた



「そう言う訳だから、付き合って貰えない?」

「ぇ?あの…、えっと」



夕飯に、と言う事は解っていながらも"付き合って"と言う言葉に多少ドキドキしながら、私は思わず言葉を詰まらせる

そんな私の様子を何処となく楽しむように眺めている折原さんの視線を感じ、私は咄嗟に顔を背けた

しかしそのまま無視する訳にも行かないので、あくまでも平静を装い答える



「…一応、後でお母さんに聞いてみます」

「そっか。それじゃぁ良い返事を期待しているよ」



顔を背けていたので表情は解らなかったけれど、折原さんの声を聞く限りは私が鍋に付き合うのを本当に期待しているように感じた

つまり、折原さんは波江さんと鍋を囲みたかった訳では無く、一緒に食べてくれるなら誰でも良かったのだろう

その事が解った時、私は何故か妙に安心したような気持ちを抱いていた



・・・



「折原さん」

「ん?」

「ぁの、大丈夫です」

「大丈夫って?」

「だからその、夕飯です。お母さんには友達と食べて来るって伝えておいたので…」

「本当?嬉しいなぁ」



先程お母さんに送ったメールに返信が届き、私は結果を折原さんに報告する

嘘を付く事は気が引けたし、電話だったらきっとボロが出ていたかもしれない

しかしメールでなら表情を読まれる事も声が挙動不振になる事も無く、嘘を付くのが苦手な私もアッサリと嘘を付く事が出来た



「でも良いの?お母さんに嘘付いちゃって」

「…だって、明らかに怪しい情報屋さんの事務所で夕飯ご馳走になります、なんて言えないじゃ無いですか」

「はは、確かにね」



折原さんの意地の悪い問い掛けに私が答えると、折原さんは納得したように頷いて笑う

折原さんと2人でこうして話すのは何だか久しぶりな気がして、ほんの少しだけ嬉しかった

その後も作業の合間にちょこちょこと言葉を交わしている内に、買出しに出ていた波江さんが戻って来た

そんな波江さんに、PCから視線を上げた折原さんが声を掛ける



「あぁ波江さん、おかえり」



折原さんが波江さんに向けたその一言を耳にした瞬間、私は思わず動きを止めた

理由は解らないけれど、ガラスに罅が入った様な、そんな気分だった



「今日はさんも付き合ってくれる事になったから、2人前で宜しくね」

「あら、結局巻き込んだのね」



しかしそんな私に気付く事なく、波江さんは食材の入った袋を手にキッチンへと行ってしまう



「どうかした?」

「…ぇ?いえ、あの…」



キッチンへと移動した波江さんから私へと視線を移した折原さんが私を見て首を傾げる

声を掛けられ我に返った私を眺めながら、折原さんは全てを見透かしたようにくすくすと笑った



「嫉妬しちゃった?」

「は?…嫉妬……私が、ですか?」

「あれ?もしかして無自覚?それとも気付かない振りをしてるだけかな?」

「あの、何を…」

「まぁ良いや。詳しい話は波江さんが帰った後にでもゆっくりしようか」



突拍子も無い言葉に固まっている私に向かってにこりと微笑むと、折原さんはそのまま再びPCへと視線を移す

私はそれ以上何も聞くことが出来ず、ぎこちない動作でノートPCへと視線を落とすと作業を再開した



・・・



嫉妬とは、一体何だろうか

誰が、誰に嫉妬したと言うのだろうか

私が、波江さんに、と言う事だろうか

波江さんに対して嫉妬すると言う事は、私が折原さんを好き…と言う事になる

私が折原さんを好きで、波江さんと折原さんの仲に嫉妬した、と

そう言う事なのだろうか



「………」



画面を見つめキーボードを叩きながらも頭の中は作業とは全く関係の無い事がぐるぐると回っていた

折原さんが波江さんに向けた言葉に動揺したのは事実だ

しかし、何故動揺したのかは解らない

折原さんの言う通り波江さんに対して嫉妬したと言うのが理由ならば、私はやはり折原さんが好きなのだろうか

自問自答してみてもイマイチしっくり来ない

嫌いと言う訳では無い

だからと言って好きなのか、と問われればそれに対する答えは何だかぼんやりとしていてハッキリしなかった

そんな事をひたすら考え続けている間にも時間は流れ、

気付いた時にはテーブルの上には鍋やお皿が置かれており、いつの間にか波江さんは事務所から居なくなっていた



「さて、いつまでも考え込んでないでそろそろ食べるようか」



そんな折原さんの声で私はようやく我に返る



「あの、折原さ…」

「まぁまぁ、話は食べた後でも出来るでしょ?」

「でも…」

「折角波江さんが文句を言いつつも作ってくれたんだから、まずは冷めない内に頂くとしようよ」



私の言葉を遮って、折原さんは私の対面へと座ると鍋の具をよそい私に差し出す

反射的にお皿を受け取ってしまった私は、その美味しそうな見た目と匂いに仕方なく箸を手にした



・・・



「美味しかったぁ…」



波江さんは料理の腕前も素晴らしく、2人ですっかり空っぽにしてしまった鍋を前に私は幸せの溜息を吐き出す



「美人で頭が良くてお料理も上手だなんて、波江さんは本当にパーフェクトですね…」

「まぁ堅物で鉄面皮で弟しか愛せない人間を完璧と称せるかどうかは微妙な所だけどね」



折原さんは私の言葉にそんな横槍を入れて嘲笑すると、私の顔をじっと見た後でにやりとした笑みを浮かべた



「まぁでもパッと見るだけなら波江さんは確かに美人だし頭も良いし、俺も彼女が居てくれて良かったと思ってるよ」

「そう、ですよね」

「うん。あれで実は結構可愛い所もあるしね。弟への偏愛も波江さんを取り巻いていた環境から考えれば仕方の無い事だし」

「………」

「俺としてはもう少し優しくして欲しい所だけど…、あぁ、それとシャワーを浴びた後にバスタオル1枚でうろつくのも控えて欲しいかな」

「っ…!?」



突如波江さんの話をし始めた折原さんの口から出た衝撃の言葉に、私の思考はあらぬ方向へと飛ぶ

今まで二人の間柄は単なる雇い主と秘書であると認識していたが、

事務所でシャワーを浴びる事があると言うのは、つまり、"そう言う事"なのでは無いか…

そうだとすれば二人の間にある不思議な絆の様なものにも説明が付くし、ありえない事では無い気がする

一瞬の間にそんな考えが頭いっぱいに広がった私は、自分の想像に思いの外ショックを受けて固まってしまった



「………」



言葉を発する事が出来ないまま固まっている私に向かい、折原さんはテーブルに片肘を付いて声を掛ける



「君が今考えている事を当ててあげようか」

「………」

「わざわざ事務所でシャワーを浴びると言う事は、俺と波江さんが付き合っていて、この事務所であんな事やこんな事をしているんじゃ…、とか?」

「……っ」



折原さんはにやにやとした表情で私の様子を伺うように眺める

私は自分の考えが見透かされている事と想像していた内容を悟られた事に思わず赤面するが、折原さんはそんな私を見て吹き出した



「な、何が可笑しいんですか…」

「いやいや、君のその純粋さが新鮮と言うか可愛くてさ」



折原さんはそう言って愉快そうに笑うと、テーブルに手を置いて立ち上がり私の隣へと移動するとそのまますとんと腰を下ろした

そんな折原さんを警戒し、私は思わず身体を強張らせて折原さんを見据える

しかし折原さんは私の挙動を気にする事なく、自然な動作で私の頬に触れた



「…っ」



左頬に触れる折原さんの掌の熱が、私の身体にじわじわと広がって行く

跳ね除けるべきだと思った時にはもう遅く、私は何も抵抗出来ないまま目の前の折原さんを見つめた

恥ずかしいと思う気持ち以上に何故か恐怖心が勝り、私の心臓はどくどくと嫌な音を立てている

そんな私の頬を親指でついとなぞり、折原さんが優しい声で私に言う



「いい加減認めちゃいなよ」

「? 認める…って、何を、ですか…」



唐突な台詞に思わず片言になりながらも、どうにか尋ね返す私に折原さんは解ってるくせに、と笑う



「俺の事が嫌いな筈なのに、気になって仕方ないんでしょ?」

「な…」

「君は嘘を付くのが下手な癖に、"気付いていない振り"は上手いから性質が悪いよねぇ」



そう言って苦笑する折原さんに、性質が悪いのは折原さんでしょう、と

そんな皮肉すら口にする事が出来なかった



「君はね、俺が怖い、俺が嫌い、俺を好きな筈が無い、と自分に言い聞かせてるだけなんだよ」

「…そんな事……」

「だって、そうじゃなかったら今俺の手を振り解かないのはどうして?」

「それは…」

「別に力を込めているつもりは無いし、その気になればいくらでも逃げられる筈だけど」



折原さんは私を試すように笑いながら首を傾げる

そんな挑発的な折原さんの視線に、私は急激に頬が熱くなるのを感じ咄嗟に折原さんを振り解こうと身じろいだ

しかし立ち上がろうとした私の身体は、折原さんによってあっという間にソファへと押し倒されてしまう



「っ、離して下さい…!!」



突然の事に驚き仰向けのまま抵抗しようと試みるが、私の両手首は頭上で折原さんの左手にしっかりと掴まれていてぴくりとも動かない

一見細い折原さんも男性なのだと言う事を改めて感じ、どうしたらこの場から逃げ出せるか必死に考える私に折原さんの顔がぐっと近付いた



「今更慌てても、もう遅いよ」



少し、いつもより低い声で呟いて、折原さんが笑う

初めて見る表情と声に私の身体がぞくりと震えた次の瞬間、私の唇は折原さんの唇によって塞がれた



「っ!?」



驚いて見開く私の視界に、折原さんの顔がぼんやりと映る

何のつもりだと抗議するつもりで開きかけた口に折原さんの舌が滑り込む



「んぅ…」



咥内を犯すぬるりとした感触に、身体から次第に力が抜けて行く

折原さんが何を考えているのか

どうしてこんな事になったのか

これから自分がどうなるのか

私には何も解らない

それでも一つ解ったのは、今折原さんのキスがただただどうしようもなく気持ち良い

それだけだった










Scene6【罠】









2014/09/10